小津正次郎
仕事先で名刺を交換したとき、相手の顔と名前を覚えるために特徴を捉えようとする。名前が有名人と同じなら覚えやすい。
私が得意先である関西の某企業で名刺を交換させていただいた人の名前を見て、最初に思い浮かんだのは映画監督の小津安二郎。そして元阪神タイガースの社長小津正次郎だった。
ドラフト前日“空白の一日”を衝いて巨人は野球浪人をしていた江川卓の電撃入団発表をした。セリーグ会長はそれを承認しなかった。巨人に反発した阪神の小津社長は翌日のドラフト会議で江川を一位指名するように指示。巨人欠席のドラフト会議で阪神以外にも三球団が江川を指名。抽選の結果、見事に阪神が江川の入団交渉権を獲得した。
話は遡るが、作新学園で怪物江川といわれ、高校三年時のドラフトで阪急ブレーブスに指名されたが、慶応大学を受験。慶応入試に失敗して法政大学に入学し卒業前のドラフトではクラウンライターライオンズに指名される。それを蹴って社会人野球にも行かずに一年間の野球浪人をしていたのだ。
巨人は、ドラフト会議に巨人が参加していなかったことを盾に、ドラフト会議が無効であると野球連盟に提訴。やがて巨人と読売系マスコミは“職業選択の自由”“人権問題”に論点をすり替えて、ドラフト制度自体の廃止を訴えだす。東京地裁へは「江川選手の地位保全」の仮処分を申請。そのうえ、まるで子供の喧嘩のようにセリーグ脱退を仄めかす。それに驚いたのは他球団。巨人が脱退すると客が入らなくなるので収益が低下する。なんとか巨人に思いとどまるように仲介にはいる。
しかし小津は江川との交渉権を主張し、数度江川と入団交渉をするが江川は二浪を辞さずの姿勢。問題は翌年に持ち越した。
最終的にはセリーグコミッショナーの「阪神に江川が入団して、巨人からトレードの要請があった場合、それに応じるのがマナー」という苦肉の策で江川は阪神に入団。翌日には巨人の小林繁と電撃トレード。江川にはペナルティで開幕後数ヶ月は出場停止処分。
怪物とはいえ新人の江川とエース級の小林とのトレードはあまりにも異常だ。黙して阪神に来た小林の心中がどんなものだったか察するにはあまりある。かくして小林は鬼気迫る快投で巨人戦無傷の八連勝。その年二十二勝して沢村賞を獲得した。
話は長くなったが、貰った名刺を見て私はその小津社長を思い出したのだ。
苗字を見ただけで、阪神タイガースの元社長を連想する人がどれほどいるだろう。私はかなり阪神タイガースに染まっているようだ。
そのことをその会社の担当者に話すと、な、なんとその人はあの小津社長の息子さんだそうだ。