こんにちわ                                       Onori
 
「間取りと家族」について
 
<希薄な人間関係が改善されていけば・・・>
 
 
貴社の考えに近いところがあったので、投稿させていただきます。
 
現在、建て替え中です。
主人の父、娘、室内犬一匹、私との四人と一匹の木造2階建ての同居住宅です。
 
分類すれば、多分二世帯の住宅にはいると思いますが、建て替え前も、完全同居方というのでしょうか、亡くなった義母も含めてみんなで一緒に生活してました。
家を建てるにあたって、間取りは思考錯誤を繰り返しながら、考えに考えて現在のものに決定しましたが、みんなで使うところは、以前の間取りとほとんど同じものです。
 
結局は以前とほとんど同じ住まい方のできる間取りですが、こうなるまでには、いろいろな生活パターンを考えました。
最終的に重視したのは、家族が仲良く、(仲良くいかないことがあっても、そんなにいがみ合わないで、普通に(これも難しい言葉ですが)、とにかく、それぞれが居心地良く感じられる家を建てたいということでした。
 
ですから、「家族とは?」ということ、「生活とは?」ということ、また、突き詰めて「住まいとは?器とは?」ということを、とても考えさせられました。
 
「間取りと家族」という投稿を拝見していて、現在の希薄な人間関係が、家族の中にも蔓延しつつあるのかなあ?と思いました。(私自身もとてもわずらわしく感じることもあるので、わからないでもないですが)
 
はっきり言って、多分希薄な人間関係は、まず、わずらわしさが軽減されるので、自分自身がすごく楽になるものだと思います。
ここ数年の、携帯電話やパソコンのメールの普及で、高校生時代から(もっと早い?)友人関係も、直接会うのでなくメールのやり取りが多くなっているようです。直接会って、直接対話をすることによって、時に傷つくこと(傷つけたりすることまで考える人もいるかも)を避けたい、でも、寂しいから、広く浅くメールによって、交流関係は保ち続けたい・・・
(もちろん、必要な連絡のためにメールを使うのは、別の話です。)
 
わずらわしいのはいや、めんどうなのはいや、でも、自分が誰からも相手にされないのもいや、と、自分のことも含めて、わがままな自分勝手な人間が多くなりつつあるのかなあ?と思います。
 
「間取りと家族」の2家族のケースを読んで、「なぜ、同居しようと思ったのかしら?」と感じました。要するに、家を建てる、同居する、ということをあまりにも簡単に考えているのでしょうか?本当にわずらわしいのがいやなのだったら、最初から同居など考えなければいいのに。でも、様々な事情でそうすることにしたのでしょうから、何かを犠牲にしなければならないでしょうに。
 
希薄な人間関係は、今後この世の中で、ますます拡大、増長していくと思われますので、まずは家族から、意識して、相手と面と向かったコミュニケーションを図れる家を造っていっていただきたいと思います。
売れればいい、住めればいい、という住宅会社やお客さんが多いのかもしれませんが、貴社のような思いをもった会社があることはうれしいです。貴社にしてみれば、理想と現実の板ばさみに合うことも多いかもしれないですが、少なくとも、貴社と関わった家族は、何かを考えるきっかけができたのではないかと思います。
 
希薄で何がいけないの?という人のほうが多いかもしれません。でも、私は、それでは、社会が成り立たなくなっていく気がします。
 
思うところが近かったので、投稿させていただきました。
ただ、実際に一緒に住んでいると、(相手とこちらの性格にもよりますが)なかなか思うことを言えないことが多いです。でも、相手は何を望んでいるのかな?などと、譲れるところは譲りながら、一緒に生活しています。
人と人が関わること、人が一緒に住むことは難しいです。自分勝手では、やっていられないです。でも、それが社会です。
貴社の投稿をきっかけに、どんな関係の中でも、「思いやり」を忘れないようにしようと、改めて考えさせられました。
 
ありがとうございました。