シャーロック・ホームズの推理

--- 内井惣七 ---

(このエッセイは、光村図書、中学校国語3、1993年、36-43 に掲載されたもの。この教科書は絶版となったので、ホームページに掲載する。)⇒ For my essay on Holmes in English, CLICK!

推理というのは、与えられた情報と疑問から出発して、その疑問に対する一つの解答を導き出そうとすることである。もし、未知のものが何も含まれず、疑問も生じていないのなら、推理の必要もない。例えば、目の前で犯罪が行われ、それを一部始終見ていたのなら、「だれが犯人で、いったいどのようにしてやったのか」などという疑問は生じない。だから、推理を必要とするのは、情報が不十分で、わからないことが幾つか含まれているような場合なのである。

このような条件の下では、当然、推理が間違うこともある。シャーロック・ホームズのような名探偵でも例外ではない。彼の推理はいつでも正しいのではなく、成功する確率が並外れて高いのだと考えるべきなのである。では、彼の推理はなぜそのようによく当たるのだろうか。ホームズの言葉を手がかりに、彼の名人芸の秘密を探ってみよう。

推理を始めるためには、手がかりになる情報が必要である。この情報には二種類ある。一つはよく整理された知識、もう一つは問題となっている事件の捜査から得られた具体的な事実である。

まず知識についていえば、ホームズは、犯罪捜査に役立つ種々の情報をよく整理して、必要なときにいつでも使えるような形で蓄えていた。例えば、どんなナイフを使えばこういう傷ができるかとか、こういう症状をもたらす毒はどの植物から採れるかなど、実に多岐にわたる知識である。

僕の考えじゃ、人間の頭なんでものは、もともと小さな空っぽの屋根裏部屋みたいなもので、自分の好きな道具だけをしまっておくようにできているんだ。・・・熟練した職人は、頭の屋根裏部屋に何を入れておくか、実によく注意を払うものだ。自分の仕事に役立つ道具だけを選んで、十分細かく分類し、完璧な方法で整理しておくんだよ。(「緋色の研究」)

次に、事件の具体的事実を集める捜査に関しては、彼の鋭い観察力を忘れるわけにはいかない。

ほら、やっぱり!君は観察していないんだ。だが、見ることは見ている。その違いが、まさに僕の言いたいことなんだ。(「ボヘミア王家の醜聞」)

このように、ホームズは、同じものを見てもふつうの者よりはるかに多くの情報を得ている。その情報が、彼の推理を支える一つの基礎になっているのである。

では、推理の前提となる情報を増やせば、それだけで結論の確実さが保証されるのだろうか。残念ながらそれだけでは十分ではない。というのは、手に入る情報の中には、問題の解決にとって必要不可欠なものも、そうでないものもいっしょに含まれているからである。つまり、時によっては情報が多いことも重要だが、もっと大事なのは、問題の解決にとって本質的な情報がそろっているかどうかなのである。では、本質的な情報は、どうやれば見分けることができるのだろうか。

平凡な犯罪ほど、多くの場合よくわからない。なぜなら、そこには人の推理を引き出すような目新しさやきわだった特徴がないからね。(「緋色の研究」)

この指摘からわかるのは、ホームズは事件の特異性にまず目をつけ、それを手がかりにして、事件の真相に迫るということである。言い換えれば、その事件がほかの事件とどう違うのかという点に、その事件の本質にかかわる手がかりがあることが多いということである。このような本質に迫る情報を得るためには、、事実を入念に調べてその特異性を見つけだす観察力と、その背景となる整理された知識が必要なのである。

このようにして、手がかりがある程度そろったら、それらをつなぎ合わせて、事件を解明するための仮説を立てることができる。このときものをいうのが想像力である。

ホームズは、一つの事件について、たちどころに七通りもの仮説を考え出すことができる。もっとも、最初はどの仮説にも決め手がないかもしれない。しかし、新たにわかった事実と突き合わされるにしたがって、確からしい仮説がふるい分けられてくるのである。

このように仮説を立て、テストして真相を推理していく過程は、あるものの断片を見てその全体を当てたり、部分のパタンから全体のパタンを復元する過程によく似ている。例えば、ここに、さまざまな色の玉が入った大きな袋があるとしよう。そして、それらの玉の色別の割合を知りたいとする。最初は全く手がかりがない。しかし、たった数個でもサンプルが出た段階で、多くの仮説は消えて、考察に値する仮説が絞られてくる。赤が三個、白が二個出たとき、「袋の中の玉の九九パーセントは白だ」という仮説は唱えにくい。また、同じ袋の中から無作為に取り出した四十個の玉は、黒が一個、赤が十八個、白が二十一個だとしよう。このとき、「袋の中の玉は、赤と白が半分ずつ」という仮説は消えるし、「黒が半分、赤と白が四分の一ずつ」という仮説を真剣に考える人はいないだろう。

これらの例からわかるのは、サンプルに現れた色の割合が、全体の割合を知るための本質的な情報を含んでいるということである。しかも、われわれは、部分を観察することで全体の特異性や本質に迫る情報を見つけだし、それと合わないものやありそうにない仮説を捨てるという手続きを踏んでいるのである。このように、想像力をうまく使うということは、たくさんの仮説を思いつくということだけでなく、あまり当たりそうにない仮説を効果的に切り捨てるという側面も持つのである。

そこでいよいよホームズの方法の核心部分にきた。彼は、自分の方法が単なる当て推量ではなく、「想像力を科学的に使う」ものだと強く主張している。

いや、確率を秤にかけて、最も確からしいものを選ぶ領域、と言ってほしいですね。それは、想像力を科学的に用いることですが、われわれは推量を始めるための具体的な基盤をいつももっています。(「バスカヴィル家の犬」)

「確率を秤にかけて、最も確からしいものを選ぶ」というと、難しそうに聞こえるかもしれない。しかし、例えば、医者が患者の幾つかの症状から病気を診断したり、生物学者が化石の骨から動物の種類を推定したりするのも、実は同じ方法である。また、ジグソーパズルで、ある場所に入るピースを探すときに、行き当たりばったりにやるのではなく、形や周りの色を参考にするのも同じだといってよい。

それまでの経験や知識と観察力を背景に、最も確からしい解答を求めようという方法は、このように、われわれの日常生活の中でもしばしば使われている。しかし、ホームズが凡人と違うのは、このような考察に含まれる確からしさの判断に実に鋭敏であり、また、大いに神経を使ったことである。そこで、単なる当て推量は最も嫌ったのである。

ホームズが事件の真相にたどり着くときには、部分的な推理が幾つも組み合わされることが多い。その一つ一つについて、彼はより確からしい推理を求め、最善の仮説を組み立てていく。そして最後に、事実による十分なテストを切り抜けて残った仮説が、問題の本質をとらえた正しい結論だと判断される。ホームズが「想像力を科学的に用いる」というとき、彼はこのような手続きを怠らなかった。これがホームズの名人芸の秘密なのである。

⇒ ホームズから何を学ぶか


Last modified, June 14, 2006. (c) Soshichi Uchii

webmaster