三角形に愛をこめて




「さぁ食いやがれ」
 どうぞ召し上がれ、を非常に彼流に発した快斗は、恭しく白馬の前に白い皿を差し出した。金の縁取りのある繊細な厚みの白い陶器の皿は名の知れたアンティークだが、白馬の家の所有物でディナーに普段使いされている品に間違いない。
 部屋に入った途端にダイニングテーブルの席につくよう強引に促され、座すれば待ってましたとばかりにウェイターよろしく横へ回り込んだ快斗が、彼なりの『召し上がれ』と共に滑らかな動きで皿をサーブしてくれた、訳だが。
 皿の上に一回り小さい揃いの皿がサーブされるスタイルに、フランス風?、と白馬は内心で小首を傾げる。
 スタイルと料理……それを料理と呼んで良いものなら……の、バランスが著しく釣り合っていないように思えたからだ。
 それでもそれが快斗でなく、白馬家の使用人がサーブしたものなら、訝しく感じつつも白馬も素直にカラトリーを手にした事だろう。
 だが、それを差し出したのは快斗である。その上本来カラトリーが並ぶ筈の皿の置かれた両脇には何一つない。
 ナイフもフォークもスプーンも、勿論、箸も。添えられているのは手を拭く為のお手拭きだけで。
「……これは、君が?」
 疑り深くなりがちな声を精一杯平静に装い、皿の上を凝視したまま白馬はまず至極基本的な疑問を口にのぼらせた。
 本来、相手と目を合わせもせずに何かを問う等と言うのはマナー違反で、マナーを重んじる紳士を自負する白馬としてはありえない失態だ。
 また探偵としての性分としても、表情や目の動きなどは真偽を量るのに外せないポイントだからそれを視界に収めないまま何かを問い掛けるなんて、とんでもない。
 あってはならない事態といえる。
 だが、白馬はその皿から目を離せなかった。
「そうだよ。ありがたく、食え?」
 ほがらかに、それでいて断固拒否を許さない彼独特の押しの強さが発揮された声と、ひしひし右後方から送られて来るプレッシャーが白馬から選択の余地を奪おうとしている。
「……あのぅ、中身は、」
「ムダな時間稼ぎしてンなよ、往生際悪いなぁ」
 見透かしたようにすっぱりと言われ、白馬は軽く呻いた。
 相手は黒羽快斗である。人を驚かせるのが好きで、白馬に対しては殊更嬉々として様々ないたずらを仕掛けてくる、そんな人だ。
 二人の関係性に些かの修正が加えられた現在も、彼本来の性質であるらしいそういった点は変わりはしない。
 そんな彼が白馬へと差し出したもの、それも食べ物とくればすんなりと手を出せないのは経験から弾き出された結果だ。
 だが、これ以上引き伸ばすのも見苦しい悪あがきでしかないのも確かで。
 些細な躊躇で後々関係にヒビが入っても困る。……どこまで関係なるものが培われているのかは判然としないまでも。
 覚悟を決めなくてはならない、と悟るも、正直これ程に怪しいものもない。
 皿の上にはおにぎりが二つ。
 三角のおにぎりはコンビニに並ぶ均一サイズのものではなく、手前の一つが些か小さめだ。
 黒いのりが一枚使われたその三角握り飯は『おにぎり』のイラストを想像した際の最も一般的な姿となっている。
 その姿に中身を推察出来る手掛かりは欠片もない。
 流石に食べれない物までは入れないと信じたいが、白い米とのりと、入っているであろう何かがどれ程にミスマッチかと思う自身の想像力の豊さがうらめしい。
 『闇鍋』『おむすび爆弾』という言葉が素早く脳裏を掠めた。
 カタン、と音に顔を上げれば、快斗が隣の席に手をかけた処だった。カタカタと椅子を白馬の席のすぐ傍らへ移動させ、すとんと腰を下ろす。
 椅子の脚と脚、その距離およそ二十センチ。更に快斗は、白馬を覗き込むみたいに頬杖をついて身を乗り出す。
 肩と肩ならせいぜい拳一つも離れてはいない、極めて至近距離だ。
「……まだ食わねぇの」
 声に宿った僅かに拗ねた響きに、やられた。
 毒を食らわば皿まで、の例えは彼には不本意かもしれないが、まさしくそんな心境と面持ちで白馬はおもむろにおにぎりを掴んだ。
「いただきます」
 そして躊躇すれば負けるとばかりにそのまま口へ。
 一見した処口の中でほろりと崩れそうな姿形のおにぎりは、その外見を裏切り妙な弾力感を持って歯を迎え撃った。そして歯を立てた場所からぼくっと、……割れる。
