だから僕は太刀打ち出来ない




 目を閉じればそれだけで、耳元での声の主を、独り占めしているような気になる。
 電話発明した奴、超天才、と快斗は心の中で、世界的に有名な偉人をぞんざいに褒めたたえた。
「君は笑うかもしれないけど、今僕は少しね、戸惑っているんです」
 耳元で白馬がゆったりと柔らかな声で伝えて来た当惑に、うん、と聞こえるか聞こえないかの声を快斗は返した。相槌と疑問の丁度真ん中ほどに落ち着いた声音に、微かに白馬の笑う気配が耳元から伝わる。
 耳をすまそうと意識しなくとも母親が出かけ、他に誰もいない室内では耳は彼の声しか拾いようがない。正月からこちら六日までは子供の声もちらほら聞こえていた住宅街だが、帰省ラッシュも昨日をピークに、なんの変哲もない月曜の午後は気怠い沈黙に満ちていた。
 軽い寒気にケータイを握っていない方の手を捩るみたいにして、肩口の掛け布団をズルズルと首もとまで引き寄せる。
 首筋に柔らかい毛布と掛布を感じるが、ここにいない人物のてのひらと無意識に比べてしまって、物足りない暖かさにふと不満が過ぎった。人肌は……特に好きな相手の人肌はきっと特別なのに。
「君とね、工藤くんと、服部くんと、僕と。秋にお祭りに行こうって誘ってくれた時には僕がロンドンから帰れなくて、君達は三人で出かけましたっけ」
「……うん」
 懐かしい話題に、そんな事もあったなぁとぼんやりと思う。ふて腐れていたら新一に『快斗のぶさかわ顔』なるいたく不名誉な写メを白馬に送りつけられてしまい、速攻でかかって来た白馬からの電話に目を白黒させたのを覚えている。
 距離とか立場とか、プライドとか意地なんていう大抵の場合ろくろく役にたたないものにがんじがらめになって、たかだか電話の一本も出来なかった頃の出来事だ。
 しかも祭りを楽しむ筈が結局事件に遭遇し、ひと味違う楽しみを堪能したのだから自分達らしいと言えばこの上なく自分達らしい顛末である。
 秋の頃だ。
「クリスマスだってどうしても外せなくて、僕だけ不参加でしたし」
「……あー……」
 その時期は、家の関係で白馬が忙しいのは承知していたから、ダメ元で誘ったクリスマスイブ。二人きりで会おうとせず、四人での集まりを主張したのは、そんな日に彼が来れなかった際に独りではいたくないと心の何処かで予防線を張っていたのかもしれない。
 案の定白馬はクリスマスディナーと称した酒盛りに間に合わず、だが完全にお開きになった後で、彼は工藤邸へとやって来た。
 快斗に会う為に。
 ……そして迎えに。
「お月見の時は工藤くんが事件に巻き込まれてしまって。服部くんが飛び出して行って、僕たちもてんやわんやで追いかけて……あの時は結局お流れになってしまいましたね」
 それでもそれぞれに経験を積んだ有能な学生探偵が三人に、非公式ながら天下の大怪盗まで揃い踏みで解けない謎はなく、太陽が昇るまでに事件は速やかに収拾した。
 だが、快斗的にはそれよりも一晩放置してしまい、堅くなってしまった月見団子の方が大事件で。
 あまりのにうちひしがれっぷりに、夕方に現われた白馬が自家製の月見団子を差し入れてくれた。
 よくあるタッパにズラッと並ぶ、一口大の白い丸。幾つか黄色の物も混じっている。
 ツルッとした触感に程よい弾力の団子に包まれた上品な甘さのこし餡。
 快斗の為だけにわざわざ白馬家のシェフに作って貰ったと言うそれを両手で抱えた白馬は、まるで褒めて、とフリスピーを咥えて飼い主の元へと駆け戻って来た大型犬を彷彿とさせるいじらしさ、可愛らしさだった。
 だからかもしれない。満月でなくとも月を仰ぎ見るだけで、いつだって月見団子と白馬が連想ゲームの如く思い出された。
 お茶を用意する、という白馬を待たず口に放り込んだ快斗に、君は花より団子ならぬ月より団子ですね、と笑む柔らかな彼の顔を。
