☆ diary 2000年 6月 ☆


16日 金曜日


「壊れたPC」

最近PCの調子がおかしくなった。キーボードが全くきかなくなったのだ。

OSの再インストールが念頭に浮かぶ。バックアップを取らなくては・・・・。

しかし、キーボードが使えない・・・。僕はジレンマに陥った。

もしかして、もう駄目なのか!?

でもよく考えてみると、うちのPCは妹のPCとLANで繋がっている。

幸い、妹のPCから僕のPCを操作することができたおかげで、

バックアップを取ることができた。

さて、Win98を再インストールしたわけだが、やはりキーボードが認識しない。

今度は、OSの登録ができない・・・。マウスだけではIDを入力することができない。

この時に気が付いた。「もしかして、キーボードが故障しているのでは?・・・」

まさか買って1年も経っていないのにキーボードが壊れるなんて思いもしなかった。

すぐに友人に電話。「キーボードを貸してくれ。」

・・・数分後、友人Yはカバンにキーボードを入れて、原付車で持ってきてくれた。

そのキーボードを差すと、PCは難無く、スムーズに動き始めた。

サポートセンターにTELすると、新しいキーボード配達までに1週間かかるという。

僕は仕方がないので、待つことにした。

おかげで、久々にPCのない生活を余儀なくされた僕だったが、

この一週間で得たものは大きかった。

 

つづく・・・

 


「PC不調、体調好調!」

今まで暇な時間はすべてPCに注ぎ込んできた僕が、PC無しの生活に突入した。

まず僕が向かったのは、図書館だった。

このところ、少しずつ活字中毒が復活してきていた。小説を買い漁っていたのだ。

だが、金もかかるし・・・。と悩んでいたところ、図書館の存在を思い出した。

タダで本がたくさん読めるところ。利用してみると意外と便利な場所だ。

1日平均1.2冊ペースで本を読みきる。読みきると、再び図書館へ・・・。

気が付くと、この1週間で、10冊もの本を読んでいた。

頭を鍛えなおしたら、今度は体。

すっかり鈍りきっていたぶよぶよな体を強靭な体に戻すために、

1回500円で利用できる近所のウエイト場へ行くことにした。

ここでは、その日の体調に合わせてメニューを作ってくれるマシンがあり、

僕もさっそく、測定した。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。愕然とした・・・。

 

        ●血圧:上150、下86 (理想:上120、下70)

●体重:67kg (理想:60kg)

   ●体脂肪率:30% (理想:15%)

 

このままではかなりやばいことは、誰の目にも明らかだった。

カルテには、目標体重55kgとかかれてあった。

戦いは今始まったばかりなのだ・・・・。

さて、PC無し生活もうひとつの効果。

それは、規則正しい生活が戻ったこと。

最近は朝8時には、必ず目がさめる。

時には6時に目がさめ、すがすがしい気分で散歩なんかしてみる。

PC生活の頃なら、そろそろ寝に入る時間だった。

現に、これを書いている今日は午前5時に目がさめた。

今まで見えなかった世界が広がった気がした。(オーバーだが。。。)

時にはマシンを休ませてやることも大切だとやっと気づいた1週間でした・・・。

 

 


17日 土曜日


「東京見物」

大学時代の友人に会いに神奈川に行った。

そして、その友人に東京を案内してもらうことにした。

ミーハーなのだが、一日目は、

お台場フジテレビ-浅草浅草寺-アメ横-秋葉原-新宿

を見てまわった。

フジテレビは、思ったより面白くなかった。

土地の値上がりを待った後、バブル崩壊を迎えたらしき空き地があり、

観覧車とのギャップが悲しく思えた。

浅草寺は、とっても観光気分に浸れた。人形焼買った。

友人がうまい!というので、「弁慶」なるラーメン屋に入る。

みそチャーシューを食べる。量が多くて、苦しかった。

チャーシューがなかなかおいしかった。

アメ横は、迷路のようだった。いろんな店舗が並んでいた。

ただ、雰囲気は大阪の鶴橋を思い起こさせた。

このあたりから、雨が降り出し、歩き回ることに煩いを感じ始める。

でもとりあえず、秋葉原を一度覗いておこう立ち寄る。

ある商品を発見!前から欲しかったものだった。

早速、店員と値段交渉をしようと、店で一番えらそうな店員を選別。

声をかける。

Q「これいくらになる?」   店員「この値段で。」

Q「もうちょっと負からんの?」   店員「無理ですね。(冷)」

Q「じゃ、他の店行くわ。」  店員「はい。すみません。」

店員立ち去る・・・。

カルチャーショックを受ける・・・・。少しの時間立ち直れず・・・。

友人に尋ねると、どうやらそのような習慣は無いそうだ。

ほんまか!?おい!?

ためしに次の日、すうさん(18日日記参照)にも尋ねたのだが、

彼も生まれてこの方、物を買うときに値切った事は無いという・・・。ショック!!

