はるよい  〜KEEP OUT後日談〜 2



    *    *    *


阿笠邸の玄関先で阿笠と哀を相手に軽口の応酬を楽しみ礼を述べて別れ、隣家の門を潜った時には辺りはすっかり闇に沈んでいた。
 宴会が終わって食後にお茶とお茶菓子までご馳走になって、随分とのんびりとした気がしてたけれど暇乞いをしたのはそれでもまだ時間的には宵の口。
 三人は阿笠宅玄関先からぐるりと隣家の門前へと移動した。先に進んでいた新一が一足先に工藤邸の玄関扉に手をかけ振り返り唐突に問うて来る。
「で、快斗。おまえはどうするんだ?」
 快斗は目を丸くした。
「どうって……ナニが?」
「今日泊まってくかって聞いてんだよ。服部は帰るけどおまえどうする?」
「え」
 快斗はきょとんと背後にいた平次を見返った。
「……帰るんだ?」
 というか、帰るのも驚きだったが、それより何より。
 大概今日は二人のどちらかにべったり張り付いていたというのに、いつの間に探偵達の間でそんな会話がなされていたのか分からない。
 快斗の素朴な疑問に平次は微苦笑で頷いて応えた。
「明日、朝一からやからなァ。しゃあない」
 肩を竦めて見せて、快斗から視線を転じる。
「工藤は結構飲んどったようやけど、昼からなん?」
「いや、でも一コマ目はねぇし、もうほとんど抜けてるから平気」
 目許はほんのり色づき頬の血色も良い、しかし本人の言通り新一の酔いはもう落ち着いたようだ。口調も話す内容もしっかりとして見える。
 なるほど、と新一の台詞を追っていて不意に腑に落ちる。


(……そういえば、)


 平次はビールでの乾杯の後、哀のジンジャーエールのお相伴に預かり、その後は烏龍茶に走っていた。
 常にビール片手の新一や快斗とテンションの高さがあからさまに違わなかったから殊更は意識していなかったが、あれきりアルコールを摂取していなかったのは、彼は端から帰る算段だったのだろう。工藤邸の車庫に今は納まっている、彼の愛車……二輪で。
 そして探偵は会話でなくそれを見逃していなかったから、平次が『帰る』事を既に決定項として語った。
 聞き覚えのない会話の謎は、以心伝心のテレパシーでも事件現場で培われた探偵技術によるアイコンタクトでもなく、どうやらオチはそんな所らしい。
 西の地から飛んで来ては当たり前のような顔をして毛利宅や工藤邸に転がり込んでいた姿を知る身としては、いかに都内に部屋を得たとはいえ『帰る』と主張する服部平次はどうにも物珍しい。
 だが怪盗KID的には物珍しくとも、黒羽快斗的には西の探偵の動向にやたらと詳しいのは不自然極まりないので、ここはコメントを避けて大人しく受け流しておくに限る。
 更にぼんやり会話の成り行きを伺っていると探偵達は額を寄せ合うようにしてひとしきり提出するレポートの期日の確認などをボソボソと語り交している。
 示し合わせたかどうかは不明だが、探偵同士興味の方向性も近いのか彼等は学部こそ違うもののかなり高確率で共通の講座を取っているらしかった。
 やけに真剣に単位の計算をしているが、それが真面目に学業に取り組むつもりがあるが故か、最低限の学業を抑えつつ最大限に探偵業に勤しむ為の努力か、疑惑はやや黒に近い灰色である。
 特に東の名探偵は過去のあれこれを踏まえると限りなく黒だ。
 しかし、どちらにしてもやはり快斗には関わりがなさそうだったのでそこもくちばしを突っ込む事なく流しておいた。
 ぼーっと見上げた空の真ん中には、落っこちそうな白っぽい小さな三日月が細くカーブを描いている。
 空はのっぺりとした濃紺とくすんだ薄灰で成っていて目を懲らすまでもなく漆黒とは程遠い。
 今夜は月以外の彩りが見えない分、夜空は更にぼやけた印象を与えている。
 だからと言って星が見えないから明日は雨、と安易な結論の出せない所が都会の厄介な所だ。
 米花のこの辺りは都会の中でもかなり閑静な地区で、周りに電飾やパネルスクリーンの宣伝が煌めきチカチカ発光している街とは段違いだが、それでも闇を蹴散らす白銀灯の明かりはそこここにある。
 地上の明かりに空中の淡い光は負けてしまって見えない。
