・MYBD・


 六月に入って最初の水曜日。
 当たり前の平日に、至極当然といった顔で『行ってきます♪』と登校した押し掛け居候は、やはり自宅の門を潜る気楽さで『ただいま〜♪』と工藤邸の扉を押し開けた。
 かと思うとロクに何も入っていなさそうな学生鞄を既に自室の如く扱っている二階へ昇って三つ目の客間へ放り込んで、変わり身の早さで黄色のパーカーシャツとブルージーンズ姿になってリビングへと駆けて来る。
 騒々しいことこの上ない。
「ただいま、新一、九時間ぶり〜♪」
 喜色満面を絵に描いたような笑顔でパタパタとスリッパを鳴らせながら駆け寄った快斗は、リビングのソファーに寝そべっている家主に『ただいまのキス攻撃』を仕掛けようとして、しくじった。
 新一のそっけない『おう』の一言にタイミングを外されて、ずさあ、と顔面から絨毯の上にスライディングをかましてしまう。
 その煽りをくらった片足のスリッパが空を飛んで、廊下の壁へとベシャッと音を立ててぶつかり重力に従い落下した。
 ちなみに、常々演技過剰気味な快斗だったが、今のは本気で嘘偽りのない素のズッコケだった。
 平次がいれば「ナイスボケや、黒羽!」と拍手の一つも頂けたかもしれないが(それで救われるかどうかはまた別問題として)生憎、西の名探偵はGWの終了と共に郷里へと戻ったので、頂戴できたのは東の探偵さんの心底不思議そうな顔つきで呟かれた「何やってんだ」の一言だけだった。
 ……疑問系ですらない辺り、非常に報われない。
 ソファーに寝そべり月始に発売されたばかりの洋書・ノベルズ・文庫・雑誌の取り混ぜられたミステリーの山、約四十センチの攻略態勢に突入している家主は、呟いた傍から視線は紙面へと速攻でリターンしていたりもする。ほんっとうに、報われない。
「な、何って別に望んでこうなった訳じゃないんですけど……いや、それよりさっきの『おう』って……?」
 ヨロヨロと起き上がった快斗は、ソファーとローテーブルの間の広くはない空間へと入り込んで、新一へと向き直って中腰で屈んだ。つん、と押されたら後ろに転がるヤンキー座りである。
「おかえりのかわり」
「……あのね、新一、そんな横着しないでさぁ、素直におかえりって言ってくれても手間はそう変わんないと思うよ」
 嘆いてみせても、新一は「そっか?」とあっさりしたもので、もう彼の指はページを捲るべくしかる位置へと戻ってしまった。
 慌てて快斗はソファーへと中腰のままカニ歩きの縦バージョンで擦り寄った。
「し〜んちゃん。お話あるんですけど」
「……ンだよ」
 無視する気はないらしいのだが積極的に会話する気もないらしく、返事は不思議な間を挟んで返された。快斗ははめげずにソファーの縁に三つ指ついて、目一杯おねだりモードを発動して続ける。
「ね、今度の日曜、予定入ってる?」
「読書」
 今度は即、返事が返った。
 コレ、とばかりに積み上げられた本の山をくいくいと親指で示されて、快斗はウッと心臓辺りを押さえて呻いた。しかしここで諦めていてはこの名探偵に恋は出来ても恋愛へと持ち込めやしないのだと、過去の自分が背中を押す。
「じゃ、じゃあ土曜は……?」
 新一は黙って人差し指で再度本の山を指し示す。
 彼の容赦のない態度に、快斗は文字通りべしゃっと潰れた。
 床からソファーの上の家主を見上げて、おねだりモードのレヴェルを上げるか泣きつきモードに切り替えるか、正攻法で頼み込むかを真剣に検討してみるが、返される事のない視線に快斗はため息を呑み込んで座り直した。……意気込みも新たに、ちょこんと正座で。
「〜〜〜っ。……平日でいいよ、ガッコ終わってから! ダメ?」
 じりじりお願いのポーズのまま止まっている快斗と、聞かざるポーズで紙面へ視線を落とし続ける、新一。
 時計の秒針の刻む音しか聞こえない、嫌味なまでの静寂と、ビデオの静止画面並の停止姿の二人。
 無言の攻防はひたすら続いた。
「分かったよ」
 折れたのは新一の方だった。はぁ、とため息を一つ落として、パタンと本を閉じて快斗と視線を合わせる。
「日曜、空けときゃいーんだろ」
「ありがとっ新一〜♪」
 がばっと抱きつき、次の瞬間には新一の黄金の右足に蹴り剥がされそうになるのを飛び退いてかわして、ウインク一つ。
「デートだからね♪」
 キッチンへ駆け込む居候に、バカ、と家主は小さく呟いただけだった。
 クッションもマグカップも、手元にあったハードカバーの洋書も、リビングの空を飛ぶ事はなかった。
 キッチンで鼻歌を歌っているご機嫌な背中を見つめる名探偵が、いくらか思案顔な点を除けば、極めて平和に日は暮れたのである。

