カーテンレールに干した男物の下着を押しやり、窓を開けて一週間ぶりに部屋に外気を取り込む。タバコの臭いで染まった空気が一陣の風に洗われ、寝不足の私は軽い眩暈を覚える。季節感の少ない都会でも朝日には初夏の予感が漂う。
昨年の夏から住み着いている小さな蜘蛛が一匹、カーテンを登ろうとして疲れたのか、目の高さに休んでいた。
なぜにお前はそのようにおぞましい姿態をしているのか。いくら同居しているとはいえ蜘蛛嫌いの私は驚いて後ずさりした。
忌み嫌われるその身体の先っちょには、悪魔のような顔がついているのを知っている。お前の穏やかそうな動きに隠された攻撃的な性格も。
お前の食欲を満たすものがこの部屋にあるとでも言うのか。昨年の夏初めて出会ったときからお前はあまり大きくなってはいない。コンクリートで囲われた殺風景なこの部屋が、お前の本当の人生ではないだろう。お前がお前らしく生きる世界があるはずだ。
だからこんなところにいてはだめ。早く行け、カーテンを登れ。
私は丸めた新聞紙で遠くから恐々とカーテンを揺らす。彼女は驚いて身を沈め左右を見回す。今の刺激が半年以上一緒に暮らした同居人の冷たい仕打ちだと知ると、幾つも並ぶ忌まわしい足を不規則に動かし移動する。鷹揚に揺らめくカーテンに合わせて時々小さくジャンプする。
慌てて飛び下がる私の姿が彼女の視界に入る。
「そこまで嫌われたなら私のほうから身を引きます」
お互いに最後まで理解し合えないことを悟ったのか、彼女は悲しそうに住み慣れた部屋を見渡した。最後の挨拶のつもりか前足を高く持ち上げると大きくベランダにジャンプした。私は急いで窓を閉めた。彼女が心変わりしないうちに。
彼女は振り返りもせずベランダの淵に移動する。
「未練などないわ」私にはそう聞こえた。
朝日にきらめく糸を吐き出すと13階より跳躍して彼女は風に乗った。