うちのコ自慢


  彼はペットを飼っている。
 それも、一般的な愛玩動物と言って思い浮かべるものでいうならまず十指に入らないであろう、猛禽類である。
「おいで、ワトソン」
 彼がなめした鹿革製の手袋をした左手を掲げると、鷹は大きく翼を広げ、二度力強くはためかせただけで、止まり木から彼の腕へとばさりとその身を委ねた。
 シャラン、と止まり木とその片足を繋いでいる細い鎖が音を立てる。
「良い子だね、さぁお食べ」
 柔らかい声で囁きながら与えられる何かの肉片を、行儀良く、曲がった鋭いくちばしが咥え、引っ張り、飲み込む。
 飼い主のその手から餌を食べる様は愛玩動物らしい愛らしさがあっても良さそうなものだが、カツカツと肉片を引き千切り飲み込む獰猛そうなくちばしに、厚い鹿革の手袋にさえ食い込む鋭い爪、そして常に威嚇しているかの様な険しい瞳とどれをとっても『愛らしい』『ペット』からそのイメージはかけ離れている。
 鷹狩りなどでも知られるように鷹はとても賢く訓練次第で鷹匠の指示通り動き、獲物を狩る。
 そして『ワトソン』はというと、それ以上に彼に良く懐いているのが端々からも見て取れた。だが、それでも普通の家庭でペットとして飼っているところは多くはあるまい。
「なぁ白馬ー……」
 だらんとソファーに仰向けに伸び、肘置きに頭を乗せて逆さまに見上げながらかけた声に、白馬が視線を返す。
「ああ、すいません、すっかりお待たせしてしまいまして」
「いや、そっちの飯時に割り込んだのはこっちだから、いーんだけどさ、おかまいなくで」
 在宅時はなるべく自分で餌をやりたいのだと常々聞いてはいたし、ばあやさんが出してくれたお茶と茶菓子でしっかりおもてなしは受けている。文句をつけるには気が引ける程度にはきちんと歓待されているといえよう。
「たださー、素朴なギモン」
 はあい、と横臥したまま小学生のように手を挙げる。
「タカとワシの違いってナニ?」
「あまり詳しくはないので、参考程度に聞き流して欲しいのですが」
 几帳面に前置きをした後、彼は続けた。
「おおまかには同じらしいですよ。敢えて言うなら鷹はタカ目タカ科に属する鳥のうち中・小形のものの総称、でしたか。オオタカ、ハヤブサ、ハイタカ、ノスリ、トビなんかが含まれたと思います」
 詳しくない、などと言いながら立派に立て板に水である。
「ふぅん、それよりおっきいとワシなんだ。……んじゃ、そいつは何タカ?」
「ワトソンはオオタカなんです。古くからある鷹狩りでオオタカやハヤブサは使われるらしいですね」
 どことなく自慢気に聞こえるのは、ペット自慢とか親バカとか、そういう頭で聞いているからだろうか。
「狩り、すんの、そいつ?」
 名を呼んだ訳でもないのに自分の事を噂されているのが分かるのか、鷹は視線を巡らせ快斗をちらりと一瞥した。
 にらまれた、と思うのは被害妄想だとしても、飼い主である白馬に対して馴々しいとばかりにどことなく敵愾心を持たれている気が、する。
 もしかして番犬ならぬ番鷹気取りか。
「一応、時期前には訓練しますけど、あまり……鷹匠になりたかった訳でもないですし」
「ふぅん。んじゃ、ペットだ。ケチつけよーってんじゃないけどさ、それなら犬でも猫でもウサギでもカブトムシでも良かったんじゃねぇの。なんでよりにもよって、タカな訳?」
「そうですねぇ、確かに犬も良さそうだとは思いはしましたね」
 彼の腕の上で大人しくしていた『ワトソン』が、ゆっくりと翼を広げ、くちばしで羽根を整えている。
 遠目に眺めているのと違い、間近で翼を広げると途端に、鳥類の中でもオオタカがかなり大きいのだと思い知らされる。
 ……こんな所で飼われていなければ間近に見る機会もそうはなかったであろうが。
「ですが、運良く縁がありまして、ワトソンが僕の所へ来てくれましたから……。君こそ犬とか沢山飼ってそうなイメージですよね、動物全般、好きでしょう?」
「まぁね、好きは好きだけど、うちには親父のハトがいたから」
 犬や猫とは一緒に暮らせない。