 だが、原因がそれと特定出来ない以上明日の天気は携帯電話の天気予報に頼った方がより確率は高い。
 天候についての会話が語るべきがない時の社交辞令ならば、天候に思いを馳せるのも考えるべきがないからこその思考なのかもしれない。ぼんやりと思い巡らせる。
 後で首が痛くなるかも、と思いつつ見上げていた快斗は後頭部がむず痒いような気がしてふと振り向いた。
 と、漸く話にキリがついたらしい、探偵達が揃ってまじまじと快斗を見ている。
 凝視している、と言ってもいい。
「……あ、呼んだ? ぼーっとしてた。ナニ」
「いやええんやけど。帰るんやったら送ってくけどジブンどないする、て聞いただけやから」
 うわゴメン、と眉尻を下げると気にするな、と言うように二の腕をポンと叩かれる。
「泊まってくならウチは別にいいけど」
 言葉を添える新一に首を振って見せて、応えを待つもう一人の男に頷いて。
「ううん、帰るよ。公園トコで落として」
 朝、工藤邸に行く時もそこで示し合わせて乗せて貰って来たのだ。黒羽快斗として工藤邸以外で初めて顔を合わせたのがその公園で、平次の借りた部屋からもほど近く、待ち合わせと言えば『公園』、『公園』と言えばそこだと平次には通じる。
 仕込みではなく普通に快斗の借りた部屋からもその公園は徒歩圏内だったが、平次にはまだ住所を言っていない。彼は、快斗が今いるのが自宅ではないと知っているだけだ。
「アホ言いな、部屋まで送るわ。どーせ公園ら辺なんやろ、ついでや」
「……でも、」
 快斗のためらいを軽くいなし、ちょお待っとって、と身振りで示して、キーをくるくる指先で回しながら平次はフットワークも軽く工藤邸の車庫へと姿を消す。
またもぼんやり見送っていると、間近から性質の悪い含み笑いが聞こえた。……残された相手は一人しかいない。
 玄関に背を預け、腕を組んでニヤニヤ微笑う、名探偵の姿。
「……な、ナニかな〜?」
「おまえ服部にもっと甘ったれた喋り方するかと思った」
「って、どんな」
 興味をひかれて促すと少し考える間が入り、
「送ってくれんの? ラッキー♪ でもオレどうせならへーじン家泊まってみたいなあ。今から行っちゃダメ? とか何とか。……言いそうだろ」
 わざわざ芸も細かく口真似までしての語りに快斗はやおら門柱に取り縋って笑いを堪えた。が、結局は失敗し『ブフッ』と吹き出して、機嫌を損ねた探偵の必殺の蹴りを背中に二発も貰い受ける羽目となり……無駄な我慢と相成った。
 相変わらず名探偵の足癖はよろし過ぎる。そんな所は全然似ていないのだけど、と、しみじみ思う快斗である。
 そもそも顔のパーツといい二人の造作はかなり似通っているから、実際少し髪の毛を撫で付けただけで快斗は新一を真似られる。
 勿論二人をよく知る人物には容易には通じないであろうし、現に今席を外している西の探偵こと服部平次もその点では過去に一悶着あった相手だ。
 快斗……否、怪盗KIDと工藤新一とは『瞳』の持つ『力』が違うと彼はきっぱり言い放ったのだ。
 決して同じには成り得ないと。
 確かに光の加減で蒼系の強くなる新一と、感情が紫暗を強める快斗はカラーコンタクトなどでは再現しようのない微妙な彩の差異が瞳にある。
 そうはいっても現実問題として宵闇に紛れた現場で二人の違いが如実に分かるものなのかという疑念と、そう簡単に分かってたまるかという負けん気、そしてKIDの独特の瞳の彩から正体を悟られるのではないかという不安が快斗の中でせめぎあっている。
 それだけでなく、彼の言葉通り二人の違いが本当に分かるのだとしたらそれだけ工藤新一だけでなく相対する怪盗KIDをもしっかりと観察、認識していたと言う証明でもあるから、……少しばかりのくすぐったいような気分の高揚や期待も正直あって。
 あの時。
風邪を引き込んで転がり込んでいた工藤邸からKIDの騒ぎに乗じて立ち去ろうとした時。
 本来なら平次との関係はそこで断ち切れる筈だった。……そうすべきだった。