 

    *     *     *

 

 梅雨入りしたのかしてないのか連日はっきりしない天気が続いていたのにも関わらず、週末の天気は真夏日もかくや、という快晴だった。
 休日の渋谷に前述の条件を付け加えると、人混みは乗車率百二十パーセントの盆前の新幹線にも等しい。
 三歩歩けば人にぶつかり、前の人間を追い抜かすのも一苦労、気付けば身動きもままならないという有様だ。
 こんな日のこんな場所に、普段の工藤新一ならどうまかり間違っても足を踏み入れる訳がない。それこそ事件や、その調査の為でもない限り。
 だというのに、新一はもみくちゃにされながらも何がそんなに嬉しいのかニコニコ笑顔を絶やさずしきりと話しかけてくる快斗と、肩を並べて歩いていたりした。
 ここまで来てしまった以上は、諦めの境地半分、つまらない用件だったら承知しないという意地半分で歩を進めている。
「なぁ快斗」
「ナニ? ……あ、もう帰ろうはナシだからね」
「違ぇよ、バーロォ」
 実際、人混みにうんざりしていたのも事実だったが、快斗に軽く釘を刺されて、新一は低く毒づいた。聡過ぎるのも場合によりけりというものだ。
「そうじゃなくて、どこまで行くんだよ」
「ん、もうちょっと。その先で裏に入るんだけど、知らない? 『シーラカンス』って」
「何屋?」
 素朴な疑問には苦笑が返された。
「そっかー、知らないか。えとね、速水さんって人のお店なんだけど」
「……………骨董屋………?」
 快斗が吹き出した。
 ざわめいている人混みの中とはいえ、あんまり楽しそうに大笑いしているものだからあちこちから痛い程に視線が注がれているというのに、彼は一向に気にする風もなく、ひとしきり笑い切った。
 朝から浮かれているのは伝わって来ていたが、あまりにも豪快な笑いっぷりである。
 側にいる方がじろじろ見られて、恥ずかしい。普段そう人目に拘らない質の新一ですらそう思うのだから快斗のはしゃぎっぷりは相当のものの筈だ。
「いいなー、新一クン、最高! シーラカンスからそのまんま連想したでしょ」
「ルセーや。大体おまえ、恥ずかし過ぎ。ちょっと離れて歩け、馬鹿っ」
 ぐいぐい肘で押し退けようとしても、彼はへらりと気の抜ける笑みを浮かべそれを避ける。……どう考えても芋荒いのこの現状で、どうやったらそんなスムーズな回避行動が取れるのか、新一には分からない。
「多分、新一、似合うと思うな、あの人の」
 口元に笑みを残したまま、ごく自然に快斗は肩が触れ合う位置に戻って来て、そう呟いた。声の落ち着きに彼の笑いの発作はとりあえず収まったと判断し、そっと胸を撫で下ろす。
「モノトーンの使い方が上手くてね、すごくシャープな服作る人なんだよ。シルエットが綺麗でね」
「……………ふぅん」
 新一は、快斗の服装にちろりと目を走らせた。
 ジーンズにスニーカー、オレンジの縁取りのモス・グリーンのTシャツの上からチェックのシャツを前をはだけて羽織っている。
 この姿は見慣れたいつもの快斗で、台詞に垣間見える拘りとのギャップに新一は首を傾げた。
「……何か今、失礼な事考えなかった……?」
「いや、心に収めておいてやる。……よく行ってんのか? そこ」
「お店にはあまり。でも速水さんには仕事用にいくつか仕立ててもらってるよ。あ、違う違うっ。そっちじゃなくて、ステージ衣装の方だよ、もう新ちゃんってば〜っ」
 『仕事』の一言でイコールKIDと変換してしまって、つい不穏な視線を投げ掛けてしまった新一に、慌てて快斗が訂正を入れる。
 何考えてんのやだなぁ、と、頭の上の何かを振り払う快斗に依然疑惑の抜け切らない新一だが、不意に三歩先に進んでくるりと振り返った快斗につられるように立ち止まった。
 突然、往来で立ち止まった二人を、迷惑そうに人波が避けて流れて行く。
「か」
「ホントだよ」
 呼び掛ける途中で、快斗の声が被さった。
 その声も表情も、つい今しがたまでの浮かれ調子はなりを潜めただ静かなものをたたえている。
 そんな表情をされると、困る。笑い飛ばせなくて、突っかかれなくて、らしくないような言動に走りそうで、困る。
