Scientists and Society

電磁誘導に関してよく似た発見をほぼ同時に行なったファラデイとジョゼフ・ヘンリーの経歴を簡単な年表にまとめておく。本年の講義ではファラデイに焦点を合わせているのでヘンリーについてはほとんど調べがついていない。しかし、多くの事実が列記されている背後には、科学者と、技術や社会との関わりを見るための多くの材料が横たわっている。そのうちのいくつかを掘り起こしていくつもりである。[Sources of the Images: Faraday's portrait, Royal Institution; Henry's portrait, Burndy Library, both from Williams 1965, and modified by S. Uchii.]






ハレ、R 『世界を変えた20の科学実験』(小出・竹内・八杉訳)産業図書、1984。

Cantor, G. (1991) Michael Faraday: Sandemanian and Scientist, Macmillan, 1991.

Thomas Coulson, "Henry, Joseph", Encyclopedia Americana, 1967.

A. E. Moyer, Joseph Henry, Smithsonian Institution Press, 1997.

Williams, L. Pearce (1965) Michael Faraday, Chapman and Hall, 1965.

Dictionary of Scientific Biography, ed. by C.C.Gillispie


1791.9.22 ロンドンで生まれる。父は鍛冶屋の職人でサンデマン派の信徒。

サンデマン派とは、18世紀にスコットランド教会(プロテスタント、長老派)から分派し、聖書を文字どおり解釈し、その教えを実践しようとするグループである。創始者はJohn Glas (1695-1773) であるが、Robert Sandeman (1717-1773) がこの派の拡張に貢献し、アメリカにも信者を広げた。 新約で説かれたキリスト教の王国は永遠の霊的な王国であり、この世の世俗的な国や政治とははっきりと区別されるべきだという解釈を教義の基本とする。真のキリスト教徒の関心事は前者であるとみなし、宗教的な組織や世俗世界の政治その他のことがらには二義的な意味しか認めない。もっとも、世俗の権威に対する服従は一般的に認める。 階級的な聖職は認めないが、原始キリスト教にならって、elder と deacon という二つの役割は認める。エルダーは道徳的に高潔な人格を有する者で、会衆のなかから選ばれて指導的な役割を果たす。ディーコンは貧者や弱者の面倒を見る。 [Cantor 1991, 31]

1812 製本職人として働くかたわら、City Philosophical Society の会合に出かけて勉強する。この年、王立研究所におけるデイヴィの講演の入場券を手に入れて聴講し、大いに感銘を受ける。講演のノートを清書して製本し、デイヴィに送って面会を求める。

Humphry Davy (1778-1829) 電気分解の技術を使って数々の元素の分離、発見に成功した。 ナトリウム、カリウム、カルシウム、バリウム、ストロンチウム、マグネシウム、ホウ素など。王立研究所の地下に優れた実験室を作り上げ、優れた講演者として名前をあげた。 高等教育を受けていない無名のファラデイを王立研究所の助手として採用し、電気化学やそのほかの分野でのファラデイの研究を指導したが、後に師弟の間で確執が生じた。For more on Davy, see

1813.3.1 王立研究所でデイヴィ(すでに王立研究所は引退して名誉職、しかしRoyal Society 等を通じてまだ大きな影響力を有す)の助手として働き始める。 秋にはデイヴィ夫妻の伴をしてヨーロッパ旅行に出かけ、多くの科学者と面識を得る(18カ月間)。

1816 炭鉱の安全灯(デイヴィと共同)、最初の論文

1818-24 合金鋼の研究と製作

1820-26 有機化学 (ベンゼン等の発見)

1821 電磁回転の発見。結婚、サンデマン派に入信の誓約

1823 気体の液化

1825-31 光学ガラスの製法

1826 金曜講演、クリスマス講演の開始(科学の啓蒙、教育)

1831 電磁誘導

1832 いろいろな種類の電気が同等であること。Deacon

1833-36 電気分解の法則


1835 減圧気体中の放電

1836 ファラデイ・ケージ。コンデンサを使った誘電(透電)率の研究。

1840 Elder

1844 Excluded (March; 女王に招待され、安息日の集会を欠席した。そしてその行為に対する後悔を示さず、自己の正当性を抗弁した) and Restored (May)

1845 光、電気、磁気の関係、ファラデイ効果。常磁性と反磁性

1846 場の理論の先駆け


1849 重力と電気力の関係についての考察

1857 金属コロイド中での光散乱の研究

1860 Elder

1867.8.25 ハンプトン・コ−トにて死す。

[トーマス1994、Cantor 1991 等を参考。See also]


1797.12.17 ニューヨーク州オールバニで生まれる。銀細工の徒弟修行を行い、演劇に興味をもつかたわら、オールバニ・アカデミーの夜学で数学、物理学、化学などを学ぶが、その過程でアカデミー校長のベックの化学実験助手に採用され、解剖学や生理学も学ぶようになる。

1825 ニューヨーク州南部の測量にたずさわる。

1826 オールバニ・アカデミーの数学と自然哲学の教師に任命され、電磁気の実験を始める。強力な電磁石をつくる。

1831 一マイルの長さの電線を通じて電気のベルを鳴らす実験に成功。電気モーター(回転ではなく振動)の製作。論文の発表が遅かったため、電磁誘導の発見はファラデイに栄誉を譲る。

1832 ニュージャージー・カレッジ(プリンストン大学の前身)の自然哲学教授。多くの電気機器の発明。リレー、変圧器など。気象学の研究にも手をつける。

1837 半年あまりにわたってロンドン、パリ、エディンバラなどを訪れ、ヨーロッパの科学の状況を視察する。

1846 スミソニアン研究所の初代所長に。科学的な気象予報の研究、灯台の改善。多くの政府機関のプロジェクトに参与。

スミソニアン研究所での彼の活動は、Dictionary of Scientific Biogrtaphy では次のように記述されている(Nathan Reingold)。

With views so different from the norm of his time and places, Henry arrived at a conception of the scientific community little understood by many of his contemporaries: a small group of trained, dedicated men meeting internationally recognized standards and engaging in free and harmonious intellectual intercourse among themselves. Henry, as secretary of the Smithsonian, attempted to symbolize this ideal in America. His success in forming the Smithosonian according to his ideals is a credit to his astuteness as an administrator and the broad recognition of his preeminence in the American scientific community. This success also rested on the compatibility of Henry's views with the beliefs of a significant number of educated laymen. (279)

Henry was firmly against Smithonian involvement in applied research, the American environment, in his view, providing more than adequate incentive for such work outside the institution. In taking this position he was not at all like the pure scientists of the next century who inhabited ivory towers; the record is replete with instances of concern with applications. What Henry was upholding was the logically anterior role of pure science, the assumption of chronological priority following naturally from that position. (280) In his relations with the U.S. government Henry also struck a note persisting down to the present. Although very successful in gaining support in Congress and in the executive branch, he continually worried about political patronage forcing ill-trained men on scientific organizations and directing research into unworthy channels. (280)

1868 National Academy of Sciences の会長

1878 ワシントンDC で没、盛大な葬儀が行われ、後に研究所前に銅像がたてられる。

[Thomas Coulson, "Henry, Joseph", Encyclopedia Americana および Dictionary of Scientific Biography の項目, A.E.Moyer, Joseph Henry, 1997を参考]

See also Joseph Henry Papers Project, "Joseph Henry: Who was He?" and the sequel, Smithsonian Institution


Last modified April 21, 2003. (c) Soshichi Uchii