 服部平次は、快斗が端から見て思い込んでいたよりは多分にイイ奴ではあったけれども、性格を云々するより性質として『探偵』だから、それはもう体質とかと同じで本人の意識よりも本質的なものと言える。しかも怪盗KIDの瞳に目をつけたと言う点においては、現在最も警戒を必要とする探偵でもあった。
 だから探偵達の日常より黒羽快斗の退場のタイミングとしてはその時は逃すべきではなかった。
 けれど結局足を戻す羽目になって。
 複雑な心境のままそれでも幾らかの期待と気合いを伴って再度快斗は工藤邸へと足を運んだというのに、平次は快斗の瞳に気付くおろかまともに目を合わせたかどうかさえ今となっては定かではない。
 色々と誤解とアクシデントが混乱を巻き起こしたのも事実だが、それにしてもその後数度に渡って顔を合わしていると言うのにその点についての彼からの反応は皆無だ。
 いっそ見事なまでに、快斗を快斗としてしか見ておらず、KIDに切った啖呵は結局はったりだったのか、口に出さないだけで既に疑っているからこその態度なのか。
 どちらにしても現状、快斗の立場では確認しようもない。
 だが、その他大勢を相手に短期間なら新一の代理をこなせる自信はある。現に新一の幼なじみにも、その親友にもばれなかった。
 こっそり新一に変装して堂々と警視庁へと偵察にも赴いたが、既知の刑事や警部を相手に渡り合っても微塵も怪しまれた様子はなかった。
 流石に新一の隣人で長い付き合いのある阿笠や、新一の運命共同体である哀、そして一筋縄ではいかない彼の両親までは無理だろうけれど。
 そんな快斗の事情に反し、新一が快斗のフリをするだとか快斗っぽく振る舞うのは今この時までお目にかからなかった。恐らく彼の生活の中で快斗を真似る必要性はなく、気まぐれも起こらなかったのだろう。
 こうして新一による快斗の口真似を耳にした結果はと言えば、二人の違いがより如実になっただけだ。彼が快斗を装っても快斗には成り得ない事の証明の如く。
 とはいえ工藤新一は大女優と謳われる銀幕の女王、工藤有希子を母に持っている。彼に本気で演技のスイッチが入ったら、快斗の雰囲気を捉らえ造り上げるのなど甚だた易いかもしれない。
 が、現時点では俳優としては程遠く、快斗はここぞとばかりに追撃をかけた。
「新一、オレの真似下手くそ〜」
「ウルセー。でもおまえ言うだろ、それくらい」
「えー、言わないよ。快ちゃんデリケートだからそンな事言って、馴れ馴れしいとか厚かましい奴とか思われたら嫌だもーん」
「だもーんじゃねえ、どの口が言いやがる」
 しかめっ面の名探偵にいけしゃあしゃあと『このお口』と指差し、ついでに投げキスなんぞを飛ばしてみるが、彼は露骨に嫌な顔で身をずらせてキスの軌跡を避けてしまった。
 残念、と呟いて。
「ったく。オレ相手ならその位平気で言う癖に」
「そりゃあ新ちゃんが相手ならね。こーゆー事言ってもこーゆー甘え方しても、全然オッケーじゃん」
 くるっと反転すると新一の横に肩を並べる。ことん、と首を傾け肩に頭を預けても、くすくす笑いで揺れた髪が頬に触れても、彼ならば距離を取ったり神経質にならなくても良い。
 許容されていると知っているから、甘えられる。
 それだけじゃなくて、新一には不思議な嗅覚の良さがある。
 ただじゃれついている時にはこづいて振り払われても、同じように振舞っているのに不思議と弱っている時には振り払われない。
 新一は笑いも呆れもせずに小首を傾げた。
「服部だって似たようなもんだろ」
 笑顔のまま沈黙と言う応えの意味を、僅か一拍入れるだけで名探偵は悟ったらしい。しくじった、とでもいいた気に微かに眉間にしわを刻む。
「ああ……、服部はそうはいかねぇか」
 嘆息混じりの新一の言に快斗は細く吐息に混ぜて『そう、いかないんだよね』と肯定の頷きを一つ。
 快斗の中で、甘えていい相手とそうはいかない相手は明確な線引きで分けられている。
 お節介で優しい手やあけっぴろげな笑顔、切ない程一途な眼差しに惹かれても、それは自分に与えられるものでないのは分かっているから、平次を相手に『甘え』られない。
