あをによし 奈良の都にたなびける 天の白雲 みれど飽かぬかも

 二〇〇四年一月一日

 奈良は晴れて、風は冷たさを感じない。
 昼すぎだというのに近鉄奈良駅からは、初詣に向かう人たちが次々と流れ出る。ほとんどの人が普段着と思われる服装で、女性の和服姿は数えるほど。男性の和服姿にいたっては皆無だ。かく言う我が家も普段着。
 
 国立博物館、興福寺の五重塔を横に見ながら人の流れにそってすすむ。陽気な外国からのグループが、私達の前になったり後ろになったりしながら歩く。 
 鹿は角が短く切られ冬毛が目立つ。人の流れの多くは真っ直ぐに春日大社へ向かうが、私たちは左に折れて東大寺に向かう。

 参道には昔ながらの鹿や大仏に関するお土産や、鹿せんべいを売る露店が連なる。昨年、浅草寺へ初詣に行った時に仲見世で見た『一番』Tシャツも売られている。
 それらを眺めながら南大門をくぐる。鎌倉時代に再建され、その後何度か解体修理が行われているが当時の雰囲気と威容を誇る日本最大の山門である。
 運慶と弟子達が作った、身長八メートルの金剛力士像、阿形と吽型に両側から睨み付けられる。その形相と筋骨隆隆の迫力に圧倒される。
 南大門を抜けて、鏡池の横を歩く。例年、混雑する春日大社の十分の一程の初詣客で、この日ものんびりと進むことが出来る。中門の西側から拝観料大人五百円を払って回廊に入る。私は何度も訪れていて大仏や大仏殿の大きさには慣れているが、初めて訪れる人はその威容に驚かされるだろう。年の初めにこのスケールの大きさを見ると、自分の希望も大きくふくらむ気がして私はここが好きだ。大仏の身体は年末に身拭いされていて銅が鈍く輝いている。

 大仏殿を出て伽藍の裏手を通り二月堂へ向かう。土塀の向こうから枝を出している梅ノ木がすでに薄桃色の花を付けていて、この冬の暖かさを物語っている。
 二月堂は千二百五十二年間一度も途切れることなく行われている、修二会(お水取り)で有名な修験堂だ。
 三月(旧暦二月)に若狭井という井戸から秘水を汲み上げる儀式が行われ、その道行きを照らす大松明の火の粉が参集した人々の頭上から降り注そがれ、お水取りはクライマックスとなる。
 過去帳の読み上げでは『青衣の女人』の伝説もある。

「聖武天皇、皇太后、光明皇后、行基菩薩、孝謙天皇、藤原不比等……と東大寺ゆかりの人の名が読み進められて、源頼朝から十八人目に青衣の女人と読み上げられる。
鎌倉時代に修二会で過去帳を読み上げていた時、突如として僧の前に青い衣の女性が現れ「何故私の名前を読まないのか?」と怒った。驚いた僧がとっさに青衣の女人と読み上げると、その女性はすっと消えた。むろん女人禁制の戒壇の中なので女性が入り込むわけはない。僧は該当しそうな人をどうしても考え付かず「青衣の女人」(しょうえのにょにん)と源頼朝から十八人目の所に書き加えた。というミステリーだ。

二月堂から眺めると大仏殿の大甍がすぐ眼下に見え、そのずっと向こうに平城宮跡、生駒山が見渡せる。

万葉の歌人が詠んだ、「奈良の都にたなびける、天の白雲」が暖冬の奈良盆地に今日もかかっている。

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