The Ethics of Science

第7章 原水爆への反応

唐木順三がらみで見ておくべき文献

○まず、原爆がどのようにして開発されたか、事実の概略を把握しておく必要がある。この関係でお薦めは、

○唐木順三の1980年の遺稿で手厳しく論難された武谷三男は、次の本で反撃した。

この本は、別に左翼のシンパでなくとも(わたし自身は「弁証法」が大嫌い)、大変面白いので一読の価値がある。例えば、唐木が攻撃した、武谷の戦後の論評もふんだんに引用されている。一例を挙げよう。

今次の敗戦は、原子爆弾の例を見てもわかるように世界の科学者が一致してこの世界から野蛮を追放したのだとも言える。そしてこの中には日本の科学者も、科学を人類の富として人類の向上のために研究していた限りにおいて参加していたと言わねばならない。原子爆弾を特に非人道的なりとする日本人がいたならば、それは己の非人道をごまかさんとする意図を示すものである。原子爆弾の完成には、ほとんどあらゆる反ファッショ科学者が熱心に協力した。・・・(同書51ページ)

世紀が変わった現在の人々には、この文章の文脈が無視されて、「ひどい文章だ!」と受け取られる可能性が高い。しかし、武谷が注意するとおり、この敗戦を「解放」と受け取った武谷ら左翼知識人の文脈を忘れてはならない。「ヒロシマ・ナガサキの二重の意味」は、唐木には思考の範囲外なのだ。

そのほか、理研で日本の「原爆開発チーム」に参加していた武谷の裏話満載!わたしも、ピッツバーグで昨年一部を紹介した。


(1)「今度生まれ変わったら、科学者にならないで、行商人か鉛管工になりたい、といって死んだというアインシュタインのことばを、深いところで考えてみたいものである。」(唐木順三『朴の木』44)このモチーフは遺稿でしつこく取り上げられるが、まず、引用の仕方がデタラメ。この点は、わたしの本でも述べたとおり、武谷(1982)所収の長崎正幸氏の論文で解明されている。マッカーシーイズムの吹き荒れた時代に書かれたアインシュタインの手紙(『リポーター』誌)を、原典も文脈も調べずに、単なる想像だけで意味を憶測し、勝手に思いこみを付け加える。「深いところで」は常套句だが、単なる問題の先送り(その証拠に、20年後になっても、深い思索の結果は示されてない)。こういうことを諸君らはやってはいけない、という意味で「反面教師」。

(2) 同じような手口は、多くのオッペンハイマー伝記でも使われているので要注意。藤永が指摘するとおり、まず一次資料に遡って、問題とする人たちの発言や記録を確認すべし。フランクやシラード、そのほかについても同じ。適当な引用文をつぎはぎ細工すれば、ほとんどどのような「印象」でも読者に与えることができる。こういった手口をできるだけ控え、恣意的でない記述を目指すのが「学術的」ということ。

(3)シラードを調べるとき、Szanton 1992 は有用。親友ウィグナーの証言を見ておくべし。もちろん、シラード自身の記録と照合してみるべきである。See Szilard Documents

以下の文献は、調べるときの出発点にすぎない。


Last modified May 7, 2003. (c) Soshichi Uchii.

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