 どれだけ力を込めて握られたおにぎりなのだろうか。
 顔を出した具材は茶色く、ほんのりと香ばしい香りを伴っている。しょうゆをまぶした鰹節、いわゆるおかかだ。
 第一印象と過去の経験から為る疑わしさを束の間忘れ、おかかの旨味に誘われるがまま白馬は続け様に三口ばかりかぶりつき、しっかりとそしゃくし嚥下した。
「どーよ?」
 肩口での問いに、はた、と我に返り一つ瞬く。やたら弾力のある食感は珍しいが、ぼろぼろと指についたり持っているだけで崩れて来たりしない分、むしろ食べ易いとも言えるだろう。
 これも手作りの良さ、醍醐味かと感想を心持ち上方へ修正して。更に塩加減も程良いし、シンプルながら食欲をそそるおかかのしょうゆも適量でバランスも取れている。
「驚きました」
「あ?」
「いえ、案外普通におにぎりだったので」
「オマエ、時々オレに何気に失礼だよな」
「……すいません。おかか、美味しいですよ」
 とってつけたみたいに言いやがって、とぶつぶつ快斗がぼやく。
 拗ねた視線を受け止めつつ苦笑を持って白馬は食べかけのおにぎりを口に運ぶ。有り難い事に最後の一口までも奇をてらう事なく無事におかかのおにぎりは普通におかかのおにぎりだった。
 快斗に対する個人的な思い入れが少々点を甘くつけさせている向きもあるかもしれないが、実際食感がやたらしっかりとし過ぎている点さえ除けば充分『美味しい』に分類されるべき出来である。
 本当に美味しいですよ、と、念押ししても快斗はすっかりへそを曲げたのかとりあう様子も見せず生返事で受け流されてしまう。
「君、味見してみました?」
 ふと思い立った問いには、ふるふる、と首が横に勢い良く振られる。
「なら、試しに一口どうです。お愛想じゃなく美味しいですから」
「え、あ、いやそれは……やめとく」
「遠慮なんて君らしくもないですよ。ほら、もう一つある事ですし」
「いや、だーかーら、遠慮とかじゃなくって、あのね、パスったらパス! オレはいいから気にすんなっ。夕飯もがっつり食ったから腹減ってねぇし!」
「そう、ですか?」
「そうそうそう」
 ぶんぶん、と今度は縦に力強く首が振られた。
 変に力いっぱいの拒絶に、白馬としてはどうにも中身に対する疑惑が再度急浮上してしまいがちだが、そこはぐっとこらえた。
 一つ目だって至ってまともなおかか味だったのだ。二つ目も普通に期待出来るかもしれない。……ある程度は希望的観測ではあるが。
「では遠慮なく、……こちらもおかかですか?」
「いや、そっちは焼き……」
 ごにょごにょ、と消えた語尾に、どうやら中身は彼が口にもしたくない物であるらしいと推測する。魚、もしくはその加工品であろうか。
 焼きがつく代表的な具材なら『鮭』か『たらこ』か。
 ご飯の食感だけは変わらず歯に跳ね返って来る、良く言えば『もちもち風』ぶっちゃければ『堅め』な握り具合だ。
 先程と同様にぼくっと割れ、今度顔を出したのは焼きたらこだった。
「美味しいです、とても」
 かみしめて、今度は『どーよ?』と問われる前に述べた感想に、頬杖を崩しぺたんとテーブルに手を伸ばして懐くようにした快斗がへらりと笑う。
「そーだろーとも。なんつってもこのオレ様の血と汗と涙の」
「ええっ入ってるんですかっ!」
「……んな訳ないじゃん。オマエ、ホントにオレにちょくちょく失礼だと思うぞ」
「あー……その、すみません、つい」
「まぁ涙の一滴くらいなら入ってっかもしンないけどさ」
 肩を竦める仕草に、慌ててかじりかけのおにぎりを皿に戻し、おしぼりで指を拭うと快斗の両の手を取る。
「どこか怪我でも?」
 てのひら、指先、手の甲と丁寧に視線と指を走らせつつ、問う声が慎重になるのは仕方がない。
 マジシャンに手は特別である以上に、ましてや白馬には快斗の手であるというだけで三割り増しに特別なのだから。
「切り傷は……見た所なさそうですね」
「バァカ、このおにぎりのチョイスのどこに包丁の出番があるんだよ」
「ああ、そうでした。火傷も大丈夫なようですね?」
 男性の手としては格段に手入れも行き届いた優雅とも言えるその手には、小さな傷も痛々しい赤いみみず腫れも見つからない。しっかりとそれを確認して白馬は安堵の吐息をもらした。
「良かった」
「……素でそーゆー事言っちゃうんだもんなぁ」
