二等三角点東畑の歴史と現状

YAMAPレポで生駒市と精華町の境界上にある二等三角点東畑を訪ねたことを報告しています。行ったところ奇妙なことがありました。三角点石柱が2本あるようなのです。

 南のもの、国土地理院HPの遠景写真でも右下に一部写っています。

 北のもの、国土地理院HPの点石はこちらです。

ここで、南のものをよく観察すれば良かったのですが、写真も撮ったし、あとで写真を見ればわかるだろうと、南のものは石柱上の記述をよく見ず引き上げてしまいました。帰ってきてから写真を拡大しても小さくて文字が読めない。そのため、形状から三角点が2つあるのではないかなどと考えて、それなら大変なことだ・・・という内容の記事にしてしまいました。しかしどうしても気になって本日(2018/12/23)再訪してきました。
再訪すると何のことはない、住宅・都市整備公団の点標でした。しかし、保護石もあって、三角点とそっくりな標石があるものです。

 12cm×12cmでした。

ところで、この三角点は二等三角点でありながら、かなり新しいものです。もともと、三角点東畑は現位置でなく150mばかり北方の、やはり府県境上で標高200mほどの山上にありました。下は明治41年測地図です。地図左で南北に通じる道は東畑から北川沿いに柘榴へ続く北川越道です。

下が現在の地図です。三角点のあった山は消失しています。三角点山の跡地が住宅になっているわけではありませんから、土砂採取のために削り取られたものであることは明らかです。現三角点から稜線を北上すると、断崖絶壁に突き当たるのはこのためです。現行地形図はその断崖を表現しておらず不十分です。

もとの三角点は明治34年(1901年)に設置されたようです。それが昭和52(1977年)年に再設となっています。不思議なことに基準点基本情報では「1974年以降観測されている」と記述されています。どうも良くわからない。点の記の記述から判断すれば、1974年にはこの三角点は存在してないと思われるのですが・・・
【追記1:この部分は基準点基本情報に対する私の理解不足で、基本情報欄の記述は1974年に観測したという意味ではなく、「1974年より前の古い観測記録ではないから信頼できます」という意味だそうです。1977年観測で記述に矛盾はなかったわけです。】
昭和42年(1967年)改測図では山は存在していますが、三角点が記されていません。昭和52年(1977年)修正図では、山はまだ存在しているようですが、南からゴルジ記号が浸食してかなり削られている様子が見て取れます。北北東に向かって土砂の搬出道が新設されていることもわかります。この年に新三角点が誕生しているはずですが、地図記入されていません。昭和58年(1983年)二改図では旧三角点北も削られ、もはや山はありません。この時点では新三角点がしっかり存在しているはずですが、地図記入は忘れられたようです。平成8年(1996年)修正図で新三角点が現れます。この頃は光台付近はほぼ現在の様子と同じになっています。旧三角点山北部の土砂搬出は鹿畑方面への道に変わったようです。これによって北川越の道で東畑から南へ進んでいた部分は跡形もなくなったと推測されます。
【追記2:地図では北北東に向かう土砂搬出道が描かれてないので、鹿畑へ南下する道が土砂搬出に使われたのだろうと思い込んだのですが、現地調査(2019/01/07)してみると、この道はトラックが通れるような道ではありませんでした。土砂は地図に道が描かれてないだけで、やはり、東畑方面へ運ばれたようです。】

 右は平成8年(1996年)左は平成7年(1995年)で少し食い違いがあります。北川越道付近が土砂採取場となっています。

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