あなたも地域の民話をもとにオリジナル脚本を書きましょう。
子供も大人も一緒に楽しめる 簡潔な舞台作りのすすめ。
先ず台本から――
はじめに
次の一文は「楽しみながら書ける脚本 10のステップ」の
最終章「外付けステップ」部分です。
長崎で起こった中学1年生による幼児殺害事件――。
病んでいく子供たちに更なる衝撃を受け、
この一文を「なぜ朗読劇なのか?」と題して
冒頭に提示することにしました。 03.7.15
なぜ朗読劇なのか?
久しく演劇の世界に関わりながら、一方では20年余り
ハタチ前後の学生の相手をして参りました。
そのどこかで、現代の幼い子供たちに対する
奇妙な不安を抱いて来たこの数年。
そこから透けて見えてくる大人社会の危険度の高い矛盾。
それは誰かの責任として目をそらせる事ではない気がしていました。
大げさにではなく、ごく身近な部分で
新たな何かが始まらなくてはならないとも感じていたような気がします。
そんな折、朗読劇の手法の中に何だか
答えの一つが潜んでいるような気がしたのです。
もちろん、その答えはまだ不分明ですが、
より多くの方と探し出せたらと考えるに至りました。
実は朗読劇を知ったのはごく最近のことで、
地域の「お話の会」で活動する妻、その妻に朗読劇をご教示下さった
玉川大学の岡田陽先生と先生が主宰される『グループD.I.L』とのご縁から、
私までがすっかりその世界につかってしまった状態ということになりましょうか。
岡田先生に感謝申します。
立ち上げたばかりのHPです。
これを機会に全国の朗読劇に関心をお持ちの方々との
連携がとれるようなサイトに育てていけたらと思います。
03.4月5日 杼麻 司由
朗読劇って?
その1
ご承知のとおり子供たちにとって最上の『心のご馳走』は、
父親、母親の肉声によるお話です。
一方、大勢の人の力を借りて語られる朗読劇は、
たまに口にする別の『心のご馳走』といえましょう。
乳幼児たちは日々の生活の中で出会う言葉を
猛烈な勢いで自分のものにしていきます。
それは恐ろしいほどのエネルギーです。
言葉が一つ増えることは、世界をまた一つ理解したことになります。
ですから乳幼児にすれば「エネルギーが」なんて
ケチなこと言っておれないほど嬉しく、楽しいことなのです。
言葉の世界が広がる、それは心と想像力が豊かになることを意味します。
ところが、そんなにも膨大なエネルギーを費やして来た幼児たちも
長ずるにつれて児童、生徒となり、学業や友達との人間関係に追われ、
結果として心を育む物語や想像力を刺激する豊かな言葉と出会う機会を欠落したまま、
自前の痩せ細った言葉だけを頼りに、限られた友達と、限られた言葉をやり取りし、
TVが作る笑いを笑って大切な思春期をやり過ごすことになります。
この傾向は年々、悪化しているようです。
想像力とは、その人が持つありったけの言葉を総動員して思い描く心の活動です。
「ま、そのうち大きくなったら」と思われがちですが、
児童、生徒の頃になかった、心・想像力を、
体が成長してから育むのは至難のわざと言えましょう。
知識として詰め込んだ単語の量も想像力とは無縁のようです。
使われた脳の位置が違うのですから仕方ありません。
どうやら心・想像力の根幹は、ごく幼いうちに育むしかないようです。
それは、ハタチ前後の学生たちを相手に
『シナリオ作り』から『ドラマ制作』までの講師として、
彼らを20年余り見てきた私自身が痛切に感じたことでもあります。
お父さん、お母さん、そしてご家族や先生方、
子供たちにもっともっと言葉と、お話を伝えてあげて下さい。
生後2ヶ月の赤ん坊でも母親の読む絵本に
声と体ではっきり喜びの反応を示すという報告があります。
朗読劇って?
その2
『楽しみながら書ける脚本10のステップ』の最後に少し触れますが、
妻は久しく子供たちにお話を届ける活動をしております。
傍で見る限り、どうやらグループではあっても活動そのものは個人のようです。
話し手と子供たちが顔と顔、目と目を合わせてのお話の大切さは
十分、果たせていると思われます。
次に考えられるのが朗読劇です。
複数の話し手が協力し合い、
それぞれの個性を結集した朗読劇は
演者、観客共に楽しめる表現形式と言えましょう。
作品としてはたくさんの脚本が出版されています。
そうした優れた全国区の作品に、もう一つ、
地域独自のオリジナルがプラスされる必要性を感じます。
私の場合は、意図的にいずれの作品も
図書館などで催される『お話の会』は卒業したと思っている
小学校高学年以上の子供たちと大人を意識して書いています。
掛け算や割り算、分数などの世界が頭に蓄積されるにつれ
子供たちは急激に空想や、想像の世界を怪しみ、遠ざける傾向になります。
しかし、科学的な思考と合理性が培われる一方で、
不合理で不条理ながら豊かな想像の世界が提供されて初めて
子供たちの「精神のバランス」は図られる、と私は考えるのです。
さて、世界に数ある宗教は一様に『愛』を説いております。
ところが、その『愛』は、どうやら身内だけの『愛』らしくて、
地球上の争いごとは一向になくなりません。
ですから普遍的な『愛』には、
もう一つ『想像力』が欠かせないと私は考えるのです。
豊かな言葉に育まれた豊かな想像力をもつ子供と大人たちでいっぱいになったとき、
世界は初めて理解し合えるに違いないのです。
やがて、人々の想像力は『新しい世界の創造力』へと連携して行くことでしょう。
トップへ 楽しみながら書ける脚本10のステップへ シナリオ目次へ