 マジシャンとしてはせいぜいシルクハットから出すウサギ辺りが妥協点だが、黒羽家では結局数羽の銀鳩以外にペットも家族も増える事はなかった。
 マジシャンからは切り離せない銀鳩は、飼い主が息子になってからも変わらず黒羽家の屋根裏で飼われている。今となれば公私に渡って快斗の大切な相棒だ。
 マジックには勿論、キッドの活動にも切り離せない頼りになる存在である。
「ペットって感じじゃねぇけどさ」
「僕にも、ワトソンはペットではなく……敢えて言うなら、相棒、のような感じですね」
 そういえば黄金館にも連れて来ていたような気がする。いつでもどこでも連れ歩いている訳ではないからそれなりに場所柄は弁えているのだろうが、本来と違い犯人を『狩る』よう仕込んだのだとしたら確かにペットなどではあり得ない。
 どうりで『ワトソン』な訳である。ホームズフリークにも程がある、と快斗はしみじみ思う。
「どこまでも高く遠く飛んで行ける、強い翼に憧れるんです」
 彼は左の腕に乗せた相棒のその翼に、手の甲をさらりと滑らせる。うっとり呟く酷く優しい声音に、快斗はひっくり返っていたソファーから、唐突にかつ真顔で起き上がった。
 それまで近寄らなかった白馬へと、快斗は三歩と半で歩み寄る。そして、鼻息も荒く言い切った。
「ハトだってすっごく高く飛んじゃうんだからな!」
 張り合うように向かい合い、腰に手をあてる快斗に白馬も一瞬面食らったようで、『はぁ』と気の抜けた相槌が一つ。
「……そうですね。それに伝書鳩なんてのもあるくらいですし、鳩は長距離も得意ですよね」
「そうそう!」
 思わずふん反り返った快斗を前に、白馬は相変わらずどこかピントのずれた笑顔で言を継いだ。
「ですが、ワトソンもなかなかのものなのですよ。ただ飛ぶだけでなく獲物に向かって回転しながら急降下する姿といいスピードといい、これは一見の価値ありですね」
「ハ、ハトだってスゴいんだぞ、電車や車を走って避けちゃうもんね!」
 道路や駅のホームで見かけては何故そこで飛んで逃げない、と見た当初は快斗も思ったが、今ではそのおっとり加減も鳩の立派なチャームポイントだ。力説する快斗に、白馬は軽く口の端で笑む。
「……それは、和みますね」
「そーだろー。なんつっても平和のシンボルだからさ」
「成程。しかしワトソンも負けません。見て下さい、この何ものにも怯まない、鋭い瞳、目力。どうです、なかなかに格好いいでしょう?」
「うちのハトだって! 瞳なんかくるんってつぶらでそりゃあもう愛くるしいんだぞっ」
 しかも今では快斗の手にも良く慣れ、賢く、数羽に至っては夜目まで利く。わが子自慢なら負けるものか、と顎を突き出す快斗を白馬はちらりと見やった。
 分かりますよ、と相槌を打つ白馬はあくまでもマイペースだ。けれど視線は快斗ではなく彼の鷹に注がれていて、優しく、誇らしげな色で。
「良く懐く、と言うのは確かに美点です。ですが、そう簡単には懐かない所も良いんですよ、プライドが高く凜として」
「ソレ、フツー可愛げないって言うンじゃねぇの」
「いえいえ、そこがまた良いんです、変に媚びない所がね。鋭い爪やくちばしは、一つ扱いを間違えれば怪我をするでしょうけど」
「生意気じゃん」
 飼い主つっつくなんてさ、という正論に、白馬はくすぐったそうな笑顔を浮かべた。
「僕が対応を間違えなければ大丈夫ですよ。それにね、少々鼻っ柱が強い方が好みなんです」
「……ふぅん、あっそ」
 自信満々なメロメロ具合にとうとう張り合うのもバカバカしくなり、快斗は吐息を一つ落とすとくるりと白馬に背を向ける。
 これは害のないペット自慢だ。
 世に何百万といる、親バカの一種だ。
 そうと分かっていても、ただ待たされていた時よりも胸中は不快感に満ちてしまう。
 それが嫉妬だとしてもそれを向ける相手が可愛い女の子でもキレーなお姉さんでもなく、一歩譲ってカッコいいおにーさんやキュートな男の子でもなく、ましてや彼がすぐに夢中になってしまう『事件』でもなく、彼の鷹であるというのは納得がいかない。
 いくらなんでも鷹が相手では本気で張り合う訳にもいかないではないか。
 だが、ソファーに戻ろうとした身体は、後ろから伸ばされた腕に阻まれた。
