井出山の七ツ井地蔵

この地蔵はNO743の「小平尾南少年グラウンド横」の地蔵様のことです。グラウンド周囲をかなり広範囲に捜索しましたが、全く見当たらない。やむを得ず捜索願を出してご協力をお願いしておりました。その後、所在地が間違っていることに気づき、追加情報を加えました。以下が捜索願の記事です。新ページを立ち上げたのは発見できたせいです。目出度し目出度し。


NO 所在地  資料名称  総高 像高 幅  厚  時代 
743 小平尾町
小平尾南少年グラウンド横
地蔵菩薩像 97.5 65.0 56.5  30.3 桃山

写真の感じからするとグランドの隅っこという感じなのですが、グランドを一周しても見当たりません。施設の職員の方に聞いても思い当たらないらしい。周囲の道沿いには全く見つかりません。こんなものを捨てる人もないと思いますのでどこかへ移ったと思うのですが。

追加情報:

「生駒谷」を読んでおりますと、「”小平尾付近”の出合い」の項に「七ツ井の地蔵」が出てきます。調査報告書には記載がありません。報告書に記載がないのがおかしいのですが、写真を見ると、「小平尾南少年グランド横の地蔵菩薩」そっくりです。

データは「地蔵石仏 81×54センチ 紀年なし」となっており、幅は許容範囲ですが、高さがかなり違います。生駒谷の写真では下部が埋もれているような気がしますので、その差と考えられます。とにかくこんなに似た地蔵が他にあるわけもない。同じものだと推測できます。

さて生駒谷が説明する所在地はというと、
「小平尾町井出橋東300メートル・近鉄線路の手前に七ツ井地蔵がある。土地の人は首洗い地蔵ともいって、信仰の篤い石仏でいつもお花が絶えない。昔は矢田へ通ずる要路でもあった。」
と記載されています。井出橋というのは井出山橋の間違いですが、この付近は生駒谷の調査時とはかなり違っています。下は調査時の地形図です。井出山橋は現在少し移動しているので旧井出山橋としてあります。東へ行くまともな道が書かれていませんが、まあ道はあったのでしょう。「矢田へ通ずる要路」という表現から候補地は二ヶ所です。候補地Aは橋の東200m、候補地Bの距離が妥当ですが、川の東が崖記号になっていて、道がありそうではない。しかし、とにかくこの二地点の間を近鉄に沿って歩けばありそうだということになります。さて、現状はどうなっているかというと、調査報告書の調査年である1990年では、候補地Aと候補地Bの間に井出山グランドができています。グランド違いの間違いのようです。

さて、そこで両候補地間で捜索し、首洗い地蔵さんが見つかれば目出度し、目出度しで、このページから削除されるのですが、見つかっておりません。萩の台駅から東山駅までの範囲を捜索したのですが見つからず、まだこのページに残っています。どうやら、遷座しているようです。ただ、調査報告書の「小平尾南少年グランド横」は間違いで、「井出山グランド横」だったのだろうと思います。従って捜索願は「小平尾南少年グランド横」にあった地蔵ではなく、「井出山グランド付近にあった首洗い地蔵」に切り替えることにします。


 上記のように一度探しにいったが見つからなかった顛末を記述しております。しかし、捜査の基本は「現場百遍」、百遍は無理でも二度ぐらいは行こうと出かけました。調査報告書の写真は地蔵様の後にグランド柵のようなものが写っていますよね。これに惑わされて、一度目はグランド周辺の柵周りばかり見ておりました。今回は同じところを見てもダメに決まっていますから、少し広い心で柵のそば以外を見ておりますと、グランド南の駐車場のに植え込みが見つかりました。駐車場の敷地を削って駐車スペースを減らしています。前回はこんなものが見えていなかった。これでは口の悪い執事から「失礼ながら、おじいさま、もしかしてあなたの目は節穴でございますか。」と言われても、「クビよ、クビー」(某国大統領のセリフではありません。)と叫ぶ気力も出てこない。幸いにして我が家やその周辺には執事はいませんので、このような悪口を言われる心配はない。ラッキーガーデンにはヒツジがいますが、メーというだけで悪口は言わない。とにかく私の目は節穴でした。
 植え込みの中には七ツ井の地蔵(首洗い地蔵)がいて、サイズはことごとく、調査報告書の「少年グラウンド横」の地蔵データと一致しました。間違いありません。
 場所は井出山グランド南、駐車場の中の植え込みです。上の1975〜1979年地図では候補地Bの少し北で、推理は的確だったのですが、目が節穴でした。

 最初の捜査ではこんなものを見逃しました。

  調査報告書の写真と似せてみました。

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