マイク・ラインバック

 スポーツに限ったことではないが、『現役』という言葉には輝きがある。

 現役を引退すると、二度とその輝きは戻ってこない。もちろん引退後も人生は続くし、別のことで新たな『現役』で輝くことも出来るだろう。

 日本に来る外人野球選手が引退して帰国すると、日本人ファンが『その後』を知ることはほとんどない。
 ラインバックの『その後』は関西のテレビ番組『探偵ナイトスクープ』で知ることになった。

 私が甲子園球場に行くと、いつも帰りが気になる。試合が終わってすぐは阪神電車の甲子園駅が大混雑するからだ。といってナイターの場合は帰るのが遅くなるので時間調整してゆっくりと帰ることは出来ない。試合の大勢が決まっているときは七、八回くらいから早めに帰ることが多い。

 デイゲームを見に行ったのは、開幕戦が始まってまだ間がない春先だったと思う。
 
デイゲームなら帰りの時間が気にならない。ゆっくりと観客が退けるのを待ってから駅に向かった。ねらい通り駅の混雑はおさまっていて、すんなりとホームに上がることが出来た。向かいの三宮行きのホームはガラガラだった。
 その向かいのホームをCPOシャツ姿の二人の外人が歩いてくる。その年に入団したハル・ブリーデンとマイク・ラインバックだ。
 
 ラインバックはメジャーリーグでほとんど実績がない選手で、日本に来る助っ人の中では格が落ちる選手だった。同期入団のブリーデンは、バリバリのメジャーリーガーでタイガースファンの期待は自然とブリ-デンに集まる。テンガロンハットにギターを抱えて飛行機を降りてきたカントリーシンガーのようなラインバックは当然ながら期待薄だった。
 私はラインバックという名前から、アメリカンフットボールの選手かと思ったほどだ。
 そのラインバックがまだ肌寒い春先からヘッドスライディングを見せる。やる気だけはあるようだ。

その二人の助っ人外人が、公式戦を電車通勤しているのだ。まだ人気も知名度も低いとはいえ、その気取らぬ庶民感覚が気に入って二人のファンになった。とくにラインバックはガッツ溢れるプレーでますます好きになっていった。膝も腰も曲げずに突っ立ったままバットを肩に担いだようなバッテイングフォームからバックスイングが無いような速いスピードでバットを振りぬく。内野ゴロでも全力疾走でヘッドスライディングをする。

それまでの外人助っ人に多かった、横柄な態度などはまったく見受けられない。
 聞くところによると、当初大リーガー出身のブリーデンに顎で使われていて彼の靴まで磨いていたそうだ。
 日本の野球に合ったのか、彼はブリーデンに負けない実績を残しはじめた。何をしても一生懸命という姿がタイガースファンの心をとらえていく。チャンスの時に彼に打順が回ってくると見ている者も燃えに燃える。

三宮行きの電車が入ってくるとブリーデンとラインバックはまるで普通の旅行者のように電車に乗り込んで行った。気がついたファンも自然な二人に声を掛けることもなく見つめているだけだった。

彼は五年間タイガースでプレーをして退団。タイガースファンの呉服店社長に口説かれて店長になったと報道もされたが、その会社が倒産。そしていきなりの離婚。保険外交員やコンピューターのセールスマンになる。新しい仕事にも一生懸命取り組んだのだろう。その後故郷のサンディエゴで新しい彼女も出来て、新車も買って……。

『探偵ナイトスクープ』が珍しく海外取材でその後のラインバックをアメリカに訪ねたが、ラインバックは車で崖から転落死していた。

三十九歳という若さだった。墓石にはタイガースでの栄光が刻まれている。
                        
                                                 2003年11月24日