三限目

道徳
『小学生の社会道徳』

 

◎電車の中で
:最近の小学校って・・・

:ん?

:『道徳』の授業ってあらへんのかなぁ?

:何よ、いきなり。

:いや・・・ワシ、休みが平日やさかいに、どっか電車で出かけるにも、結構空いてる時間帯に乗るんやけど・・・たまに春先とか、小学校の遠足にカチ合うことがあんのよ。

:あぁ! やっかましいのよね、アレ。
はしゃぐし走り回るしで、他の車両に逃げるもの。

:せやろ?
携帯とかヘッドホンとか、まだ我慢できるねん。
学生がたむろして話してるのもまぁ許そう。
せやけど、あの小学生のガキどもが、金切り声で騒ぎ立てるのは、どないにも我慢でけへんねん。

:解るぅ〜〜〜!

:そらな、せっかくの遠足や。はしゃぎたい気持ちはよぉ解るねん。
けどな、そう云う『課外授業』って、本来社会勉強の場であって然るべきモン違うんか!?
それやったら『課外授業』やなしに『加害授業』やんけ。

:・・・文字で云ってるからこその洒落ね。

:それに、信じられへんコトには、その暴徒の群れを統率するはずの先生までが、一緒になって騒いどることや。
騒ぐ群れの中心におって、たまに走り回っとる児童がおったら、車両の端まで届くデカイ声で
『おーい、走らんとけやぁ!』
・・・お前もヤカマシイちゅうねん!

:何だかなぁ。

:極端な例になる思うけど、俺の小学生の時の、電車使った遠足なんか、そらもう厳しかったもんや。
座席に座るなんか許されへんかったしな。
車両の真中を二列になって、ずっと立ってたもんや。
しゃべったりしても怒られたんや。

:うっわ、きっつぅ。

:そらな、極端な例やとは思う。
思うけどな、今は逆にそれで良かった思ってる。
そら俺かて聖人君子やあらへんから、他人に迷惑かけとぉ事かて山とあるけど、
それでもまだ善悪の判断はできる人間になった思ってる。
小学校時代の、道徳教育のおかげでな。

:何か、道徳の授業って削除されたんと違った?
記憶違いかも知れへんけど。

:嘆かわしいなぁ・・・学校って『人間形成』の場と違ったんかいなぁ・・・?
勉強教えるだけやったら塾でえぇやん。
学級崩壊とか言うけど、原因ってそこいらへんにあるんとちゃうか?

:それだけやないとは思うけどね。

:そや、それだけとちゃう。
原因は家庭にもある。いや、むしろ家庭での教育こそが、今おろそかになっとるんちゃうかと思う。

:例えば?

:例えば、っちゅうのは難しいなぁ・・・せやなぁ、今、学校で先生がよぉ生徒や児童怒らへんやろ?
あれ、生徒やなしに親が怖ぁて怒らへんねん。

:親かぁ・・・親はやっかいよね。特にPTA系オバハン。

:ちょこっと児童こづいただけで、犬みたいにぎゃんぎゃん吠え立てよる。
そら、何の理由もなしに暴力振るったちゅうならともかく、怒るのに出席簿で頭ペチンてやっただけでも、それや。
センセもたまらんで、ほんま。
俺らの時代は、そらもうビシバシどつかれたもんやったわ・・・せやけど、先生恨んだりはせぇへんだな。
自分が悪いことやってるちゅうのを知っとったさかい。
今は廊下に立たされるとかもないんとちゃうか?

:でも、子供も悪いんとちゃう?
みんなの前でたたかれて恥かいたぁとか思って、親にいいつけるとか。

:いや、それもこれもな、親が自分の子供をよぉ怒らへん、どつかへんってのがそもそもや。
子供なんかな、善悪の判断よぉでけへんのにから、それを解らせよぉ思ったら、悪いことしたらドツクんが一番ちゃうか?
そら虐待レベルまで行ったらあかんに決まっとる。けどな、子供ってそないして、やったら怒られることってぇのを身体で覚える必要があんねん。
最初から頭で理解できる子供なんかおるかいな。

:ウチの子に限って〜〜〜ちゅうのも原因やわね。

:それが一番やろなぁ・・・諸悪の原因や。
どこの家庭でもそない思っとるっちゅうねん。
子供なんかな、親の前ではネコかぶるモンや。それを見抜けんで、何が親やねん。
普段のコミニュケーション足らへんさかいに、そないなコトも見抜けへんのやろなぁ・・・

:最近、子供かて、塾だなんだで家におらへんもんね。

:ワシの時代でも塾とか多かったけど、それでも一緒にテレビ見たり、食事したりして、家族の時間ってモンがあったわな・・・ある意味、かわいそうなんかも知れんな、最近の子供って。

:・・・・・・。

:この前、TVで幼児教育の方法とかってやっとったんやけど、出産直後の赤ん坊の頃から、身体やら頭やら摩ってやることによって、頭が良ぉなったり、成長が早ぉなったりするんやて。
それもやっぱりコミニュケーションの結果が生み出すモンやろ?
それを忘れるんやなぁ・・・親も。

:・・・・・・。

:よそ様の子供も怒ることまかりならん世の中や。
これから先、どないなるんやろなぁ・・・。

:暗い話・・・。

<< 結論 >>

体罰は必要悪也
他人の子供でも叱れる勇気を

 

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