 一緒に鍋を突ついてもバイクで後ろに乗せて貰っても、親しく言葉を交わしていても。変わらず彼に手は届かない。扉が開いて、見えないラインを意識しなくなっても、二人を隔てていたその距離までが一息になくなってしまった訳ではないから、それをどうすれば縮められるのかを快斗は手探りで探っている。
 それを朧げながらも彼は感じ取っているから、仕方がない、とそれ以上の追及には及ばないでいてくれているのだろう。
 快斗の平次に対する複雑な胸中を察して。
「快斗」
 呼ばれて見ると、少し困惑した表情の新一が躊躇いがちに口を開く。
「オレに何か出来る事、あるか」
向けられた眼差しは至極真面目で真摯なもの。冗談で流すタイミングを思わず外してしまう程。
 言葉に詰まるのはこんな時だ。
 人間関係にはちっとも器用な人じゃないし、本人もそれをよく承知している。けれど彼はそれを盾にして逃げない。
 不安がない訳ではないのに、怖くない訳ではないのに。
 だから言葉を失う。
 快斗と面差しがよく似通ったこの人だけど、快斗は遠く及ばず……いつだって酷く、眩しい。
 とても広くて、とても深い。
 だから、不意に甘えてしまいたくなったのかもしれない。願いがふと口を突いてしまった。彼が表情を曇らせると分かっていても『何も』と答えるべき所なのに。
「そこにいて」
夜陰に紛れて消えてしまう位に危うい、小さな小さな囁き。すぐ間際に立っているからこそ届くレベルの、声で。
「オレが変わってもあの人が変わっても、世界が全部変わっても、」
 そこにいて。
 どうぞ、そのまま……天にある月のように、陽のように。
 いつだって傍に居て欲しいなんて願いはない。何かをして貰いたい訳でも、彼から何かを手に入れたいのでもない。
 ただ、出来るならばそこにいて欲しいと思う。
 ……揺るぎない視線と凜と全て見据える姿勢が変わらずに彼でさえあれば、きっと。
「それだけでいいから」
 進む道に淡く差し込む、細くほのかな一筋の光りのように。
 磁石の利かないだだっ広い世界でただ一つ揺るがない、流されない、確固たる指針のように。
 言葉じゃなく、行動でもなく、その存在がきっと導いてくれるだろうから。
 いずれ現れる太陽のような存在にまっすぐに向き合っていけるまで、今はまだ風のない春の宵にたゆたっていられれば……。
 そう願わずにはいられない。ある意味、贅沢な望みだろうけど。
 見返して来る友人の瞳にはもどかしそうな色がちらつく。
 言葉を探しながら応えた快斗の『答え』は、きっと彼の求めたものではなかったのだろう。それも分かっている。
 それでもそれ以上には踏み込んでは来ない。ここは事件の現場ではなくて、ここにいるのは怪盗と探偵ではないから。
「大丈夫だよ。そこにいてくれたらいいなぁとは思うけと、新一はオレの世界の中心だ、なんてサムイ事は言わないから」
「当たり前だ。愛を叫びたいなら余所でやれ」
 サムイしウザイし近所迷惑だ、とざくざく軽口が返って来るのが嬉しくて、へらへら笑いながら彼の隣りにしゃがみ込む。
 見上げると、薄雲の空。先ほどちらりと顔を覗かせていた小さな三日月も、今は姿を隠してしまっている。
「新一はね、オレの中心ってのにも近いけど、オレのお助けグッズみたいかな」
「……なんだ、それ」
「うんとね。新一はさ、新一ってだけで、オレには水でバンソーコで毛布で、懐中電灯で方位磁石なんだよ」
 彼の言葉は心を潤し、与えられる不器用なその手が傷を癒す。
 その温かさは顔を上げる勇気になって、揺るぎない眼差しが足元を照らし出し、その存在そのものが行く先を示す。
「オールマイティな非常用セットな訳さ」
「……訳分かんねぇ」
「分かんなくってもいいんだよ。いざって時に持ち逃げさせてさえくれれば」
「それはそれでクソ怪しい気がする」
「ほらほら、そこで探偵モードに入らない」
 考え込みそうになった新一の意識を慌てて引戻すべく、つんつん、とシャツの裾を引く。
 快斗は「ねぇ」と声をかけた。
「新一の中心にはナニがあンの? やっぱり探偵?」
 見上げて問えば、彼はふわりと天を仰ぐ。外灯に照らされた横顔は眉間にしわを寄せ、ややして不本意そうに苦笑、最後にはくすぐったそうな柔らかい笑みの形に落ち着いた。
