天正8年(1580)11月、筒井順慶は郡山城を与えられて郡山城に入城した。
この時信長の命令で明智光秀が工事の見回りに来たり、天守閣を急造した。
本格的な郡山城築城は、天正13年(1585)9月に豊臣秀長が入城して、100万石の居城にふさわしい城造りがなされた。 以後水野、松平、本多氏等徳川譜代の功臣、名家の居城となった。
その後享保9年(1724)、柳澤吉里が15万石で入城し、信鴻・保光・保泰・保興・保申と続き、明治維新まで147年間在城。
金魚はこの時、吉里が甲斐の国(山梨県甲府市)より持参、飼育したのが始まりです。 野面積の城壁には佛石に類するものが多く使用されており城郭史上特異なケースとして知られている。
昭和55年、築城400年を記念して追手門、東隅櫓、多聞櫓が復元された。
蛇足ではあるがこの復元に際し現場で仕事を指揮した棟梁に我が家も建てて貰っている。
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