がんばろう神戸

 阪神大震災、あの日から九年たった。

あの年「がんばろう神戸」の掛け声のもと、現メジャーリーガー、イチロー・田口を擁するオリックス・ブルーウエーブはリーグ優勝した。被災者や市民は明るい話題に勇気つけら、神戸の町は大いに盛り上がり、復興に向けて歩み始めた。

 

 そのオリックスが昨年は五位から三十三ゲームも開けられるダントツの最下位に甘んじた。

 九年前、オリックスこそわが市の球団と言って憚らなかった神戸っ子は、快進撃を続ける阪神タイガースに狂喜し、低迷するオリックスを見向きもしなくなった(ように見えた)

 

 シーズン中に監督が二回も変わり、ダイエーと西武がリーグの覇権を賭けて戦っている九月には球団社長の交代という事態になった。

 新しい社長はオリックスの国際派役員、小泉隆司氏ということでマスコミは球団の身売りを前提とした清算人事ではないかと色めきたった。

 

 ここで新社長小泉隆司氏の略歴を見てみよう。

千九百四十年京都府宇治市の米屋の次男として誕生。関東の高校へ進学し東京の大学を目指したが、父親の死去で宇治に戻り同志社大学に入学。卒業時には、かねてよりの夢だった商社マンになる為に伊藤萬に入社。しかし語学力の壁に躓き、オリックスに転職。オリックスでファイナンシャルの仕事をしていたが、二十九歳の時皮肉なことに商社出身ということで、シンガポール社長に抜擢される。その後香港社長、オリックスUSA社長、国際本部長、オリックスマリタイム社長、欧州総支配人、欧州会長、オリックスインべスメント社長を経て、昨年九月にオリックス野球クラブの社長となった。

彼は決してブルーウエーブを整理するために社長になったのではない。強く魅力のある球団を作るために社長になったのだ。

球団経営に全力を尽くすために東京の家を処分し、神戸の空気を感じ取るために生田川の小さなマンションに奥さんと二人で引っ越した。

彼が最初にした仕事は、現場と自分を繋ぐパイプ役、片腕となる男を見つけること。

そして白羽の矢を当てたのは、元阪神タイガースの中村勝広氏だった。

中村勝広氏を監督にするのではなく、球団のゼネラル・マネージャーになってもらうべく要請した。

監督なら契約金が貰え年俸もかなりあるが、球団社員なら収入は少ないと思われる。

現職のスポーツ新聞社とテレビ放送局の専属解説者よりも、収入減になるだろう。それでも中村氏はお金ではなく仕事を選んだ。

そして二人三脚で低迷ブルーウエーブの再建を目指す。

リーグ優勝がダイエーに決まってすぐ、中村GMは西武の伊原氏を監督に向かえコーチングスタッフを組織する。

ここで小泉社長―中村GM―伊原監督のラインが出来上がる。

その後ドラフト、FA、外人と中村プランで選手を補強し、これから春のキャンプに望む。

小泉社長の信条  ― 意思あるところに道あり 

私は今年のブルーウエーブが、どういうチームになるのか注目をしている。

                                                2004年1月17日