真夏のこの時期、街行くサラリーマンの姿というと、上着を腕に抱え、書類ケースを下げて、左手にハンカチを持ち、額の汗を拭きながら歩くというのが定番だ。ちなみに日本では、小学校の頃からハンカチは登校の持ち物リストにあがっていて、携行を忘れると叱られることもある。大人も必ずと言っていいほど携行している。
 しかし欧米では、ハンカチはお年寄りが、鼻をかんだりするときに使うというイメージがあるようで、一般的にはハンカチを持つ習慣がないようだ。 海外の有名デザイナーのハンカチが売られているが、これは日本市場を狙った戦略らしい。欧米の若い女性に、高級ハンカチをプレゼントしてもあまり喜ばれないので、他の物にしたほうが良いと聞いた事がある。

 話を夏のサラリーマンに戻すが、関西のサラリーマンの後ろ姿を見ると、カッターシャツ(関東ではワイシャツという)の下にランニングシャツが透けて見える人を見かけることがある。特に中高年層に多いようだ。
 東京ではまずこのランニングシャツが透けているサラリーマンを見かけない。一般的にはTシャツを着用している。東京在住のサラリーマンに聞いたところによると、そもそも下着としてのランニングシャツは、東京では売られていないとまで言い切っている。
 なぜ関西にランニングシャツの愛用者がいるのかは判らないが、あまりカッコの良いものではない。実用的に考えても、脇の汗が気になる。

 私も小学生の頃は、夏になると白いランニングシャツを着ていた記憶がある。麦藁帽子にランニングシャツと短パン姿で、虫取り網を持って神社の境内等を歩いていた。夏休みの絵日記に出てきそうな情景だ。しかし私の息子世代では白いランニングシャツを着ていない。下着としては白いTシャツで、外出時はたいていプリント柄のTシャツを着ていた。
 私も中学生以降は、白いランニングシャツを着た覚えがない。
 ランニングシャツと言えば「裸の大将」の山下清画伯を思い出し、どうしてもランニングシャツのイメージが悪い。
 ちなみに白いランニングシャツ以前の、中年男性の下着は、ステテコに前ボタンのシャツと腹巻という植木等や加藤茶のスタイルが定番だったのかもしれない。

 六十年前、まだ下着としてTシャツを着ていた日本人が少ない(いない?)頃、白いTシャツが似合う男性がいた。

 吉田茂首相の懐刀と言われた白洲次郎。
 彼はサンフランシスコ講和会議使節団の顧問として、アメリカに向かう機内で、白いTシャツとブルージーンズを着用した。そして公の席に出る時はスーツ姿で、地方出身のアメリカ人政治家など足元にも及ばないケンブリッジ仕込みの着こなしと美しい英語を披露した。
 マッカーサーの分身といわれたホイットニー将軍から英語力を賞賛された時「あなたの英語も、もう少し勉強すれば立派になれますよ』と白洲次郎は切り返している。
 戦争には負けたが、奴隷になったわけではないと、条約締結時には、吉田茂に羽織袴姿を提唱し、条文を縦書きの巻物に書かせたのも彼の策だ。

「従順ならざる唯一の日本人」とGHQに言わせた、白洲次郎の白いTシャツ姿の写真が残っている。身長180cmに端正なマスク、身についた国際感覚とゆるぎないプリンシブル(信条)。生涯、官に就くことなく野にいて、スポーツカーとゴルフと酒を愛した。その当時の一般的な男性と比べると、白洲次郎はどれをとっても日本人離れしている。
 こんな日本人がいたということは奇跡かも知れない。
 軽井沢ゴルフクラブの理事長時代、闇将軍田中角栄に「お前はスパイクより地下足袋が似合う」と言い放っている。
 白洲正子さんは彼の妻である。

                                            2004年8月27日

白いTシャツと白洲次郎