「甲子園球場へ行こう」

 スクーターに跨り父親の背中にしがみ付く。それと同時にスタンドが外されて、後輪が地面に接地すると
軽くバウンドするようにして発進する。大阪市旭区の家から夕暮れの街をしばらく行くと、都島区にある雪印乳業の大きな牛乳瓶の広告等が見えてくる。のちにこの牛乳瓶の塔は紙パックの塔に変わり、当然今は無い。
 淀川に架かる橋を渡る時は、スクーターのバタバタというエンジン音が、橋の欄干に反射して規則正しく私の耳に返ってくる。その反射音が楽しくて音の数を必死に数えていたのを思い出す。

 「今から甲子園球場に行くぞ」いつになく早く会社から帰ってきた父は突然そう言った。当時私は小学校四年生の十歳だったように記憶している。

 淀川を渡り、国道二号線を行く。父の背中越しに尼崎市、西宮市の街並みが流れていくのを眺める。甲子園球場が見え出す頃はすっかり陽が落ちて、照明塔の光が夜空に浮き上がって見える。スクーターを駐車場に停めると、蔦の絡まる外壁に沿って一塁側内野席の入場門へ向かう。途中で何度かダフ屋が声を掛けてくる。その頃は偽の入場券を売っていると思っていたので、需要と供給のバランスを上手く利用したダフ屋の手口を知るのはずっとあとになってからだ。入場門をくぐり中の売店で弁当を買う。グランドからはヒットが出たのか、大歓声が聞こえてくる。それにせかされる様に私と父はスタンドに急いだ。
眩いばかりの光線に照らされた芝生とこげ茶色の土。初めて甲子園球場に来た私は、夢の中の別世界のように感じた。当時のテレビは白黒なので現実の球場がこれほど色鮮やかなものとは思いも及ばなかった。
 広島カープとの試合はすで三回の表で、マウンド上には針の穴をも通すコントロールと言われている小山投手が上がっている。すでに阪神タイガースのファンだった私は憧れの選手達が実際に目の前で動いている姿に感動を覚えた。ファーストには藤本、セカンド本屋敷、ショート牛若丸吉田。外野には鉄仮面藤井。

 キャッチャーフライが上がると、ライトに照らされた白球が銀傘よりも高く上がり夜空に紛れて見えなくなるが、キャッチャーがバックネット側まで走ってゆくと再びライトに照らされた白球が落ちてきてキャッチャーミットに納まる。まるで魔法を見ているようだ。ファールライナーは全て自分に向かって飛んでくるような気がして身構えた。銀傘に落ちたファールは大きな音を立ててバウンドする音が聞こえる。私はそのボールがどこへ行ったのか気になってしょうがなかった。外野に飛んだライナーは途中で加速してのびてゆくのがわかる。

 その日の夜、布団の中で球場の光と歓声が頭の中を渦巻いて寝付けなかった。
 以後数え切れないほど甲子園球場へ行ったが、この夜の印象が一番鮮烈に残っている。

                                                 2003年11月13日