 言い掛けた言葉を呑み込んで、新一はただその顔を見返す。
「あれはそこらのお店で仕立てる訳にいかないの、分かるでしょ」
 快斗にとっては父の形見ともいえる品だ。
 流石に体型はそのままとはいかなかったらしく、直しは入れたそうだが、そもそもは怪盗KIDを象徴する衣装であり、同時に戦闘服でもある。
 裏地一つ取っても普通じゃないからね。
 そんな風に語るのも聞いていたというのに、ひどく無神経な勘ぐりをしてしまった。
「デートだって言ったよね、オレ」
 呟いた声が、浮かべた笑みが、微妙に寂寥感を隠し切れていなくて、新一は軽く拳の背で快斗の胸を押した。
 ドン、と。
「……?……し」
「分かった」
 新一、と。呼び掛けに今度はこちらから声を被せ返して。
「分かったから、行くぞ。ンなとこでいつまでも立ち止まってたら、その内もみくちゃにされちまう」
 目を見開いている快斗の脇をそっけなく擦り抜けて先に立つと、慌てて快斗も踵を返してその隣へと並ぶ。
 謝罪はしなかった。その代わり、自分なりに快斗の言う『デート』を楽しもう。そんな決心は拳からしっかり伝わったらしい。
 快斗の顔には含みのない、笑顔。
 相変わらず人混みは歩き難く、ざわめきは時折ひどく耳に障る。けれど、その中を前になり後ろになりながらもゆったりと二人で歩いて行くのは、思ったより嫌いじゃない、と新一はこっそり微笑んだ。
「ここ、だよ」
 快斗が足を止めた店は、言葉通り一筋裏通りにあった。
「閉まってるよーに見えるけど……?」
 新一の台詞に、快斗は笑う。表通りではないとはいえ、近くにはシャッターの下りた店は他にはない。そのせいかひどく目立っている。
「そうだね。そこまでしなくてもいいって言ったんだけど、気を遣ってもらっちゃったみたい。行こ、こっち」
 そのまま歩を進め数軒先で横道へ、そして次の角で更に曲がる。丁度裏手には少し見え難い位置に磨りガラスのはまった、一見事務所風の裏口があった。
 喧噪が少し遠ざかる。流石に裏通りの更に裏手だけにあたるだけあって人通りはぐっとまばらで、息がしやすくなった気がする。
 磨りガラスには細い白文字に銀の縁取りで『シーラカンス』とある。
 インターフォンを押して二言三言やり取りする快斗の背中を、新一は僅かに後ろでぼんやりと眺める。
 と、快斗が振り返り、何か珍しいモノでも見てしまったかのようにまじまじと新一を見つめている。
「な、何だよ」
「あ。いや、ちょっと……振り返ったら新一がいるのって、すっごくシアワセかもって。えへへへ」
 下手にキスされたり抱きしめられたりするより、急激に顔に熱が昇るのを感じる。怒鳴りつけようにも、口をパクパクさせるばかりですぐに言葉も出て来やしない。
 そんな新一を見て、快斗は更に嬉しそうに笑ったりなんかするのだ。照れ隠しに快斗が新一に裏口に蹴り込まれるのは時間の問題だった。それでも快斗は笑っていた。
 入ってすぐの四畳半程の事務スペースは、無人。ファイルが詰まったキャビネットと、三段のロッカー、パソコンラックに周辺機器でスペースはほぼ埋まっている。
「快斗」
「平気。入っちゃって、って」
 奥の店内へと続く扉を指差し、快斗は物怖じせずにどんどん進む。ならいっか、と新一もそれに続く。
 店内に足を踏み入れて、新一は思わず立ち止まりぐるりと見回してしまった。
 オフホワイトとチャコールグレイの市松模様のフロアー。正面のガラスの向こうにはシャッターが下りているが室内は必要な光源で十分に明るい。
 雑然とした四畳半とは雲泥の違いだ。
 店内はシンプルを体現するように、全体にすっきりしている感が強い。……両サイドのポールに洋服が掛かっているハンガーが並んでいるものの、その絶対量がかなり少なくみえる。
 その上、中心にどんっとある丸テーブル。違和感の元は、それだった。
「やぁ、いらっしゃい。よく来てくれたね。ちょうど入ったところだ」
 喫茶店顔負けの柔らかいコーヒーの香りと共に、やけに落ち着いた声の男が、二人に微笑みかけた。