「流星群の時は、服部くんが親戚のご不幸で急遽不参加だったっけね」
「……ん」
 大阪に飛んで行った平次から連絡があるまでの、新一の不機嫌さといったらなかった。目的だった筈の流星群見物はどこへやら、自棄酒に付き合って飲んだくれ、白馬が真っ先に潰れて。新一が潰れる寸前にかかった平次からの電話は、いつ終わったのか快斗は知らない。
 最後まで付き合っても良かったのだけど、つまみを物色に行くふりで席を外した。……新一の、泣くのも笑うのも我慢しているみたいな顔が、たった一本の電話で脆く崩壊するのを、見てはならないような気がしたから。
 かと言って一人で、一晩中降り注ぐロマンチックな流星群を見る気にもならない。
 その位なら、無防備な白馬の寝顔を好きなだけ堪能する方が楽しいに違いなく、そして楽しい余り枕元で寝オチしたのは些か不本意な結果ではあったが。
「僕達が四人で何かしようとすると、かなりの確率で誰かが欠けてしまうものですけど」
 歩きながらの彼の声は、時折揺れながら、甘く耳朶を震わす。心地良い響きは、まるでこのまま眠ってしまえと唆しているかのようだ。
 それを阻むみたいに、不意に脳内で三人が楽し気に参道をそぞろ歩く姿が浮かんで、知らず熱い吐息がもれた。
 昨夜までは快斗だってなんの疑いもなく、そこに加わっているつもりだったのだ。
 三が日は誰かしらの都合がつかず、日にちを調整している内に初詣と呼ぶには少々遅くなってしまったが、お参りして、おみくじ引いて、破魔矢か絵馬か御守りの一つでも買って。
 もう一月も七日だから沿道に並ぶ屋台は流石に出ていないだろうけど、神社を出たすぐの甘味処でテイクアウト出来る甘酒を、寒い寒いと言いながら飲みながら歩くのだ、と心踊らせていたのに。
 唐突に、なんの前兆もなく、朝目覚めて快斗は己の体調の変調を悟ったのである。
 それも『ちょっと風邪気味』程度なら多少無理してでも出かけようかと思っただろうが、悩む余地すらなく徹底的に壊滅的に、どうしようもなかった。
 咳とくしゃみと鼻水鼻づまり。気怠い微熱に節々の痛みと全身に纏った倦怠感、時折襲う吐き気と頭痛にどれだけ不本意でも立ち上がるどころか枕から頭をもたげる事すら叶わなかった。
 熱が8度を超えていればインフルエンザを、またこの症状にプラスで下痢があればノロウイルスだかを疑う。だが、這うように出かけた病院で隔離されたまま検査を受けたものの、インフルエンザではなく。
 医者は「風邪ですね」とあっさり診断を下した。
 ともあれ風邪でしかなくとも病院に行くだけで残り少なかったHPをすっかり使い果たした快斗は帰宅と共にベッドにダウンし身動きが叶わず、ウイルスを恨みながら初詣の集いに断りの電話を入れるしかなかったのである。
 その時は友人達への伝言を引き受けあっさり、分かりました、お大事にして下さいね、と短い会話で了承した彼だったのに。
 それから数時間経ってやや症状が落ち着いた快斗が、そろそろ境内に着いた所かとメールを入れた途端に、電話がかかった。
 それから参道を歩きながらずっと彼は、快斗の耳元で甘くさえずっている。
 目を閉じれば、隔たっている距離も忘れそうな耳元の声。……恨み節になってもおかしくないのに、甘く快く響く、声。
「君が欠けるのは初めてでしょう」
「……だっけ……?」
「ですよ。工藤くんがいて、服部くんがいて、僕がいるのに、君だけがいないなんて……どうにも調子が狂うと言いますか」
 心底困り果てた、と響く声音ですら快くて、もっと困らせたくなるから、困る。
 背は無駄に六センチは高くて、やたら上から目線でキッドと決め付ける態度は鼻に付いて仕方がなかったのに。
 厚顔無恥な程に人を使う事に慣らされた育ちのこの男の、人を頼る事に不慣れな一面を見る度に可愛いだなんて思うから、困る。
