小瀬のホンミチ

 石造遺物調査報告書の遺物確認を始めて、生駒市の墓地についてめっぽう詳しくなってしまいました。最近の○○霊園はWEBページで宣伝していますが、古くからの村の墓地は地元の人しか知らないし、普通に道を歩いていてもなかなか出会えない。国土地理院地形図に墓地マークがついているものは少ない方で、ほとんどはGoogleEarthで空から見当を付けて探索に向かうことになります。大抵これでいけるのですが、西畑町は難儀しました。森の中のものが多く、空から見えないんですね。しかし、何とか見つけることができました。
 ところでこのページの趣旨は「生駒の古道」の重箱の隅をつつくことでありまして、ここからが本題です。ほとんどの人は古道巡りをして、「生駒谷のホンミチ」の項など読まないと思いますが、私の場合、墓について参考になることはないかと「生駒の古道」の「ホンミチ」の項に目を通したわけです。そこで「あれ?」と思った記事です。
 P.161の輿山墓地へのホンミチの注(2)に小瀬のホンミチにあった迎え地蔵さんの注があります。「六字名号碑 輿山墓地駐車場上に移設されている。銘文は『生駒市石造遺物調査報告書』のNO662参照」とあります。この番号が間違っているんですね。NO662は確かに六字名号碑で銘文は「寛文八年」(1668)なのですが、これは石仏寺のものです。下写真のNO662は調査報告書の資料写真、その右の「石仏寺六字名号碑」が私の写真です。銘文が摩滅したか苔むして読み取りにくいのですが、移設されずに現存しています。従って間違いは明らかですが、さて、なんと間違ったのか。おそらく、NO622です。662と622、いかにもありそうな間違いです。NO622のほうは萩原町880番地という現在は存在しない地番になっていて、まさしく移設されています。移設先は輿山墓地駐車場上で矛盾がありません。「天正十三年」(1585)の銘があります。下に参照すべき銘文を掲載しておきます。数字に*がついているデータは破損や埋没で正確に分からないものです。

NO 所在地  資料名称  総高 塔高 厚  紀年銘 西暦 時代 銘文  備考 
622 萩原町880番地 六字名号板碑 142.0 136.0 41.7 21.0 天正13 1585 桃山       萩原十五日念仏人数五十一人敬白
南無阿弥陀仏
      天正十三年 乙-酉 三月吉日六斎衆廿六人
輿山墓地下住宅地
内、他に一、二尊像
多数あり
662 藤尾町石仏寺 六字名号碑 *73.0 37.0 20.0 寛文8 1668 江戸       寛文八年
南無阿弥陀仏(法名多数)
 
   
 NO662  石仏寺六字名号碑  NO622 輿山墓地駐車場上の
六字名号板碑

メニューページ