萩の台泉光寺の薬師如来

 「生駒の古道」によると、生駒三薬師は「枯木薬師」、「峯の薬師」、「西菜畑の薬師」だそうです。ところが、「生駒市石造遺物調査報告書」によると、「峯の薬師」でなく、「萩の台泉光寺の薬師」が採用されています。像立年代はというと、枯木薬師、西菜畑薬師が鎌倉時代、泉光寺薬師が室町時代、峯の薬師が意外に新しく安政六年(1859)ということです。安政六年はもう幕末ですから江戸時代の三薬師は泉光寺薬師で、明治以降に地位が交代したことになります。しかしどちらが三薬師の御本家かなどを考えても仕方がありません。ここでは三薬師に数えられたこともある泉光寺の薬師如来と、付近の高齢のご婦人から聞き取ることができた泉光寺廃寺のエピソードをご紹介します。

 萩の台泉光寺は「生駒の古道」で紹介されている「矢田道」沿いにあります。現在は廃寺で住む人はありません。奈良県宗教法人名簿には次のように登録されています。

黄檗宗 泉光寺 萩の台1090 尾関秀道 昭和27年8月20日

 昭和26年に宗教法人法が施行されてまもなく登録されています。「矢田道」で紹介されている生駒線踏切近くの道標と、石福寺のちょうど中間あたりになります。道標から東へ進み、左手(北側)の小山に登る二本目の道を登ったところにあります。一見お寺には見えない民家で、ゴミ焼用のドラム缶が目立ちます。庭には石仏は見当たらず、薬師如来が居るはずと知っていなければ、そのまま帰ってしまいます。実は私も一度目に訪問した時はそうでした。

 泉光寺跡

 「生駒市石造遺物調査報告書」の資料部分(一覧表と写真)はしょっちゅう利用しますが、文章はほとんど読んだことがありませんでした。ある日気が向いて文章を読んでいると、生駒三薬師として、泉光寺薬師があげられています。これは面白いと早速出かけました。せっかく出かけますから、何度も訪問してはいるのですが、付近の石造遺物も再確認しておこうと、道標向かいのお地蔵様の写真を撮った後、道標の写真を撮り、銘文をさすっておりますと、挙動不審と見たご近所の高齢の婦人が、不審尋問してきました。(ほんとは優しく話しかけてこられました。おばあさまありがとうございます。)

   
 道標向かいの地蔵堂  道標

 「この道標変でしょう。右大阪って間違っていると思いますけど。私はずっとここに住んでいますけど、みんな、『おかしい、向きが間違っとるんとちゃうか?』と言うてますねん。」
 「なるほど確かに変ですね。位置を少しずらして埋めた時に向きを間違えたのかもしれません。でも、大阪がこっちへ来ると、ほかがおかしくなりますね。分からない。」
などとたわいもない話をしておりまして、
 「ところで、この先に泉光寺さんがありますね。有名な薬師様がいらっしゃると言うことで今日はお参りに来ました。」
と水を向けると貴重なエピソードを話してくださいました。
 「泉光寺さんは今は廃寺ですねん。昔は尼寺だったんですわ。尼さんがいらっしゃって私が子供のときはお祭りでいっぱいいただいて帰ったもんです。尼さんにはお子さんがおらしませんでっしゃろ。女の子の孤児を引き取って後継者にしてはったんですね。それが、最後になった庵主さんが恋をしはったんですわ。それで結婚しはった。尼寺に男の人は入られしまへんやろ。それで、庵主さん寺を出ることになって、それ以来無住のままですねん。」
 「宗教法人名簿には男の代表者が書かれているんですが?」
 「男の人が住んだことは知りまへんわ。ずっと誰も住んではらへんですよ。ただ、法要やなんかは大門町の何という寺やったかのお坊さんが来てやってくれてますねん。」

 その他、いろいろとお話を聞きましたが、泉光寺についてはここまで。少し解説を入れると、「お祭りでいっぱいいただいて帰った」のは卯月八日花祭り(釈尊の誕生祭)で甘茶をいただいたことです。私のような田舎育ちの爺さんには当たり前のように分かってしまいますので「何のお祭りで何をもらったのですか?」などと質問はしません。大門町の何とかというお寺は後で調べて、同じ黄檗宗の大福寺と分かりました。さて、最後の庵主さんが尼寺を出たのはいつ頃のことかというと、おばあさまの推測年齢と少女だった頃という証言から戦後すぐのことと推測できます。ここで、宗教法人名簿の登録事項が手がかりとなります。先に泉光寺の登録内容を記述しましたが、もう一度、大福寺の登録と並べてみます。

黄檗宗 大福寺 大門町267  尾関正道 昭和27年8月20日
黄檗宗 泉光寺 萩の台1090  尾関秀道 昭和27年8月20日

 つまり、昭和27年までの出来事ですね。後を託された大福寺さんでは泉光寺の宗教法人登録をどうするか、廃寺か存続か悩まれたと思いますが、再興の可能性を残すため、大福寺の方の名義で登録されたのでしょう。これは後で調べたこと。当日の私はおばあさまにお礼を言って、泉光寺に向かいます。庭には石仏はありませんので、探索は北の丘です。建物右手(北)の丘の方へ行くと登り道がありました。小高いところに薬師様がいらっしゃいました。、

 左端の仏様が薬師様

 薬師様だけ拡大しました。

 最後の庵主さんはお寺を去る前にこの薬師様の前で、お祈りをしたことでしょう。そのときの庵主さんの心情を想像すると、戦後の価値観の変動期に、恋に生きるか、信仰に生きるかで葛藤した女性の姿が思い浮かび、一編の小説が書けそうな気がしてくるのですが、残念ながら私には文才がない。この聞き取りを記録にとどめて終わりということになります。

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