だるまさんが転んだ |
三ヶ月ぶりの待ち合わせは、日暮れ時になった。 別段喧嘩していた訳でもなければ、どちらかがどちらかを故意に避けようとした結果ではなく、ただ単にタイミングが合わない日々を重ねると気付けばそのぐらい過ぎていただけだが、やっと日が決まっても会おうとする努力を嘲笑うかのようにその時間すらなかなか決まらなかった。 結局、互いにどう予定が片付くか分からなかったから、折に触れメールで何度も状況を知らせあって、折り合いがついたのが、その時間。 『ちょっと遅めですけど、夕食に行きましょうか』 メールだとあの声の甘さは伝わらないけれど、それでも彼らしい穏やかな響きは伝わって来て、快斗は一も二もなく是の返事を送信した。 それから四十分ほど経って、快斗は今、その背中を見つけた。 雨こそ降らなかったものの、じんわりと、湿気混じりの風で汗ばむ微妙な陽気だったからか、白馬はジャケットを脱いで左腕に掛けている。 右手は恐らく携帯電話をすぐに取り出せるようにだろう、ストラップの辺りで手持ち無沙汰そうだ。 まめに連絡を取り合っていたものの最後にこの場へ辿り着く為の交通手段を、快斗はわざと知らせなかった。 なんと言っても数ヶ月ぶりだ。 驚かせてやる気満々で、快斗は気配を消して人混みに紛れ、そっと彼の背面へと距離を縮める。忍び寄る姿はまるで『だるまさんが転んだ』である。 駅前の噴水やモニュメントは待ち合わせの定番で、白馬だけでなく辺りには人待ち顔ばかりだ。そんな中でも彼は一際目を引いた。 すらりとした立ち姿は姿勢も良く、身に纏っている白のシャツに黒のパンツはありきたりの組み合わせだがセンスの良い上質の物で。 何より彼自身が、立っているだけで絵になるというもの。 意識せずとも視線が向かうのもよく分かる。 その証拠に既に秋波混じりの熱い視線があちこちから集中していて、声をかけられていないのが不思議なほどである。だが、垣間見える横顔からするに、当の本人はどこ吹く風とばかりにそれらを気に止めることもなく涼しい風情だ。 白馬は、改札口とバスの停留所にかわるがわる目を遣っている。 その僅かな動きに、白いシャツが背中にピタっと張り付いたり、ポケットから携帯電話を取り出すふとした仕種で引っ張られたりするのに、快斗は内心『うわー』と呟く。 清潔な白いシャツ越しに浮き上がった肩甲骨に、後ろから飛びつきたくなった。 無邪気に飛びついて、ぎゅっと抱きついて、振り向いた驚く顔からキスの一つも掠め盗れたなら相当気分は良い筈だ。 勿論、日は落ちても街は明るく、周囲の人影が絶える事はないこの場所の、しかも恐らく現在この周辺でもっとも人目を集めているであろうこの男を相手に、流石の快斗も実行に移す度胸はなかった。 二十一時はディナーにはやや遅くとも真夜中ではないのだから、実行も流石に躊躇われる。……衝動的に、そうしたくなったとしても。 シャンと伸ばされた背の姿勢の良さは、そのまま彼の育ちの良さが表れているようだ。まっすぐで、真面目で、一本筋が通っている。 更に人波に紛れ息を詰めて近づくと、目前の背と身長差がはっきりと顕わになった。 高校時代とあまり変わらないのはその身長差くらいで、快斗も少し伸びたが同じだけ伸びた白馬は更に身体つきも全体的にかっちりとした感じになった。 肩幅も、てのひらも、そして背中も。 もう少年っぽさを脱却して、学生時代の分不相応な大人びた落ち着きにようやく外見が追いついて来たようだ。 そうなると騒がれていた王子様フェイスが更に際立ち、王子様オーラは最早向かうところ敵なしの輝きを呈している。 こうして少し離れて眺めれば、普段気付けないような事にも気付けるのかもしれない。 例えば、今、白馬がどんな奴なのか、だとか。 快斗が傍にいない時の彼が、どんな風なのか、だとか。 知っているつもりでも、近くに居過ぎて変化に気づけないでいる事もきっとある筈だ。 そして変わらない所も。 白馬がまた視線を転じた。 背後から彼の横顔を垣間見るだけではその瞳に映る感情の波までは見て取れないので、白馬が苛立っているのか、呆れているのか、その揺らがない背中だけでは判別がつかない。 視線の先では電車が到着したのか、改札口から続々と一気に人が吐き出されて来る。 その一時の人波から快斗の姿を探しているのか、しばらく彼の視線は定まったまま。 まるで動いている映画の中で彼だけが切り取られたように縫い止められたかのように、その姿を留めている。 動かない、背。 そういえば、以前に賞を受賞した本のタイトルに『蹴りたい背中』というのがあったが、彼のはさしずめ『抱きつきたくなる背中』だろうか。 