『安達ヶ原の子守歌』

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 馬鹿なことを言うでない、あの子は死んで
はおらん
 年老いたワシを残して、あの子が死ぬはず
がなかろう
 時期に帰ってくるわい

 わずかばかりの畑じゃが、おまえがおらん
と草むしりも追い付かん
 一人で囲炉裏に座るのも心細いものじゃ
 物音、もしや・・・風の音か・・・
 息子や、早く帰ってきておくれ

 馬鹿なことを言うでない、あの子は死んで
はおらん
 そう、死んではおらん

 そうじゃ、岩屋にいってみようか
 あの子が幼い頃よう遊んだ、あの岩屋に
 ああ、息子の匂いがする
 そうか・・・ここにおればよいのか
 ここであの子の帰りを待てばよいのじゃな

 家が、畑が雑草だらけじゃと?
 ふん、そんなもの誰かにくれてやる
 まるで鬼婆じゃと?
 ふん、あの子が帰ってくるなら鬼になって
も構わん

 ああ、音が聞こえる
 あの子が帰ってくる足音じゃ
 ワシにはよう聞こえる
 風の音ではない、あの子の足音が

 さあ、飯の支度をせねば
 あの子の好物、大根を切る包丁を磨がねば
ならん
 一人でなにをしているのじゃと?
 あの子が、息子が帰ってきたのじゃ
 ほら目の前に・・・それは松の木?
 馬鹿なことを言うでない、どこから見ても
ワシの息子ではないか
 やっと戻ってきただんらんを邪魔する気か?
 ならばきさまもこの包丁で斬ってくれる

 さあ息子よ、たんと食うがいい
 どうした?飯が減っとらんぞ
 そうか疲れとるんじゃな、今日はもう休む
がいい
 それにしても大きくなったのう、息子よ
 お前の頭は、いまにも天に届きそうじゃ

 今宵は子守歌を歌ってやろう
 ああ、風が心地よいのう
 そうか、お前も嬉しいか

 永遠の安らぎを手に入れた老婆を、安達ヶ
原の風が優しく包む
 風の子守歌に、松の木はそよぐ


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