奈良県大和郡山市
(平成12年2月1日現在)
奈良県で四番目の人口 |
市民憲章
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一、進んでまちづくりに参加し ともに住みよいまちをつくります 一、恵まれた自然を大切にし 清潔で美しいまちをつくります 一、多彩な産業を生かし 活力に満ちたまちをつくります 一、歴史に学び 文化を誇る 豊かな郷土をつくります 一、お互いを尊重し 平和であたたかい社会をつくります |
歴史
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中世末期、織田信長の信貴山攻めで松永久寿は自害、以後大和一円の支配者となった筒井順慶は、天正8年(1580)筒井から郡山城に移りました。その後秀吉の政策により、天正13年(1585)豊臣秀長が大和、和泉、紀伊の三カ国の太守となります。この頃から現在の城郭中心部が完成し、城下町においては奈良の商売を禁止し、内町13町では税金免除の特権を与え、同業者を求めます。また箱本と呼ばれる自治制度をつくりました。 |