 肩口から回された腕にやんわりと引き寄せられる。胸元で交わっているその腕に、彼の相棒の姿はなかった。
「……おい、……」
 背から抱きすくめられると、すっぽりと快斗の身体は白馬の腕の中に埋もれた。
 恐らく手を一振りするだけで振りほどけるであろう優しい拘束の中で、快斗は抗いも身動ぎもせず、……否、出来ず、ただその温かさを享受する。
 幾度となくその腕に搦めとられても、いつだって初めてみたいに鼓動がドクンと跳ね上がるのを抑える事は出来なかった。
 強引に抱き込まれる時も、柔らかに腕の中に促される時にも。
「……何だよ、いきなり……?」
「嫉妬しました?」
 抱え込むように抱き込んで、頭上から白馬が弾んだ声で問う。
「妬いてない!」
 噛みつくように応えて、視線だけで振り返って睨み上げる、そのどこにもポーカーフェイスなんかない。
 からかいやがって、と思っても身体に回された腕に抱き込まれた胸に、単純ながら幾分ささくれだった心が宥められたのも確かで。
 だから、睨んでも、腕を振り払う事はない。
「では、そういう事にしておきましょうか」
「しておくじゃねぇっつーの、妬いてねぇってば!」
 叫んでも、くすくすと笑うばかりで白馬はまるで取り合わない。
 こういう時の白馬は、快斗がどれだけ悪態を吐こうと憎まれ口を叩こうと、意に介さず泰然としている。
 それもどんと構えているだけでなく、彼は彼のペースで爪を立てようとする快斗を翻弄しようとするのだ。
 要は、突っかかろうとする快斗をさらりと躱して、やたら接近してくっついたり、不意打ちで髪を撫でたり、耳許で囁いたり、ふわりと微笑んだり、……あちこちに、キス、したりして。
 そうして快斗のペースは乱される。
 この腕の中にさえ納まらなければ、いくらだって自らのペースで白馬を振り回せるというのに。
 軽く吐息を逃して、快斗はえいやっと彼の胸に背を預け体重を完全にかける。拗ねた顔は隠さないで、けれど振り返りもしないで。
 笑いながら背後の白馬は左足だけ半歩下がり、そんな快斗を完全に抱え込んだ。
 意思を示す指先が喉元をくすぐるみたいにゆっくりと伝って。親指、人差し指が遊ぶように交互に触れて、無防備な喉元にやんわりと熱を生む。
 その指の向かう先を快斗は知っている。
 その指の次に訪れるものも。
 一拍置いて耳許で小さく笑う気配に閉じていたまぶたを上げると、白馬が拘束を緩めるところで。
「おや、逃げませんね」
 楽しげな声にベーっと舌を出す。
「オレの辞書にゃ『逃げる』も『負ける』の文字もねーよ」
「……『負ける』は脇に置くとして、君にはしょっちゅう逃げられてる気がするのですけど……」
 キッドとして、とか、魚から、とか続けたそうな白馬の台詞を慌てて遮ってくるりと向き直った快斗を、彼は再度腕の中に囲った。背とうなじに回された腕に気を良くして、快斗も白馬の背に腕を回す。
 そして、甘い仕種とは裏腹に挑戦的な笑みで白馬を見上げた。
「残念でした〜、戦略的撤退は『逃げる』とは言わないもんね」
「それは失礼。それで君は今日『戦略的撤退』はしないんですね?」
「あと五分親バカペット自慢が続いてたら、してたかもな? ……別に妬いてなんかないけど!」
 あくまでも妬いてはいないのだと念を押す快斗を、白馬は蕩けそうに甘い目つきで眺めやる。
 元来が整った王子様フェイスの白馬だからこそ、『甘さだだもれ』程度でどうにか納まっているが、そうでなければ『鼻の下を伸ばした』だの『やに下がった』だのと評されても仕方のない表情である。
「……何だよ。へらへらして」
「いえ。内緒です」
「はぁ? 感じ悪いぞ、言えってば!」
 そう言いつつも発言を拒むかのように、伸ばした、指。むに、とあまり肉の余っていない両頬を摘み引っ張ると、小さく悲鳴が上がった。
「いた、たたっ」
「うわー伸びわるーっ」
 笑いながらの呑気な感想と、慌てた白馬がいたずらな指を捕らえたのも、ほぼ同時のこと。
「痛いじゃないですか」
「オマエが悪いんだろ。オレ相手に内緒とか言ってんじゃねーよっ」