 手を取り戻すでもなく白馬の手に委ねたままそっぽを向いて彼はぼやく。
 顔を背けるようにして仏頂面を保つその目許がどことなくほんのり赤いのが微笑ましくて、白馬は指先に小さなキスを落としてから解放した。
 繊細な動きをさらりとこなす、綺麗な手。
「だって、大切な君の手ですから」
 だが、例えその手が節くれ立った荒れた手でも、血に染まっていたとしても、その手が快斗のものであるならそれは愛しいものでしかない。
 そして、言った処で笑い飛ばされるだけだろうから口には出さないが、その手を放す時は必ず放しがたく感傷的な、少し切ない気分になるのが常だ。
 快斗はキスと共に解放された手については特に言及はしなかった。
 ただ呆れ顔でぺちりと肩口をはたいてみせただけで。
「で、一滴の涙の原因というのは? このチョイスにはたまねぎも使っていないようですけど」
「我ながらパーフェクトなおにぎり作っちまって感激のあまり涙が、」
「それはないですね」
 棒読みの台詞をばっさり叩き切って白馬は微笑む。
「うげ、一刀両断かよ」
「当然でしょう。一応聞いては見ましたけど、探偵じゃなくたって想像がつきますよ、このおにぎりの中身を見たら」
 おかかは鰹節にしょうゆをかけたものである。
 そして鰹節は鰹を生切りし、煮熟、整形、煙でいぶしながら乾燥させて、カビ付けという工程を経て作られたものを削って作り上げられたもので、つまり彼が目下最も苦手とする魚の、いわゆる加工品である。
 そして焼きたらこも、たらの卵の焼いたもの、つまり分かり易くこれまた彼の忌み嫌う『魚』の、加工品だ。
 見るからに魚そのままの姿の時とは違って半泣きですっ飛んで逃げるまではいかないものの、快斗が自ら魚の加工品へ進んで近づく姿は想像がつかない。
 ましてやおにぎりとはいえそれらを使って料理に取り組むというのも驚きだ。
「泣くほど嫌なら中身なんて梅干しでもふりかけでも、塩むすびでも良かったのに」
 快斗がわざわざ夜食にと、白馬の為だけに握ったおにぎりだ。それだけで、中身がなかろうが堅かろうがそんなものは些細な問題でしかない。
「だけどさ、おにぎりは食べる相手の事を想って握るんだって。だから、オマエが好きそーなのを考えてみた」
「……誰がそんなことを?」
「誰ってゆーか、テレビの何かのCMで。見た事ない?」
「……いえ、生憎と。それでおにぎりを作ってくれる気になったんですか?」
「まぁね、何となくそんな気分になってさ。オマエの事考えながら握ったら力込め過ぎちまったけど」
 それは愛か何かをぎゅっと込めて握ったが故か、白馬に含む処があって『えいクソ白馬のヤロー!』と力が加わり過ぎたのか、聞くに聞けず、はぁ、と曖昧な相槌を挟む。
「丁度材料もあったし、オマエ今日は夕飯もろくに食えなかったみたいだし……」
 言いつつ白馬を見て、快斗は盛大に顔をしかめた。
「うげ、やめろ、その感動しましたみたいな顔!」
「えっ! だってここは素直に感動して良いとこですよね?」
「ンなもんしなくていいから! ほらとっとと食っちまえ!」
 ほらほらほら、と照れ隠しに急き立てられて口に入れた残り二口のおにぎりは、やはり堅めに握られた弾力もちもち食感で。けれど他のどんな高級料理より確実に白馬を満たした。
 じっくりと米粒と焼きタラコと共に幸せをかみしめて、食べ終わってしまうのが惜しいような気分で最後の一口を飲み込む。
「ご馳走さまでした。とても美味しかったです、……本当に」
 快斗はそっぽを向いたまま「はいはい、お粗末様」と受け流す。けれど、白馬へと寄せた椅子の位置はそのままの至近距離で、すがめた目のふちがやはりほんのりと赤くて。
 デザートとして頂いちゃっても良いものだろうか、と、白馬はしばし悩んだ。


 後日、録り溜めしていたビデオを見ていて、発端となったと思しきテレビのCMが白馬の目に飛び込んで来た。
 優しくおにぎりを握る男性の姿。
 そして流れるキャッチフレーズ。


『好きな人を想って握るのです』


 きっと、ぎゅ、っと力いっぱい込められていたものは、愛だった。





・ END・

◆同名コピより◆白×快◆


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