奈良県大和郡山市
     (平成12年2月1日現在)
面積
42.47平方km
人口
94、838人
46、035人
48、803人
世帯数
33、697世帯




奈良県で四番目の人口



市民憲章

    一、進んでまちづくりに参加し ともに住みよいまちをつくります
    一、恵まれた自然を大切にし 清潔で美しいまちをつくります
    一、多彩な産業を生かし 活力に満ちたまちをつくります
    一、歴史に学び  文化を誇る 豊かな郷土をつくります
    一、お互いを尊重し 平和であたたかい社会をつくります


歴史

 中世末期、織田信長の信貴山攻めで松永久寿は自害、以後大和一円の支配者となった筒井順慶は、天正8年(1580)筒井から郡山城に移りました。その後秀吉の政策により、天正13年(1585)豊臣秀長が大和、和泉、紀伊の三カ国の太守となります。この頃から現在の城郭中心部が完成し、城下町においては奈良の商売を禁止し、内町13町では税金免除の特権を与え、同業者を求めます。また箱本と呼ばれる自治制度をつくりました。

 その後、慶長5年(1600)年の関が原の戦いで破れ、領地没収、城取壊しの上、廃城となった郡山城ですが、徳川政権となってからは、石垣、堀、城郭の修築を進められました。そして享保9年(1724)柳沢吉里が甲府から転封、以後明治まで150年間藩政を司ることになります。このようにして強い権力に支えられて発展してきた郡山ですが、明治維新後はその「後ろ盾」を失うこととなります。

 明治維新から100年が過ぎた大和郡山市。近世城下町の歴史地区は高層マンションや新築住宅の建設で、無秩序な開発が進められ、その勢いは加速されつつあります。このままであれば、先人より伝えられた有形無形の歴史遺産が消滅していこうとしており、また近鉄、JR駅前の再開発は遅々として進まず、ホテルの計画は白紙になっています。今こそ21世紀に向けて魅力ある町つくりのためにどうすべきかが問われており、アイデンティティのある町つくりに、他の町にはない歴史遺産の活用が必要なのです。

 町衆は町家に住み、伝統ある技術を伝え、ものを作り、誇り高い文化を伝えてきました。伝えられた技術や文化を伝えていくことが大切だと考えています。



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