 出し惜しみか、と睨めば分かり易い微妙な顔つきで視線があさってに逸らされた。
 捕らえられた指をするりと抜き取り、両頬に添え強引に視線を取り戻せば、今度は困惑混じりの苦笑が返る。
「言っても良いんですか」
「良いも何も、言えってオレが言ってんの」
「そう、なんですけど。でも君の事ですからねぇ。言えば言ったで照れ隠しに『戦略的撤退』しそうな気が……」
「ふうん? 照れそーなんだ? よしよし、オレを褒めたいなら存分に褒めるがいいぞ、許す♪」
 えっへん、と胸を張る快斗に、良いんですか本当に逃げません?としつこくも半信半疑な表情で白馬は腕の中の存在を見やる。
 どんなに強く抱きしめていても、快斗がその気になればいつだって拘束は意味を成さないと彼も知っているからこその、問いだ。
 それが分かるから、快斗ももう一度、逃げも戦略的撤退もしないと繰り返す。さぁ言え、としつこく促せば、渋々と白馬は口を開いた。
「妬いてないなんて言い張りながら嫉妬していたり、拗ねたりしてる君は、可愛いなぁと……こら、快斗」
 反射的に逃げ出しそうになった身体は、白馬に軽く諫められ辛うじて踏みとどまった。
「ほらみなさい、やっぱり逃げようとするじゃないですか」
「ちがっ……くないけどっ、褒める方向性が違う! もっとこう、カッコいいとか男前とか、あるだろ褒め言葉ならじゃんじゃんとっ!」
 その辺りならこんな背中がむず痒くなるような、頭に血が昇ってしゃがみ込みたくなるような、浮き足立って誰も何も直視出来ずに舞い上がる、そんな気分にはならない筈だ。
 それなのに真顔で間近でよりにもよって『可愛い』、しかも妬いてるのも拗ねてるのも『可愛い』発言である。見透かされていたのは悔しいが、逃げないと確約した自分を瞬間的に大きく悔やんだ。
「可愛い以外の褒め言葉、ですか」
 顎に指をあて、まじまじと上から下まで舐めるように這わされた視線に、またも墓穴を掘ったと気付いた時には既に口火は切られていた。
「……難しいですね。拗ねた顔も寝顔も弾けるみたいに笑った顔も、ぼんやりしてる時の顔も悔しがっている顔も驚いた顔も照れくさそうに俯く時の顔も、どんな君も可愛いのに、可愛い以外の君を探せと?」
 誰の事、それ、と言いたくなるような羅列された単語の嵐でたたみかけられて、返す言葉が見つからない。唖然としている快斗を前に、白馬はゆるく一度首を振る。
「素直じゃない言動も、意地っ張りでやたら強がりたがる所も、甘えるのが下手な所も、びっくり箱みたいに予測がつかないような所も、全部君の可愛い所だというのに……」
 困りましたね、悩みます、と言う声はちっとも困っているようでも悩んでいるようでもない。
 やれやれと肩を竦めるポーズは取っても、むしろ楽し気に瞳は輝いている。
「そうですね、……その、何ものにも怯まない君の鋭い瞳に、とても心惹かれます」
 眼差しは、至近距離の快斗の瞳にひたっと据えたまま、白馬が言う。
 褒められたのか、それとも単なる甘い告白か判断のつきにくい台詞に、快斗は無言で返す。
「それにプライドが高く凜として、簡単に流されない、その姿勢が格好良い。惚れ惚れします」
 これは辛うじて褒め言葉の域に入りそうだが、どうにも快斗の美点と言うよりは、裏稼業時のイメージが先行したが故の言葉のようにも聞こえて素直に喜べない。
 それに。
「褒めたたえられている割には釈然としない顔ですね?」
 顎に添えた指が頤を持ち上げ表情を晒そうとするのを、快斗は厭った。その指を軽く振り払う事で示した拒否に、白馬は悠々とした構えを崩さない。
「まぁね。だってさ、なーんか聞いたようなフレーズ並んでンだけど?」
「そうかもしれませんね。自慢ではないですが、僕の好みは一貫していますから」
 変な所で発揮された一貫性に、快斗はちらりと彼の相棒であるという鷹に視線を流す。ワトソンはといえばそんな視線には我関せずと、止まり木の上、そ知らぬ顔で羽根を整えている。
「オレ、オマエのかわいいかわいい『うちのコ』と同じ?」
 同じくらい好き?とは流石に聞けない。信じられてはいないにしろ、つい先程嫉妬してないと言い切ったばかりだ。