「多分、そうだな。……灰原に言わせるとオレは『どうしようもなく探偵』だそうだから」
「流石、哀ちゃん♪ 分かってる! あんまり心配かけちゃダメだよ?」
「……おまえに言われると何かむかつく」
 拗ねた声で返された突っ込みは笑って受け流した。
『貴方も気をつけて』
『無茶も程々になさいよ』
 ……以前なら新一を経由して頂いていた気遣いもお小言も、現在直接頂ける距離に今の彼女はいる。快斗自身が工藤邸や阿笠邸に足しげく通っている実質的な距離はもとより、心理的な距離も心地好い近さだ。
「オレは新一の半分くらいしか哀ちゃんに怒られてないも〜ん」
「バレてないだけの癖に」
 悔しそうに言う彼は、哀にはすっかり頭が上がらない。探偵モードに突入すると途端に様々な物を意識の外に放り投げる傾向があるので、結果として散々無茶をした挙句に哀の世話になるのだ。
 平次が東都に腰を落ち着けた事で探偵たちのどちらかが抑止力となってくれるのではという哀の淡い期待は、共に我先に駆け出すタイプであった為に想像の域を出ないでいる。
「バレないのも大事じゃん。でも新一は隠さないでちゃんと診てもらう方がずーっと大事。……だって哀ちゃんの中心は、新一でしょ?」
 阿笠も、失った家族も、小さな友人たちも勿論今の彼女を培った一要因で、哀がその手で守ろうとするものたちだろう。
 けれど、その中で新一がどれほど彼女の中を占めているかは一目瞭然だ。
「知ってる、そんなの」
 自らの中心。核を成すもの。一番、大切にしたいもの。
 その筆頭が誰かを、知っていると彼は言う。
「あいつはオレの運命共同体で、あいつにとってのオレもそうだから」
 その声は厳かでそれでいて幸せそうな響きで聞こえた。思わずつられて笑顔が零れてしまう程に。
「そういうおまえの中心は何なんだ」
 その笑みを理解か誤解したらしい新一が、顔をしかめ肘で快斗を小突いて会話の軌道修正を図る。
「親父さんか?」
「……父さん?」
 きょとん、と快斗は彼を見上げた。
「確かに父さんはオレの中のあちこちにいるけど、」
 黒羽盗一。……世には知られてはいないが初代の怪盗KIDその人である。
 父親で、マジシャンで、目標で、近くてでも遠くて、目下最大の謎で、……飛ぶ理由。
「違うよ」
 もういないにも拘らず快斗の過去にも現在にも、多分未来にもきっとその影はあり、影響を与え続けるだろう人だ。
 けれど。
「……オレのど真ん中は、オレ。他の誰でもなく。じゃなきゃ真っ直ぐ立てないからね」
 誰かのせいにするのは簡単だけど、決断も責任も、後悔も全部抱えてそれでも飛ぶ事を選んだのは自分だから……誰の影響を受けたとしてもど真ん中は自分であるべきだ。
「そうか。らしいな」
「でしょ。あ、でも新一はちゃんといるからね」
「……え?」
「ちゃんといっぱい。オレのど真ん中はオレだけど、新一も哀ちゃんも博士も、父さんや母さん、ジィちゃんや青子、……皆いるよ」
 あまり大切なものを抱え込み過ぎると、身動き取れなくなる、飛べなくなる。
 けど、どうしたって捨てれないものがあって、その人がいるからこそ飛べる、そんな人も確かにいるから……まだ快斗は飛べている。
 大切な人たちを騙して傷つけて危険な事態に巻き込むかもしれなくって、そして遠からずその手を放す覚悟をも決めているけれど、それでも今はまだ。
「だとさ。寂しいよなぁ、服部。おまえの名前出なかったぜ?」
 ぎょ、と視線をやると、いつの間に戻って来ていたのか場を外していた元・西の探偵が門柱に取り縋って肩を落としている。
「……殺生や」
 相変わらず変な所で気配を発せず行動する男が、茶目っ気丸出しでここぞとばかりにさめざめと泣き真似をしている。
「あ、あの、えとっ」
「冷たい奴っちゃ。三日も親身〜に看病したったのに」
「あの時は、」
 助かった。ただその時は毛を逆立てた猫の如く平次を警戒しまくっていて、その後は改めて礼を言うのもおかしな感じでタイミングを計っている内につい言いそびれてしまったのだ。
 ぱくぱくと快斗の口が空気を食べる。
「未だに名前で呼んでくれたん、いっぺんだけやし」
「だからっそれは、」
