私的なスキーの話
スキーを始めた頃 
 スキーを始めたのは大学3年の冬だった。友人に誘われて、大学のスキー講習に参加した。
道具はその友人から買った中古だが、スキー板はオーストリアのBrizzard、靴は日本製だった。
ウエアは従兄弟が使っていない古いものをくれた。
 野沢温泉現地集合で、旅館は決まっていた。(着いた日に初めて野沢菜を食べ、それ以来好きになった)
初めての学生を教えるのは、たまたま自分の指導教官をしている日本史の助教授だった。
 野沢温泉の日陰ゲレンデだったが、初日は曲がることはできたが、なぜか止まることができず、いつも1人で1番下まで滑って行って、登ってみんなに追い付くというパターンだった。転倒だけはほとんどしなかった。意地でも転ばないというのが、当時からのモットーだった。3日目あたりには、長坂ゲレンデを1人で快走したことを覚えている。(どんな技術だったかはあまり覚えていない)
 4年の時、その縁で日本史ゼミに入り、2度目のスキーはゼミ旅行だった。場所は志賀高原一の瀬。泊まったのはホテルこだま。野沢に比べて快適なホテルだった。部屋にトイレ付きというには、当時結構高級な感じがした。コーチはまたも助教授だった。数日滑って上達したとは思うが、一の瀬ファミリーゲレンデの下の方で、滑るだけで、友達同士のジョークで、そこのノンストップ降りが罰ゲームになっていたほどだから(それは絶対不可能なことと考えられていた)、足前はたいしたことはなかったのだろう。
この頃は、シュテムターンをしていたと思う。
 その後ゼミスキーは卒業後も含めて、2回ほど行った。場所は志賀高原、横手山で、ホテルは硯川ホテル。このホテルは壁が薄く隣の音がよく聞こえて、あまりぐっすり眠れない作りだ。(近くのホテルも同じようなものかもしれない)
 ゼミの1年下の女子学生二人がスキー歴も長く、非常にうまかったのだが、常に「女でも滑れるんだから」と、その二人が滑るところはどんなに急な斜面でも、果敢に滑った。おかげで、急斜面やスピードにはだんだん強くなっていた
 その頃は主に、横手山、熊ノ湯、笠岳を滑ったが、後で何回か志賀高原へ行くようになって、横手山、渋峠がお気に入りのゲレンデになった。人が少なく、落ち着いて滑ることができるし、標高が高いため雪質が良く、距離もあって変化に富んでいるからだ。ただ時々渋峠あたりはものすごく寒く、リフトに乗っていられないことがある。口が凍って動かなくなるほどだ。また横手山には、恐怖のガラン沢がある。(ここに入った人で生きて帰った人はいないとゲレンデ案内に書いてあった)
 その頃から、スキーは年に3回くらい行くようになった。5泊6日のバスツアー(車中2泊)で、実質1年に12日くらいは滑っていた。(しかし1日目はいつも睡眠不足で調子が非常に悪い)。

 


浦佐での特訓
 その後いろいろなスキー場で滑った。斑尾高原、赤倉温泉、五竜とおみ、佐野坂高原、乗鞍高原など。志賀高原には1年に1度は行っていた。
 シュテムターンからパラレルターンを目指して滑っていたが、実際のパラレルには多分なっていなかった。しかし斜度とスピードには慣れた。そのうちにステップターンを積極的に取り入れるようになった。何年もの間自己流で滑っていた。そして自分は、どんな斜面でもある程度速く滑ることができるし、中々技術的にもうまいとずっと信じていた。
 スキー歴15年になったころ、スキー道場として有名な浦佐スキー場へ行った。こぢんまりしたゲレンデにはコブ斜面、緩斜面など、練習用にうまくレイアウトされていた。そこでクラス分けすると、来ている中では、上から3番目ぐらいの班に入った。(立ててある札で行くと欠員もあるので8番目ぐらいか) 
 4日コースだったが教師は、1980年ごろSAJデモンストレーターをしていた中林正樹先生だった。その先生は荷重は力を入れるんじゃなく、力を抜くことだと教えてくれた。(最初、5人ほどいた受講生はみんな半信半疑だったが、元デモだとわかってからは、素直になった)そこで自分の滑りが良くないっていうことを思い知らされた。スキー板の上のポジションが重要になるのだが、指摘されて、知らず知らずのうちにずっと後傾で滑っていたことに初めて気が付いた。そこからはずっと後傾の修正だった。力を抜いて、加重したほうがより以上に膝が曲がるし、後傾も直せることがわかった。
 4日間で何とか後傾が直り、少々の悪雪でも(キャタピラの跡でさえ)、足をとられず、きれいに滑れるようになった。
 浦佐へは次の年にも行ったが、もう後傾は指摘されなかった。
 それ以来、滑りが変わり、きれいに滑ることを心がけているが、スピードはやはりある程度出た方が今でも面白い。




カービングスキー
 数年前からカービングターン用のスキーが販売されている。きっと昔の板でも同じことが技術によってできるはず(ずらさない切れるターン)だと思っていたが、最近の本を読んでいるとそうでもないらしい。カービングスキーには別の技術があるという。あの海和でさえ、カービングスキーに苦労したらしい。
 2001年カービングスキーを買った。サロモンの板だ。190センチのスキーを以前は履いていたが、170センチで良いと言う。ついでにロシニョールのソフトブーツも買った。こちらは足入れが格段に楽な、1部皮でできたブーツだ。
 現在までこのコンビで滑っているが、まだカービングスキーになっているか、自分自身でよくわからない。










スキーウエアの歴史
に行く