雨が降りめんどくさかったが、アルタだけ見ておきたかったので

新宿に立ち寄る。そしてすぐに帰る。

帰りの電車で、浴衣を着た、花束と一升瓶を持ったオヤジに出会う。

いったい、何の帰りなんだろうか・・・。(謎)

その夜、近くのスーパーで酒とつまみを買い、

夜明けまで思い出話を語り明かす・・・

・・・・・・・・・

予定だったが、すぐに寝てしまった・・・。友人Mすまない!

18日に続く

 

 


18日 日曜日


「横浜見物」

次の日、朝5時に目が覚める。もちろん友人は起きていない。

前の日、あまりにも早く寝すぎたために、早く目が覚めてしまった。

仕方なく、独りで雑誌でも読んでいる。

8時ごろになり、友人が目を覚ます。本日のルートについて話し合う。

結果、

新横浜ラーメン博物館-みなとみらい横浜港-中華街-すうさんとオフ

まず、お昼ご飯にラーメン博物館でラーメンを食べることにした。

が、

新横浜の駅は人であふれ返っていた。Jリーグの試合があったようだ。

本日の入場者7万人です。・・・・。えーーーー!!7万人って!!

とりあえず、これが全部「ラ博」の客じゃないことを祈った。(←そんな訳ない!)

しかし、「ラ博」の中は7万人と言わずとも、ものすごい人だった。

昔の雰囲気、夕暮れ時を演出していて、どこのラーメン屋もおいしそうに思えた。

が、

何がうれしくて、ラーメン1杯食べるのに75分も待たなければいけないのか!

僕たちは、まだ待ち時間が30分の比較的早く食べられそうなところに入った。

次に、みなとみらい

ここは、やはり港だけあって、

大阪の南港や、神戸のポートアイランドの雰囲気がある。

途中、回転寿司屋を発見その名も

スーパー回転寿司八戸港」!!

スーパーは何にかかってるのだろうか・・・回転スピード!?(謎)

少しのんびりと海を眺めてみたりなんかした。(ロマンチスト・・・)

横浜の街はきれいだ。何がきれいって、電線・電柱がない。

電線はすべて地下を通ってるとのこと。

そのまま横浜の街を歩いて、中華街へ向かう。

この中華街でも謎の人に出会う。

遠くから天気予報が聞こえてくる。

見ると、自転車に乗った浮浪者風のご老人が

自転車の後ろにラジオをくくりつけ、大きな音で天気予報を流して

我が物顔で通りを走って来たのだ。

それだけでも(謎)なのだが、僕たちが目を疑ったのは、

その自転車の前かごである。

なんと、2羽のカラスがちょこん!と、座っているではないか!!

止まっているのではない、確実に座っているのである。

自転車の振動にも微動だにせず、座っているのである!(謎)

僕たちの中華街のその他の思い出は、

すっかり、その老人にかき消されてしまった・・・。

その後、すうさん(ネットの友人)に会いに行く予定だったが、

時間があるので急遽江ノ島へ行くことにした。

・・・・・・・が、

やはり時間が足りなくなり、江ノ島へ渡る前に途中で引き返してしまう・・・。

無念!・・・

さて、ここで、ネットの友人「すう」さんについての説明です。

すうさんとは、ネットでお互いのホームページを通じて知り合った友人で、

いままで、見たことも声を聴いたこともなかった。

のだが、僕がこっちに来たことを機に会うことになった。

彼のバイト先に行く予定だったのだが、そのバイト先が見つからずに、

いろんな人に尋ねる。が、みんな知らないと言う。

2件の交番に立ち寄るが、警察官はお留守だった。

やっとのことで、そのデパートを見つけた時にすうさんから携帯に電話が入る。

早速会う!

こてこての関西弁で、友人と話をしながらバイト先にたどり着くと、

すぐに分かったようだった。

すうさんであることを証明してもらうため、人気キャラぽちを書いてもらう。

ぽちが似ていないため、にせもの疑惑・・・。

だが、ねことなめくじを書いてもらい、疑惑解消。

レストランで、特製ステーキ丼を食べたあと、近くの喫茶店に入る。

男3人で2時間ほど喋る。かなり浮いていた気が・・・。

その途中また(謎)な選挙カーが・・・。

「次回の衆議院選挙には○○をよろしくお願いします。」

ここまでは、普通の選挙カーだったのだが・・・。

「○○は無所属ですので、安心して選んでください。」

安心!?・・・

「・・・ですので、○○にしましょう・・・。」

しましょう!?・・・

○○を押し売りし、そのまま車は遠くへと消えていった。

結果を知りたかったので、25日の開票速報を見たかったのだが、

○○の名前を忘れてしまっていた。残念・・・。

そして僕は、たくさんの謎と出会った関東を後にしたのだった。

 

 


 

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