 それなのにこんな風に、らしくなく甘えるみたいな発言を受ければ、可愛く思わない訳がない。
「寂しいって、言えば?」
 軽口に、空気を震わせるような笑いが返された。
「言ったらすぐに会いに来てくれます?」
 行けたら行くのに。
 飛んで行くのに。
「……残念。今は、重力とウイルスが邪魔してる、みたい」
「なら仕方ないですね」
 喉を震わせるように、彼が笑う。
「寂しくても、ね。如何に君でも、……まあいつもの君なら重力なんて無視した動きもしますし、ウイルスごときに負けるとは思いませんけど……今日は流石にね、喧嘩を売るのは得策とは思えません」
 ナニソレ、そこは負け戦承知で売ろうよケンカ、とか、だったらオマエが買ってやるとかナニかない訳?など訳の分からない反論が喉元まで来たのに、いつものように回らない口と回り切らない頭が、勝手に戦線を離脱する。
 戸惑ってる、じゃなくて。
 寂しくても、なんて仮定法じゃなくて。
 回らない頭が言うには、単に、寂しいんだって聞きたいだけ。
 それは、多分いつもよりちょっと身体が弱ってて、少しばかり気持ちが弱ってて、僅かに人肌に飢えてて……白馬を乞うて、恋うているから、……限りなく微かにかもしれないけれど。
「という訳で僕は口にはしませんが、そこを踏まえた上で君には三十秒あげます」
「…………ああ?」
「さん、ハイ、でケータイを拝殿……拝殿であってます? ああ、いえ、置いておいて、それに向けてあげますから、ちゃんと手を合わせてお参りを……お願い事を、ですかね……を、するんですよ?」
「え」
 ナニソレ。
 ってゆーかナニこの人。
 何か凄まじく可愛い事ほざいてるんですけど……?
 どこから突っ込んでいいのか途方に暮れる快斗をおいてけぼりに、白馬は嬉々として言を継いだ。
「いいですか、後ろからもどんどん皆さんいらしてるんですから、いつまでも止どまってはいられませんからね」
「や、ちょ、」
「いきますよ。……さん、ハイ」
 甘い声と入れ違うように、ざわっと喧騒がノイズのように耳元に届く。三十秒ってどのくらいだっけ、と言う間抜けな現実に引っ掛かったのが頭の回ってない証拠だ。
 多分ここで願うべきなのは、第一に、大願成就だろう。実力で何とかしてやる気も満々だが、ビッグジュエルの情報自体は神頼みが尤も必要とされる事柄だ。……なのに。
「もっと話して」
 なのに、口は見当違いの望みを紡ぐ。
「顔みたい」
 健康第一や家内安全も外せない、……筈だったのに。
 けれど、うわずる声はそんな願いを呟いてしまっていて。
 口に出してしまえば、ぼんやりと心のどこかにあった頃より、その想いは強くなる。
 記憶じゃ足りない、画像でも動画でも物足りない。
 会いたい、会いに来て。
 それを神様にお願いするのは筋違いも甚だしいが、願えと促されればそんなものしか出て来ない。
 けれど、それすらも上手く口には出せなくて。
「さび、しい」
 消え入りそうな、吐息だけのような声で、唱えた願い。
「その望み、叶えましょう」
「っ!」
 刹那、遠ざかった喧騒の代わりに、甘い声が厳かに応えた。
「おまっなんで…!」
「ちゃんと拝殿に向けてはいましたよ? 漏れ聞こえてしまっただけです」
「ソレ盗み聞きっ」
「そんな人聞きが悪い事を……ちょっと聞こえてしまっただけでしょう。第一、君のそのお願い、多分神様は叶えてくれませんよ」
「……どーして」
 開き直った口調で、一切悪びれず、確信犯は言い切った。

「君の分のお賽銭、入れるの忘れました」

                         (end)

◆『ソーダ水のないしょばなし』より◆白×快◆


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