「君は誰とも違います。僕の君はどこもかしこも、可愛いくて、格好良くて、ユニークで、とてもスペシャルですからね」
 ワトソンに話しかけていた折りの比じゃなく、白馬の表情も、声までもが甘い。
 こうして親しくなるまでは、白馬の恋愛に対するイメージはもっとずっとストイックなものか、でなくばレディーファーストの国育ちならではな女性に礼儀正しくて案外奥手なタイプかと踏んでいた。
 ところがいざこうして対峙してみれば、……彼は踏み出すと決めたら早かった……白馬は臆面もないストレートさで言葉にも態度にも出す。
 もっと駆け引きを好むのかとも思っていたのに、それも違った。むしろ存外、率直に丸ごと求めて来る。
「うわ〜……真顔でスペシャルまで言いやがった……」
 しかも『僕の君』だ。気恥かしい。どこからつっこんで良いのか分からなくなる程度には、恥ずかし過ぎる。
 元来日本人の美徳とされている奥ゆかしさとはてんで縁がないと思っていた快斗自身が驚く程、白馬相手には照れくさく恥かしい思いに落とされてばかりいた。
 ありえない、とほてる顔を手で扇ぎながら呻く快斗の額に白馬は唇を押し当てる。
 快斗から仕掛けるには照れが先立つようなさりげなく与えられるキスや愛撫や親愛を込めた軽いボディタッチは、些細でありながらその一つ一つが快斗をうろたえさせ、気恥ずかしくさせる。
 それでも、白馬が惜しまない、ためらわないそれらは、逃げたくなるのと同時に快斗の心を浮き立たせる。
「ただ、好みの一貫と言う意味では君と彼に心が惹かれる要素として相似点があるのは認めましょう。……君が聞きたいのはそう言う意味?」
 反対に問い返されて思わず黙り込む。
「それとも仕事と私、どっちが大事?って言う、ドラマでお馴染みの台詞と同義語ですか? 僕としてはそれはそれでくすぐったい気分になりますが」
 今度は問いながらも快斗が答えないであろう事は彼の中で折り込み済みだったらしい。
 にらみ、がう、と牙を剥く真似をする快斗に、くすくすと笑いながら彼は右手を手慰みにか自由に跳ねている快斗の髪で遊ばせる。
「ワトソンは勿論大切ですが、どこかに飛んで行こうとするのを無理に捕まえておこうとは思いません。でもそれが君なら、同じように出来るかは……自信がないんです」
 すみません、なんて苦笑混じりに白馬は笑う。
「僕から離れようとする君の手を離せるかどうか。ましてや離れてしまった君の幸せを、祈れるかどうか分からない。狭量な男だと笑われるかもしれませんが」
 白馬のてのひらが、こめかみから頬を伝い輪郭を丁寧に辿る。その仕草はクールな探偵の横顔とはかけ離れ、愛しさが溢れて触れずにはいられない、そんな風で。
「いいよ、それはそれで。オレの幸せはオレにしか分かンないんだから、オレの幸せを勝手に想像してああだこうだされるよりよっぽどマシ」
 白馬なら何かあれば快斗を優先するあまり距離を置く、等の暴走をするんじゃないかと危惧していたが、むしろそういう狭量さなら歓迎だ。
「ちなみにオレの幸せは、旨い食い物と快適な寝床と、お客様の拍手だから覚えておくよーに」
 『白馬と食べる』旨い食事と、快適な『白馬の部屋の白馬がいる』ベッド、と詳しく語らないのはご愛嬌である。
「じゃあ君は今、幸せ?」
「お陰さまで、まずまずと。なぁ、じゃあさ、オマエの幸せは?」
「僕の幸せは君ですよ」
 ぎゅ、と腕が一度快斗をしっかりと抱きしめて、そうしてふわりと抱擁がとかれる。どことなく名残惜しそうに離れた腕を見送って、快斗は白馬を見上げた。
「オレ、オマエが言うような可愛い奴じゃねぇよ」
 素直じゃない、可愛く上手に甘えたり出来ない、例え白馬がそれでいいと言っても。
 白馬のように臆面もなく相手を認める言葉を伝えたり出来ず、それこそ滅多に好きの一言も伝えられない。
「オマエの幸せの為に、何もしてやれてなんか、」
「ここにいてくれてます」
 苦々しい自嘲の響きを遮って、声は断言した。
「君には、いつだってどこへだって自由に飛んで行ける、強くて美しい翼がある」
