暗街道の旧矢田ルート

「生駒の古道」は「幻の古道ルート」(P.38)として、暗街道がかつては壱分の別院川沿いに通っていた伝承を紹介し、明治地図にある道が古道の痕跡ではないかと推定しています。さて、明治地図で別院川から矢田へ至る道は2本描かれています。下図候補Aと候補Bがそのルートです。本文からははっきりしないのですが、巻末P.175の地図を見ると候補Aのコースを旧街道として推定しているようです。さて現状はどうなっているかというと、マウスを画面上に当てていただくと、現行地図に切り替わりますが、どちらも途中までしかたどれないようです。

 ただし、候補Bの道については現行地図にある部分は通れないのに稜線近くになると、地図にないのに通れてしまいます。途中から現行地図の候補A、候補Bの中間の道で繋がっています。さて、これらの道にできるだけ近い道を何とかたどってみた結果が、下のGPS記録です。

 候補Aのコースがほぼたどれています。候補Bも上の方はほぼ完璧です。ではこの候補Aが「生駒の古道」の説明する旧暗街道で目出度し目出度しかというと、どうもそうでなさそうです。候補Aのコースには道の痕跡が全くないのです。そんな所をなぜたどれるのかというと、今はハイテクの時代で、今昔マップから、地図にあるルートを推定し、あらかじめGPSルートを作成しておいて、その通り進めば、間違いなくたどれてしまいます。ピッタリのルートでないのはほぼ予定コースに従うにしても通りやすい所を選ぶためです。今昔マップ上でGPSファイルが作図できると簡単ですが、その機能が無さそうなので、ちょっと面倒ですが、カシミール上でGPSコースを作成しています。(上図の記録は予定コースでなく、実際の歩行記録です。)
 たどってみた結果は何ともろくでもない結果です。何よりも「生駒の古道」に写真が掲載してある古道の痕跡などどこにも見当たらない。(下図)

ところで、候補Bの方ではこれにそっくりな箇所が見つかります。この付近よく似た所が多いんですが、ここが一番似ていました。見つけてニヤリといった所です。

 この地点は候補Bそのものではありません。明治地図には書かれていない部分です。上の歩行記録では候補Bの点線からはずれた部分になります。しかし、古道研究会の皆さんがたどった道はおそらくこれです。この道だとすると、P.41記載の、「そこから先の急坂には雑木が繁茂して前進を阻まれ、・・・」という部分が不可解なのですが、登っていくと一箇所だけ、間違う可能性のある分岐があります。そちらをたどってしまったのではないかと推測しています。
 では、結論として旧暗街道はどこを通っていたのか?
これに対する解答はありません。残念ながら決定できる根拠を持ち合わせていません。ただ、「生駒の古道」が推定した道はどこかということしかわかりません。その推定がどうも地図と本文で食い違っているらしいのが困った所です。決定はできませんが、私としては候補Bを推薦したい。根拠はありません。ただ、候補Aは通れる道ではありません。そんな所を「実はここが古道だ」などと、根拠もなく考えていても楽しくありません。候補Bは一部が明治地図の道とは変わっていますが、立派な楽しい道です。さらに候補Bの場合、稜線を南下する道がベンチのある所を通りますが、生駒市矢田丘陵遊歩道中でもっとも幅ひろく、街道らしい所です。候補Aが旧道だとするとこの部分が街道からはずれてしまいます。これは残念だという全く根拠のない理由もあります。
 道の案内についてはYAMAPにアップします。旧街道としては間違っているかも知れませんが、旧暗街道候補として唯一の普通に歩ける道です。、

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