ゴロの悪さは否めないが、今の快斗には蹴りたいよりはむしろくっつきたい方が大きい。 こうして眺めていても、手がうずうず、むずむずとする。 たったの三ヶ月会わなかっただけなのに、柄になく随分と甘ったれになってしまったようだ。 ……もしくは、三ヶ月は『たった』と呼べるものではなかったのか。 改札からの人の流れが途絶えると、白馬は軽く肩を落とした。聞こえはしないが溜め息の一つでもこぼしたのかもしれない。 そしてくるりと周りへと視線を廻らせるが、流石に快斗が背後から来るとは思ってはいないのか、その視線とはかち合う事もなかった。 何かを迷うように小さく身じろいで、彼の指がストラップを引っ掛けて、止まり、結局その手に携帯電話を取り出す。 開け、着信もメールも来ていないと確認しただけでなく、そのまま素早く指を動かしている、一連の動作は滑らかで。 その動きからメールを打っているであろう事は容易に推測できる。その相手も。 なのに、快斗はまだ背中から目を離せないでいた。声をかけるでもなく、ただただ魅入られでもしたかのように、半ば上の空なのに、視線だけは背中から離れない。 白馬の指が止まったのを背中で知った。 タイムラグなく、快斗の携帯電話がメールの着信を知らせる。 マナーモードのままポケットに突っ込まれていた携帯は短く二度震えて静かになった。 それがまるで魔法を解く呪文だったかのように、ようやっと快斗は穴を開けるほど見つめた背から視線を引き剥がし、のろのろと携帯電話を取り出す。 新着メールは案の定、白馬からで。 開いて、思わず笑いが零れる。 『これ以上待たせるなら、夕食に君を食べます』 見透かされたかのような文面は、しょっちゅう遅刻する快斗への単なるからかい半分のメールなのか、それともこうして到着を知らせずに視線だけを送り続けた快斗を知っていての、メールなのか。 文字面だけではどちらともとれて、どちらという決定打は、ない。 携帯を眺め、そしてふと視線を転じれば、振り返らない泰然として見えた背中も、肩が小さく二度揺れて、彼が笑いをこらえているのを示した。 いつからバレていたのやら。 ともあれ、これでようやっと肩の力も抜けた。 張り付いていた視線を外し、固まっていた足を動かして、滑るように一息に背中へと歩を詰める。踏み出しあぐね眺めた背は、こうして歩を進めると案外大した距離ではなかったのかもしれない。 白馬はやはり振り返らない。もう消しもしていない気配と足音で、快斗が迫っているのを知っていても。 彼の真後ろで足を止めた。妙な緊張感が過ぎる中、快斗は白馬の背に人差し指で触れる。 くすぐったいのか微妙に身じろぐその背に、そのまま容赦なく指を走らせた。 『あ』 『と』 『で』 仕上げにパン、と背を叩いて明るく「おまたせ」と声を掛けると、振り向いた白馬がおもむろに何かをジャケットのポケットから取り出した。 「え?」 きょとんとする快斗に、白馬は有無を言わさずそれを掛けさせる。……運転する時だけ彼が使っている淡いカラーのサングラスを。 「何だよ、これ?」 唐突に淡いブラウンに沈んだ世界の中で、白馬は真顔のまま快斗の背に腕を回す。その表情から機嫌の良し悪しは見て取れない。 完璧なエスコートの仕種で促される快斗は、当然白馬に注がれていた周りの視線にも晒される事になるが、取り合っていられない程度の強引さで、彼は歩き出した。 必然的にエスコートされている快斗も釣られてそれに従わざるを得ない。 「おい、白馬?」 何だよ、これ、とサングラスに指をかけ、外しかけるとやんわりと伸びた指がそれを遮った。 かけておけ、という事か。 珍しく存外強引な白馬の指に、逆らうのも気が引けた。なにぶん三ヶ月ぶりのデートに大幅な遅刻……というか勝手に足を止めて見惚れていただけだが……をした自覚はある。 ややして歩調を緩めると、白馬は快斗へとちらりと視線を寄越した。 「あのね、黒羽くん」 唐突な声は、らしくなく唸るように落とされて。 不機嫌なのかと思われた声はまるで違って届けられた。 「困るんです」 更に、何気なく耳元へ唇を寄せるようにして、囁かれる。 「背中が焦げるかと思いましたよ」 その気になるから、この目で見ないで。 冗談の最後に付け加えられた声が少し悔しそうでそれでいて甘くて、快斗は背中を軽く一つ叩いて「ばぁか」と悪態を吐く。 横目で見た三ヶ月ぶりの背中は、やっぱり蹴るよりも叩くよりも、抱きつく方に似合いの背中だった。 ・END・ |
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