 その一度が問題なのだ。よりにもよって思いがけずの再会でうっかり名前呼びなどしてしまい、本人からは快諾を得たとはいえ未だ中途半端な好意を秘めている立場だけに、これ幸いとは呼べはしない。
 結果『へーじ』おろか『服部』と呼びかけるもままならなくなってしまった。
 ……のだが、こんな言い訳も易々口に出来よう筈もなく。
「ダチや思っとったんは俺だけっちゅーことや。切ないわ〜」
「そ、んなコト、」
 ない、と言い切れない。
 ダチ扱いは嬉しくても様々な要因で諸手を挙げては喜べない。ぶんぶん首を振りながらももごもごと半端な反論は口の中に消えていく。
「公園で待ち合わせて公園で解散。近くや言うときながらちっとも家まで送らせてもくれへんしー」
「……〜っ」
 マシンガントークで早口に嘆かれて、快斗はまともに口も挟めず言い返そうにも内容的に言葉に詰まるばかりだ。
「なぁ、ごっつー薄情や思わん、工藤?」
 挙句の果てには新一にまで同意を求められては、心苦しいを通り越してふてくされ全開の快斗である。
 勿論、黙ってからかわれている気はない。
「ああ、そう! 薄情ですみませんねっ。でもさぁ、探偵さんの優秀なオツムならオレん家くらいすぐ見つけられんじゃないの?」
「尾行してもええ?」
「ダーメ」
 月下に近い光源の少ない夜間に、瞳を覗き込まれるような危険な真似は避けていたのも束の間忘れて、ひたっと挑戦的に睨み上げた。
 嬉々と受けて立った平次が楽し気に瞳を輝かせる。
「ほんならヒントとか」
「情報量は一緒の東の探偵さんはオレのうち、知ってるけど……それでも欲しい?」
 慌てて平次は首を振る。
「せやったらハンデなんぞいらん、工藤に分かったんやったら俺かて見つけたる。……三日でどうや」
「おっけ。じゃ三日で見つけられなかったら、次はたこ焼きパーティだね♪」
「臨むところや。そんかわり三日以内に見つけたら、」
 ふ、と快斗の顔を覗き込むようにして平次が言葉を途切らせる。視線を合わせると訝るような視線にかち合って。
「……ナニ」
「いや、……せやな、見つけたら、俺ンこと名前で読んでもらおか」
 一瞬、身を強張らせた快斗はその台詞につんのめりそうになりたたらを踏んだ。『名前呼び』がたこ焼きパーティの一切の面倒を見るのと同程度の交換条件になるとは、服部平次、謎な男である。
「なんでそこに拘るかなぁ」
 思わず快斗がぼやき、玄関にもたれ腕組み体勢ですっかり傍観者と化している新一が「まったくだ」と同意を示す。
 それを受けて平次が胸を張った。
「そらやっぱり気になるやん、工藤ンことは名前呼びやし、ちっこいねーちゃんも名前呼び、博士かて名前呼びやもん。……それとも名前では絶対呼びたない言うんやったら、」
「いいよ」
 その代わり、三日を過ぎて見つけられなかった時にはメールを送るのだ。
 『西の窓を開けて』と。
 窓越しに、手を振る快斗をどんな顔して平次が見るかと思うと多少は溜飲も下がる。
 平次が裏手のアパートに部屋を借りたのは快斗より数日は後で、だから勿論快斗としては何の思惑もなかった。
 それでも平次が真裏に居を構えた事を快斗はすぐに知り得たのだから、平次にだって難しい事ではないとも思う。
 見つけて貰う、それもまた楽しみ。
 見つからないのもまた一興。
 勝てば彼の主催でたこ焼きパーティ、負けても名前で呼ぶきっかけにはなるからどちらに転んでも快斗的には悪くはならない。
 そしてこんな何でもないような次の約束に快斗がどれほど心躍らされているか、彼は知らない。
「おっしゃ、勝負や」
「お腹減らして待ってるよ」
 平次が投げたメットを、約束の証のように受け取って、二人月明かりに笑う。
 新一の『また巻き添えか』との呟きはどちらにも一顧だにされる事はなく。
 春の宵。
 滲む紫暗の瞳に、花の酔い。
 君通う、瞳の先もまだ知らない。


 勝負の行方は、三日のち。


 全開の笑顔に負けを認めた。


・end・

◆平×快◆


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