法輪寺の仏像2

弥勒菩薩立像 弥勒菩薩立像
平安時代 木造 彩色 像高157.3センチ 重要文化財

かつては金堂にご安置していましたが、現在は講堂にお移ししています。寺伝では聖観音菩薩となっていますが、持物の蓮華の花の上に塔を戴いておられるところから弥勒菩薩(みろくぼさつ)と称されるようになったのでしょう。
量感のある体つきや、股間の渦文や裳裾近くの翻波式衣文(ほんぱしきえもん)等の表現に平安前期彫刻の特色がみられるものの、全体に彫りが浅くやわらかくなっていることなどから、10世紀後半頃の作と考えられるようです。
檜の一木造で、彩色はほとんど剥落していますが、裳の一部に群青と白の文様がわずかに残っています。なお、持物・光背などは後補です。
弥勒菩薩は梵語でMaitreyaといい、「慈から生じたもの」という意味です。弥勒菩薩は釈迦の跡継としての存在で、現在は菩薩のまま、その浄土である兜率天で天人に対して説法されています。釈迦仏の予言によって、仏滅より56億7千万年後にこの世に下生(げしょう)し、龍華樹の下で成道された後、三会(さんえ)の説法により釈尊の化益(けやく)にもれた一切衆生を済度する未来仏として、多くの信仰を集めています。


地蔵菩薩立像 地蔵菩薩立像
平安時代 木造 彩色 像高149.8センチ 重要文化財

もとは金堂におられましたが、現在は講堂にご安置しています。頭部は僧形に造られ、髪際の線を波打たせているのが特徴的です。両腕と腹部のふくらみを強調したくびれや、腹部や股間に集中する深く大きい衣文線(えもんせん)等は、頭部の充実感とともに平安初期彫刻を思わせますが、体幅が狭く重量感に乏しいことから、おそらく10世紀頃の作と思われます。頭部から像底の臍(ほぞ)まで、内刳(うちぐり)のない檜の一木造りです。もとは彩色像で、顔には胡粉、法衣には朱のあとが残っています。
地蔵菩薩は、釈尊の頼みを受けて、釈尊入滅後、弥勒菩薩が成道するまでの無仏時代に、六道の衆生を教化し救済する請願を立てられた菩薩です。この世で、そして地獄でも救済してくださる菩薩として、また子供を護るほとけさまとして、平安中期以降盛んに信仰され、今に至っています。


妙見菩薩御前立 妙見菩薩立像(御前立)
江戸時代 木造 彩色 像高41センチ

講堂にご安置しているこの像は、当寺妙見堂の秘仏・妙見菩薩(みょうけんぼさつ)像の御前立です。熱心な妙見信者の念持仏であった可能性もあります。一面四臂で、日輪と月輪、巻子と筆をもち、青竜に乗られ、厳めしい表情のお姿です。
秘仏の妙見菩薩立像は11世紀頃の作とされ、現存する最古の木彫妙見像ともいわれています。会式(4月15日)のときのみ一般公開となります。
妙見菩薩は星のめぐりの中心、北極星(北辰)が仏格化された仏様です。妙見信仰は6世紀ごろ日本にもたらされ、平安時代初期にはすでに民間に北極星を祭って現世利益を得ようとする信仰が盛んであったようで、貴族の間でも修法が盛んに行なわれました。後には、中世には武士に軍神として、近世には商家や町人に諸願成就の仏様として信仰を集めました。
江戸正保2年(1645)、当寺は台風で三重塔を除く諸堂悉くが倒壊する非運にあいましたが、塔修復時の仏舎利発見の顛末を記した『仏舎利縁起』には、「大坂北久宝寺町住の伊丹屋俵長家九兵衛が妙見菩薩の信仰篤く諸堂復興に盡した」とあり、当寺妙見菩薩が商人等の信仰を集め、その結縁によって伽藍の復興が行われた様子を伺うことができます。


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