今宮高等学校 定時制課程同窓会「いまみや」役員名簿平成22年10月

                       

役  員  名  簿

名誉会

    糀   秀章

 

前役員

宮本 淳次

2

  〃      井関 昭三       4 期
  〃      松本 茂       5 期
  〃      黒嶋 修       5 期
        今川 純       6 期     
  〃
     田村 勤一      7 期
  〃      田中 学      7 期
  〃      竹内 範夫      8 期
  〃      平山 彰一郎      8 期
  〃      小川 隆義      9 期
        三浦 英男     10 期
        大西 靖彦    10

    

入江 英雄

19 期

          武田 任文    19 期
          尾野 健治    19 期

理    

都司   公子

13 期

  

 三木田 美代子

13 期

 

坂本   信

16

  

西浦  勝

17

  

坂本 徳治 

19

  

君塚  隆

21

  

吉田  すが

21

  

溝端   

23

  

宮城  一

23

  〃

北野  敏

30

 会計監査     熊内  千鶴     13 期
        堀越  恵美       21 期
(校長先生は、2005年4月に吉村和彦先生に、2007年4月に山田 博先生に、2010年4月に糀 秀章先生に交代されています。)

以下は、平成15年の同窓会総会開催に際して同窓会誌「いまみや」に掲載された、当時の会長、校長先生の挨拶です。
カリオンの下で楽しい総会を     同窓会長  三浦 英男 高10期

 
同窓生の皆さん、お元気で活躍なさっておられることと拝察いたしております。私はこの度、前会長松本 茂氏の後を引き継ぐこととなりました。どうかよろしくお願いいたします。
 ご存知のように、母校の定時制課程は、平成10年3月をもって廃止されました。校舎も建て替えられ、長い間慣れ親しんだ母校の面影は、残念ながら残ってはいません。その代わりに新校舎の玄関脇には、記念のカリオン付き街路灯が設置され、校舎内に記念室も設けられています。でも、何よりも心強いことは、私たちの心に刻まれている母校の姿とその思い出が、今でも鮮明であることです。
 定時制課程が廃止された当時、名誉会長であった河田 修校長とその後の田村 昌平校長のお二人はご退職になり、昨年四月からは、後任松岡 文平校長を名誉会長としてお迎えしています。また、当時教頭であった赤堀 修一先生は、久米田高校教頭を経て、門真高校の校長にご栄進なさっています。
 河田先生と田村先生のお二人には、定時制課程廃止前後の困難な問題の処理をはじめ、記念灯や記念室の設置等々、たいそうお世話になりました。改めて御礼を申し上げます。本当にありがとうございました。
 今まで同窓会は、新しい卒業生とともに、母校の発展を願って動いてきました。でも、もう新入会員はありません。現在、同窓生は各期ごとに動いてはいますが、全体の活動は課程廃止後、一種の虚脱状態にあります。今後この同窓会をどのように運営していくのか。とても難しい問題です。何よりも、全体のまとまりが薄らいでゆくことを恐れています。
 
定時制廃止後、もう五年
 そこで、この五月十一日に総会を開くことにしました。今年が母校(定時制課程)の創立61年になること、定時制廃止後5年を経過したことなどから一度皆で集まって、互いの絆を深め合おうと考えたからです。この「いまみや」はその案内版なのですが、これは復刊第7号になります。第1号発行は、平成2年、前々会長の宮本 淳次氏の時でした。以来、私がその発行に携わってきましたが、この度は21期の君塚 隆太さんにお願いしました。彼はデザインスタジオを主催するプロです。覚えておられるでしょうか、第4号は彼の作品です。あの第二面の「こんだけ変わった! 大国町界隈」のルポは、やはりプロである19期の脇本 勤さんにお願いしたものです。さて、今回はどんな「いまみや」になるのでしょうか。楽しみです。
 「カリオン」の台座には、卒業生「4310名の若人」とあります。故人や連絡のつかない方も多数おられ、把握できている会員数はかなり減っています。今回、この「いまみや」を受け取ってくださるのは、一体何人なのでしょうか。
 
総会へのご参加を
 そこで皆さんにお願いです。五月の総会には、ぜひお出でください。恩師の先生方にもお出でくださるようお願いいたします。でも皆さん、残念ながら、格別変わった趣向があるわけではありません。お馴染みの食堂でのお茶の用意と、男女の歌手やお笑い芸人の登場はあります。エ、天童よしみと中川家? それは無理、無理。たとえ、そうだとしても、そんな企画は目じゃないですよ。だって、懐かしい友に逢えるんですよ。苦楽を分かち合った友の顔が見られれば最高でしょう!
 予算も少なく、今度また、いつ会えるか分かりません。ですから、ぜひ来てくださいね。出来れば、総会のあと、違う場所で、同期の会などを開かれては、いかがですが。きっと盛り上がりますよ。
 重ねてお願いします。総会にはきっと来てくださ〜い。みんな待ってますよ〜ッ!


定時制と私  学校長 松岡 文平

今宮高校定時制課程同窓会員皆さんお元気でお過ごしのことと拝察申し上げます。平素より青春時代をすごした母校のことを何かと気にかけていただき、厚くお礼申し上げます。
 さて、私は、昨年四月、田村 昌平校長の後任として、住之江高校から転任してまいりました。永い歴史と輝かしい伝統を持つ本校に着任して、改めて重責を痛感するとともに、一年経った今でも、身の引き締まる思いでいっぱいです。もとより、浅学非才の身ではありますが、どうかよろしくお願い申し上げます。
 着任後、三浦会長はじめ役員の方々と何度かお会いし、お話をさせていただきましたが、皆さんには非常にアットホームに接していただき、大変嬉しく思いました。
 私は、地方の工業高校を卒業して、大阪の電気メーカーに技術系で就職し、三年経ってから夜間の大学(文学部)に入りました。それは、会社に中卒で入った多くの諸君が定時制高校に通学していたことに大きな刺激を受けたからです。彼らは夕方になると、作業服から学校の制服に着替え,鞄を抱えて学校へと急ぎました。今思えば、きっと今宮や天王寺、今宮工業等の定時制に通っていたのでしょう。昼休みに工場の片隅で教科書を開いている姿が、今でもくっきりと目に浮かんできます。
 私はといえば、昼休みは屋上でバレーをしたり、退勤後は、喫茶店やパチンコ屋で時間をつぶしたりの怠惰な毎日でした。
 「これでは人生をだめにする」と思い、夜間の大学に行こうと考えたわけです。同じ下宿におられた府立高校の先生の影響もあって、出来れば将来は高校の社会科の教師になって勤労学生とともに勉強したいと考えるようになりました。
 大学三年の時に会社を辞めて昼間部へ移りましたが、教員採用試験には落ちてばかりで、ようやく29歳で大阪府に採用されました。分校(全日制)に三年勤めた後、希望して市岡高校定時制に移り、15年勤務しました。当時は既に社会情勢の変化で、勤労学生は少なくなりつつありましたが、それでも、様々な理由から、全日制で学ぶことが出来ない生徒達と勉学を共にすることは、自分の初志であり、働き甲斐がありました。
 時代の流れの中で、市岡も今宮も定時制課程はなくなりましたが、同窓生の皆さんはもとより、私にとっても定時制は「心のふるさと」です。同窓生の皆さんと話をしていると何かしら相通じるものを感じ、和らいだ気持ちになるのは、私自身の中に、おそらくこうした感情があるからだと思います。
 どうか、同窓会員の皆さんが今宮高校定時制で培われた不撓不屈の精神を持ち続け、今後も大いに活躍されることを念願して、ご挨拶といたします。

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