猫
第五話
「はぁ〜つかれたぁ〜」
すっかり静まり返った夜の商店街を歩く一人の女性。
赤のTシャツにGパンという質素な服装。
茶色に染めた髪。
ファンデーションだけの化粧。
手には小さなバッグ。
その女性、由香はバイトを終え、家路に急いでいた。
突然、バッグに入れた携帯が光る。
あかぬけた着信音が街に響いた。
慌てて携帯を取り出す。
携帯のディスプレイにメールのマーク。
「今から行くわ」
祐二からのメッセージ。
歩く足が止まる。
携帯のディスプレイを凝視し、少し口元が緩んだ。
「・・・ばか」
小さく呟き、再び歩き出す。
携帯を握り締め、少しだけ歩くスピードを速めた。
歩くこと10分。
由香のマンションに到着。
エレベータで3階へ上がる。
エレベータを出ると一人の男が座り込んでいた。
その手には小さな猫が指をがじがじと噛んでいた。
「・・・お・・・おう・・・お帰り・・・」
祐二は照れ臭そうに言う。
由香は少し苦笑して、
「まぁ、家でも入りなさいよ」
とドアを開けた。
祐二はおずおずと由香の後に入っていった。
綺麗に片付いた部屋。
部屋に入った瞬間、ラベンダーの匂いがした。
アロマテラピーのようだ。
テーブルには雑誌や化粧品が散乱している。
部屋の隅にはテレビとMDコンポ。
そのそばには、シングルベッドが置いてある。
由香はバッグを置き、電気をつけチェック柄のカーテンを閉めた。
祐二はかなり挙動不審だった。
これから修羅場になることがわかっていたからだ。
そんな祐二のことを知るはずもなく、猫は祐二の指をがじがじと噛んでいた。
「さぁて・・・いっぱいお話しましょうねぇ・・・」
ゆっくり振り返り、由香は不気味に言った。
にやりと笑い、上目遣いで祐二を見つめる。
既に目が座っている。
「はああああっ!!!」
祐二は思わず悲鳴を上げる。
そして、後ずさり。
猫を抱いていた手に力がこもる。
「うにゃあ」
猫が唸るように鳴いた。
ふと、由香の表情が変わった。
「その猫、どうしたの?」
「あ・・・こいつ俺にぶつかってきたがったの」
今日あったことを思い出し、一人で笑い出す祐二。
「な・・・なによ!一人で笑い出して」
由香がちょっと拗ねる。
祐二はその場に座り込み、今日あった出来事を話し始めた。
数十分後・・・
「きゃはははは〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
由香は爆笑していた。
「なぁ、こいつおもしろいだろ?」
祐二も同じく爆笑していた。
そんな笑い者の猫は由香の腕の中でスースーと寝息を立てていた。
しばらくの沈黙。
2人はお互い、黙り込む。
5分・・・10分・・・
お互い一向に口を開こうとしない。
ただ、かわいい顔をした猫の寝顔を見つめていた。
「・・・ごめん・・・」
「えっ?」
「・・・誕生日、忘れちゃうなんて最悪だよな・・・」
「・・・」
「・・・それから、今まで連絡しなくてごめん・・・」
「・・・」
「・・・自分が悪いのにあんな言い方されたから意地になってた・・・」
「・・・」
再び沈黙。
祐二がちらっと由香を見る。
由香はずっとうつむいていた。
<やっぱり、怒ってるかな・・・>
祐二は再び目線を眠っている猫に向けようとしたときだった。
「・・・あたしも・・・ごめんなさい・・・」
「えっ?」
「・・・ひどい言い方したから・・・」
「いや、由香は悪くないよ」
「・・・でも・・・」
祐二は再び顔を上げる。
由香の表情が少し暗かった。
そして、少し肩が震えていた。
しょうがないなぁと祐二は由香を抱きしめた。
「・・・あ・・・」
「・・・会いたかった」
「・・・私も・・・」
「・・・ごめんね」
「・・・うん」
しばらく2人は抱き合う。
猫を抱いていた由香の腕が緩くなり、猫が落ちる。
びっくりした猫は目を覚まし、一端2人の下を離れる。
「にゃーん」
2人の姿を見て、猫が鳴いた。
その声に2人は応じない。
ただ、恋人の姿がそこにあった。