教弘寺道の顛末

教弘寺へ続いていたと思われる明治の地図記載の道の探索です。造園業者私道から庄兵ヱ道と五辻を結ぶ道の間はたどれています。その南で何とか道が見つからないかと探索しました。
すでに報告した謎の石垣から南です。起点は「A」点としてあります。探索した道は青破線で示しています。

A点から道のような所を進みますと、すでに報告した石垣です。邪魔な倒木を乗り越えて進むとなんと道路標がありました。

 石垣

 石垣南の道路標

こんなものがありますので、気をよくして進むと、抜けて転がっていましたがもう1本見つかる。さらに気をよくして進みますが、幸運はそこまで。道の痕跡がない。もちろん道路標も見つからない。下生えの少ない樹林なので、道であろうと無かろうと進んでいくと、教弘寺西に作りまくられた生駒石運搬道の一つに出てしまいました。通ることはできましたが、私が探しているのは「道」であって、ただ通れると言うだけの所ではありません。探索は失敗です。
上からがだめなら、下から攻めようと、今度は庄兵ヱ道が生駒石運搬道と交差するところ(地図のB点)から、登ることにしました。明治の地図を検討すると、登り口は生駒石運搬道の方が近いのですが、そこ(先ほどの降り道です)を登っても、分岐がわかりませんので、道があるなら登っていけば合流するだろうと、北北西方向へ登り始めました。直進すれば目的地にたどり着くはずです。

 B地点です。道があるような気がしませんか?

進むと道の雰囲気です。さらに、道路標が見つかりました。

 中央の木の右手に登っていけます。

 倒れた道路標です。

快調に成果を上げておりますが、調子のいいのはここまで。その少し先で全く道の痕跡がたどれなくなりました。あとは、ただ歩きやすいところを進むだけ。A地点の少し下にたどり着きました。これも方角を決めて進んでいますから当たり前のこと、道をたどることはできませんでした。
結局、この区間に道は「あった」が、「失われてしまった」という結論に達しました。楽しみにしていただいていた方には誠に残念な結果となりました。道と言えないので、私が通ったところのマーキングもしていません。ただ、A地点の北はしっかりした道です。赤テープで道を示していますが、見逃してもどこでも歩けるから道を外すわけで、そのうちに庄兵ヱ道から五辻への道にぶつかります。A地点北での遭難の恐れはありませんので歩いてみるのも一興です。

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