 デザイナーと言うよりは、コーヒー専門店のマスターだと言われた方がしっくりくる感じの、落ち着いた三十代後半の男性。
 白い開襟シャツに黒のパンツ姿がその印象に一役買っている。黒いエプロンでも絞めれば完璧である。
「速水さん、わざわざお店閉めてくれなくっても良かったのに」
「こらっ快斗、」
 無邪気にずけずけという快斗のシャツの裾を慌てて引いて諫めるが、彼は『大丈夫』というようにちらりと視線を新一に戻して微笑むだけで、一向に気にした風もない。
「だって、せっかく黒羽くんが遊びに来てくれるって言うのに勿体ないじゃないか。他のお客さんの相手するなんて」
「大げさだなあ」
「それだけの価値があるって事だよ。工藤くん、何か入れるかい?」
 不意に会話を振られ、また店内に視線を投げていた新一は慌てて二人に向き直った。
 速水が微笑んでカップを持ち上げて見せる。
 どの程度快斗から紹介を受けているのかは分からないが、彼は新一の名を知っている。だが、新一が彼を『腕の良いデザイナー』で『この店のオーナー』であるらしいとつい先程知ったばかりで、しかもそれだけの情報しか得ていないのに反し、速水の態度にはまるで既知の人間に対するような落ち着きと気安さが滲み出ている。
「あ、いえ、そのままで。……ありがとうございます」
 余計な……例えば、入る間際にしてしまったような事などを、ペラペラと喋ってはいないかと、そっと快斗を睨みながら新一は恐縮しながらカップを受け取った。
 絶品な香りがそっと鼻先をくすぐる。インスタントには有り得ない上品な香りだ。
「速水さん速水さん、オレはねえ、」
「黒羽くんはショーの後」
「えーっ!」
 ウキウキと砂糖・ミルクを所望しようとした快斗が、即座にくらった拒否に、無念な声を上げた。
「やっぱりやるのー?」
「当然じゃないか。まさか僕の自信作に袖も通さないなんて言いはしないだろう?」
「で、でもさ、今日オレ、お客さんなんだけど……」
「勿論だとも。三着、着てさえくれたら好きに見てくれて構わない。さぁ、フィッティングルームが君を待っているよ、行きたまえ」
 有無を言わさぬ笑顔に見送られ、快斗は新一のカップを名残惜し気に見つめつつトボトボと試着室へと向かう。
 速水はにこにことコーヒーを啜っている。
 事態がよく分からず声をかけ損ね、新一はぼんやりと快斗の背中を見送ってしまう。
 カーテンを引く間際に快斗がひょっこりと顔を出し、ひらりと掌を閃かせた。
 待ってててね。唇の動きだけでそう言って。
 知らず笑みを返した新一に、深い笑みを返して快斗は完全に見えなくなる。
「すまないね、立ち飲みで」
「あ、いえ。美味しいです。そこらの店よりよっぽど」
 少なくとも喫茶店の三百円のブレンドなんか目じゃない。世辞でなく思わず台詞に力が籠もってしまう。
 「光栄だよ」と速水は照れ臭そうに目を細めた。
「服の方も気に入って貰えるのがあれば嬉しいんだがね。黒羽くんの舞台はよく見るのかい?」
「いえ、舞台は」
 新一は首を振る。KIDのショーを舞台というなら『イエス』だが、快斗の舞台というなら『ノー』である。
 快斗自身、学生という自覚もあって、大きい舞台はまだ踏んでいないという。『ちゃんとデビューしたら見に来てね?』と彼が言うから、こっそり舞台を覗きに行くのも憚られ、未だ見た事がない。
 知っているのは快斗が新一の為に披露する、マジック。とても鮮やかで、鋭さと驚きと、柔らかさと華がある。
 大がかりなものや手の込んだ仕掛けのものでなくとも、快斗の腕に掛かるとそれは魔法も同然で、鮮やかさにいつだって目を奪われる。
「そう。すばらしいよ、彼の舞台は。それに黒羽くんほど僕の服を着こなしてくれる子もいないよ」
 確信を持った口調で語る速水に、新一は相槌代わりにただしっかりと頷いた。
 だが、実感としてそれを知るのは、試着室から快斗が出て来てからだった。いつものように笑ってその魔法を紡ぎ出す指を閃かせなくとも、その姿に目を奪われて初めて実感を持って理解するのだ。

