夏の微笑み
照りつける太陽。
青い空。
広がる海。
とこまでも続く地平線。
陽炎が立ち昇り、繰り返し波が打ち寄せる。
波の音以外、その場には何の音もしない。
男が一人、砂浜に座っていた。
体格は細めで深く帽子を被っている。
首にタオルを巻き、白いTシャツと迷彩柄の短パンをはいていた。
脇には小さなかばん。
何をするわけでもなく、ただ海を見つめていた。
呆けた表情は何かに疲れている様子が伺える。
波が男の足を一定のリズムで洗い流す。
暑さで汗が止まらない。
しかし、男は汗をぬぐおうともせず、ただ海を見つめていた。
ふと、空を見上げた。
青く広がる空。
大きな雲が流れていく。
再び視線を戻す。
波が打ち寄せては返る。
「・・・この波はどこからきたのだろう・・・」
ふとそんなことを思った。
そして、小さくため息をついた。
そんなことをただずっと繰り返していた。
突然、突風が舞う。
海からの向かい風。
潮の香りがした。
男の被った帽子が後ろに飛ばされる。
男は動じることなく、気だるそうにゆっくり振り返った。
その目線の先に一人の少女がいた。
すらっとした体。
長く黒い髪。
白のワンピース。
日傘を差している。
陽炎のせいか、表情がぼやけて見えない。
ただ、男には少女が笑っているように見えた。
少女は男の帽子を拾い、ゆっくりと近づいてきた。
男も立ち上がり、ゆっくり近づく。
男は少女の顔を見て驚いた。
「・・・あ・・・朝倉???」
男は少女を知っていた。
「・・・久しぶりだね」
少女は帽子を差し出し、にっこり微笑んだ。
──────────────────。
「こっちに帰って来てたんだ」
少女は男の隣に座り、そう言った。
「・・・うん、やっと仕事休み取れてね」
男はぎこちなく答えた。
「・・・そっか」
朝倉由香。
高校の時の同級生。
そして、男にとって初恋の人だった。
何度も告白しようとしたけど、結局何も言えぬまま卒業した。
先程までの落ち着きが嘘のように男は動揺していた。
「でも、ひさしぶりだね。びっくりしちゃった」
「お・・・俺もまさか会えるとは思わなかった・・・」
「ふふふ、元気にしてる?」
「うん」
「一人暮らしには慣れた?」
「うん」
「そっかぁ」
由香はにっこり微笑んだ。
その笑顔がとても眩しかった。
男は見つめることができずに慌てて海を見ていた。
「あ・・・朝倉はずっとここにいるの?」
「うん、ずっといるよ」
「今、何してるの?」
「んー家でぼぉーっとしてる」
「は、働いてないの?」
「うん」
「よく親、何も言わないよねぇ」
「・・・言えないから・・・」
「えっ!?」
男は由香に振り返る。
由香は少しうつむき加減に寂しそうな表情だった。
男はそれ以上、何も言えなかった。
しばらくの沈黙。
男は何を話そうか悩んでいた。
しばらくして、由香が話し始めた。
「・・・何かあったの?」
「・・・えっ?」
「さっき、後姿寂しそうだったから・・・」
「・・・・」
「ご・・・ごめんなさい・・・」
「・・・してさ」
「えっ!?」
「仕事、失敗しちゃってさ・・・」
「・・・そう」
「・・・ちょっとへこんでた」
「だから、ここへ帰って来たの?」
「うん、ちょっと気分転換にね」
「そっかぁ」
再び沈黙。
男はうつむき、由香は海を見つめていた。
「でも、何とかなるよ」
「・・・えっ!?」
「きっと大丈夫だよ」
由香がにっこり笑う。
「そ・・・そうかなぁ・・・」
「うん、大丈夫だよ」
「・・・うん」
男は初めて笑った。
しばらく落ち込んでいたので笑うのはいつぶりだろうか。
そんなことを思いながら。
2人はしばらく笑っていた。
「ありがとう」
「えっ!?」
「励ましてくれて」
「ううん」
由香は首を小さく横に振った。
「おかげで元気になれたよ」
「よかったぁ」
にっこり微笑む。
男も微笑んだ。
その時、由香の帽子が風で飛ばされる。
小さな悲鳴を上げて頭を抑えるが既に遅かった。
帽子は遥か後方の防波堤まで飛ばされた。
「俺、取ってくるよ」
男は立ち上がり、小走りに追いかけた。
なかなか追いつけずに苦労する。
やっとの思いで帽子を拾い、由香のいる方に振り返る。
そこに由香はいなかった。
どこへいったんだろうと辺りを見回す。
けれど、見当たらない。
歩き出そうと足を進めたその時。
「・・・ありがとう」
自分の後ろから由香の声が聞こえた。
驚き、振り返る。
しかし、そこには誰もいなかった。
ふと、目線を足元にやる。
そこには小さな花束が飾られていた。
「まさか・・・」
男は嫌な予感がした。
自分のかばんを持って急いで実家に帰る。
息を切らせて自分の部屋に戻り、卒業アルバムを探す。
由香の連絡先を見つけ、実家に電話した。
事実を知った。
由香は3年前に海に溺れて死んだと。
そして、今日が命日であったと。
声が出なかった。
じゃあ、自分が会った人は誰なんだ・・・
わけがわからなかった。
頭が混乱した。
電話を切り、力なく座り込む。
頭を抱え、声を殺して泣いた。
その隣で由香の被っていた帽子が風になびいていた。
次の日の朝。
男は再び海にいた。
花束が飾られた場所に行き、帽子をそっと返した。
目を閉じて黙祷した。
「朝倉・・・励ましてくれてありがとう」
男は小さく呟いた。
そして、立ち上がりその場を離れようとしたとき。
「がんばってね」
由香の声が聞こえた。
男は空を見上げた。
青い空。
白い雲。
そして、帽子が空に舞っていた。
男は一筋、涙を流し力強く頷いた。
一瞬うつむき、すぐに笑顔になる。
彼女が好きだった笑顔に。
そして、男はゆっくりと歩き始めた。