清原和博

 数年前、高校野球の監督をしていた人と話す機会があった。

 甲子園出場常連校なので、その方の名前を聞けばご存知の方も多いと思う。

仕事での面会だったが、仕事の打ち合わせは十数分で終わった。そのあと野球の話を一時間以上聞かせていただいた。

 その時の模様をインタビュー形式で再現したいと思う。記憶を辿って書くので間違いもあるだろうし、言葉使いも違うが清原伝説の大筋お届けします。

 

葉月 Aさんのことはよく覚えていますよ。有名監督さんでしたね。

A氏 そうですか、何度か甲子園に出場したからね。

葉月 ご苦労も多かったでしょう。

A氏 全寮制やし、それなりに野球有名校やから、甲子園を目指す生徒が集ま

って来ましたね。選手に恵まれたということかな。そういう意味では苦

労はなかったかな。

   でも最近の子供は共同生活をした経験がないんや。

野球を教える前に、生活することから教えないとあかん。

葉月 そうなんですか。

A氏 ほとんどの子供が長男で、核家族で自分の部屋を与えられて育てられて

るからね。

掃除も洗濯も出来ない。夜更かしも普通になってる。

それにね、入寮して最初の頃、風呂に入るとき水着をつける子がいるん

や(笑)

銭湯になんて行ったことがないから当然なんかもしれんけど。

葉月 よく聞く話ですね。

A氏 共同生活がいやで辞めていく子もいるよ。プライベートな空間や時間

がないと最近の子はだめなんです。半年も共同生活をすると慣れてくる

けど、それまでが大変。

   そういうこともフォローしながら野球を教える。監督といっても親代わ

りみたいなものですわ。

それに私らの頃と比べる体は大きいんやけど、ひ弱やな。怪我も多いし

脆い。

   プロ野球に行って活躍している教え子達も最初はそうやった(笑)

葉月 記憶に残っている選手はどなたでしょう?

A氏 いろいろ思い出があるけど…… うちの生徒じゃなかったが清原君は凄

   かったなあ。

葉月 へえ、清原ですか。

A氏 清原君は中学生の時お母さんの車に乗せられて、よく我が校の練習を見

   に来ていた。中学生の時から注目されていた選手ですから、私も欲

しい子やった。

   実に熱心に見ているんですよ。ネットに張り付くようにね。てっきり我

が校に来てくれると思っていた。

葉月 その頃から体は大きかったのですか。

A氏 中学生としては別格やったな。

でね、彼の家は岸和田やろ。我が校の練習を見た帰りにPL学園にも寄

って練習を見ていたんや(笑)

葉月 進学を二校に絞っていたんでしょうか。

A氏 どうかな? 他の高校も調べていたんかもしれないけど。結果的にはP

Lさんに行ってしまった。残念やったな。

   彼がPL学園に進学してすぐ、春に我が校と交流試合があったんやが、

一年生ながら彼が出場してきた。

葉月 いきなりですか。選手層の厚いPLでもとび抜けた新人だったというこ

とですね。

A氏 それは資質が違うし、すでに有名な子やったからな。

   でも我が校のピッチャーはエース級やった。それなりに名前の通ったピ

ッチャーやから一年生坊主の清原君に負けるなんてプライドが許さんよ

な(笑)

葉月 そりゃそうでしょうね。

A氏 それがね、清原の第一打席はデッドボールだったんや。手の甲に速球が

   バシッと当たってね。

普通あの速球を受けたら、痛くてうずくまったり治療のために交代する

んもんや。骨折も考えられるしね。

まして一年生。中学を出たばっかりやからね。ところが彼は、何度か手

を振っただけで平気な顔をして一塁へ行く。びっくりしたな。

葉月 体が頑丈な上、根性が違うんですね。

A氏 そして第二打席。普通やったらさっきデッドボールを受けたから怖くて

腰が引けるし、びびるもんやがそんな素振りも見せへん。

 バッターボックスに立つフォームが堂々としてる。一年生だから

という気後れなんて微塵も感じられない。

しかもデッドボール後の第二打席はホームランですわ。

葉月 へえ!

A氏 その年、うちのグランドは改修していて外野スタンドの後ろの塀を新し

くしていたんやが、清原君がそこにぶつけた第一号ですわ。

やられたって感じやね(笑)

 

その後、一年生の時から桑田とK・Kコンビで甲子園に出場し、全国的に有名になった彼の活躍はご存知のとおり。

私が興味を示したこともあるが、A氏は清原伝説を中心に話しを聞かせてくれました。

ありがとうございました。

                                              2003年12月1日