 残念ながら今は見えませんが、と快斗の反応を探るように珍しくも白馬が軽口を挟む。
「けれど、どこへでも飛んで行ける君が、こうして掴まえてもいないのに、僕の傍らにいてくれてますよね」
 ほら、と、白状するみたいに彼は両のてのひらを掲げて見せる。
 もう腕という囲いはない。動きを遮るものはない。
 けれど快斗は動かない。
「それは君が僕を認めて、選んでくれたから」
 そうでしょう、と穏やかな紅茶色の瞳に問われて、快斗は軽く腕を揺らす。白馬の指先に指先がとん、と触れた。まるで偶然揺れた指先が当たっただけ、と言うような自然さで。
 気付いた白馬が目を和ませる。
「だから僕は、君が掴まえていなくてもこうして逃げずに消えずに腕の中と同じ距離にいてくれる事で、とても君に幸せにして貰っているのですよ」
 抱きしめられている時と変わらぬ距離は、快斗にとってもやや気恥ずかしく、それでいて他の誰かに譲る事は考えられない、特別な空間だ。
「いるだけで?」
「ええ、いてくれるだけで」
「ハードル低く過ぎっ」
 軽い悪態に、白馬がほんのりと笑う。
 抱き締められているのと変わらない距離、と言っても至近距離ではあっても触れ合っていない距離を、快斗は腕を伸ばし身体を傾ける事でゼロへと縮める。
 白馬に自主的にくっつくだなんて、抱き締められるのより羞恥は数段上になると思っていたし、もっとずっと沢山勢いだの弾みだの踏み出す為の何かが必要だと思い込んでいた。
 けれど、手を伸ばしてしまえば呆気なく届いて。
 抱きついてしまえば照れくささや気恥ずかしさより、やり遂げた、してやったり的な妙な達成感と清々しさがある。
 何より抱き締められるのと同じ位抱き締める事で満たされる、確かな気持ちがある。
「オマエはオレがここにいるだけで満足かもしんねーけど、オレは欲張りだからそれだけじゃ物足りない」
 これ以上なくくっついているから、彼が息を飲んだのもすぐに伝わった。
「って言ったら、どうする?」
 肩口で笑いながら付け加えると、一際大きく揺れて白馬の腕が背と腰に回される。くっつくより更に密着するようかき抱かれて今度は快斗が息を飲む。密着の度合いが、比ではない。
 彼らしからぬ込められた力の気遣いを忘れた強さ、息苦しい程の余裕のなさが返事でもあった。
 『逃げる』も『負ける』の文字も快斗の辞書にはない。
 けれど『素直になる』や『甘える』の言葉なら、探せばどこかにある筈なのだ。
 彼の鷹が、キュイ、と何かを訴えかけるように一声上げる。自分を忘れるな、と不服を訴えているのか、二人を祝福をしているのかはその声からでは判断がつかない。
 もっと鋭い声を上げ、振る舞いも威嚇するなりすれば、快斗にだってワトソンの意思をある程度は読み取れるだろう。
 けれど細かなニュアンスまで汲み取るのは、どうしたって同じ言葉を操るもの同士ではないのだから、難しい。
 例えば、同じ羽根を持つものとして、彼の所へ飛んで来る事も羽根をたたんで彼の腕にとどまる事も、出来る。
 その存在で孤独を慰め、必要とあらば彼の為に空を翔け、力だって貸すだろう。捕らえられずとも逃げず、身をすり寄せて甘える事だって可能だ。
 けれど、ワトソンの意思は最終的には白馬が想像し予測し、察するしか出来ない。
 だが、今の快斗は違う。
 怪盗キッドだった頃の、心に枷をつけ白馬の隣りに並べなかった頃とは違う。
 白馬の思いが分からなくて、踏み出しあぐねていた頃とも違う。
 快斗が今の快斗だからこそ、出来る事がある筈だった。白馬を幸せにする為に。共に幸せになる為に。
「君が望んでくれるなら、何だって」
 彼を抱き締めてキスして、抱き締めあってキスして、キスして。
 好きだと伝えてキスして、幸せだと教えてキスして、そして。
「じゃあ幸せになっちゃおう」
 羽根がなくても飛んで行ける。
  ……二人でしか行けない、天国まで。
 

・end・  

◆『脱走金魚/うちのコ自慢』より◆白×快◆


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