 

    *     *     *

 

 それは速水に連絡を取った時から、半ば想像出来た展開だった。むしろきっとそうなるのであろうと思っていた、展開だ。
 だが、彼が快斗の着こなしを買ってくれているのと同じように、快斗は速水の服を高く評価している。
 彼の作る衣装ほど快斗を舞台栄えさせ引き立てるものはなかったし、そのシャープさはきっと新一に似合う。そう思うと自然と笑みがこぼれた。
 さっさと着て見せて、新一に似合う服を見るのだと思うと笑みは深くなる。
 テキパキと一着目を着込む。あつらえてもらうのが舞台衣装のせいか、速水が用意するものはスーツが多い。だが、今日彼が用意していたものは依頼していた訳ではない分、ぐっと遊び心がある。
 舞台では見栄えしない薄い紫のダブルのスーツは、着こなしの難しい色だ。けれど着て見るとよく分かる。……自身にその色はよく似合った。
 快斗の身にしっくり馴染み柔らかい生地と身ごろに合わせたデザインがすっきりとしている。流石、と感嘆の口笛を上げながら試着室を出た快斗を迎えたのも、口笛だった。
「流石、黒羽くん。君ならその色も着こなしてくれると思っていたよ」
「そりゃどーも♪」
 笑ってくるりと回って見せて、気付く。何にそんなに驚いたのか、新一がぽかんとした表情で見ている。
「どーかした、新一?」
「………いや、やくざとかホスト以外にそーゆー色着こなすヤツがいるとは……」
「…………………しんいち〜……」
 がっくりと項垂れる快斗を、速水がくすくすと笑う。だが、それも早々に今度は新一が快斗を追い立てる。
「ほら、さっさと次のに着替えて来いよ。コーヒー冷めちまうぞ」
 二着目はグレイのストライプのトレンチコートに同色のスリーピース。速水はデザイン書きに手を加え、新一は暑くるしい、と一言小さく呟いて快斗の肩をがっくりと落とさせた。
 三着目は鮮やかなブルーのパーカーに薄い水色の軽いジャケットの組み合わせ。
 速水はやはり満足気に一つ頷いて、新一もそれは気に入ったようだった。
 着ている快斗に頓着せずに、ペタペタと触ってくる。興味が沸いた時の彼は、まるで子供のようにすぐに周りが見えなくなる傾向がある。……ちょうど今のように。
 どうせなら違うシュチェーションで触ってくれればいいのに、なんて思うのは贅沢だろうか。快斗は苦笑せざるを得ない。
「気にいったんだ?」
「んー。気持ち良さそうだな、このジャケット」
「着てみる? いいでしょ、速水さん」
「えっ」
 慌てて手を離す新一に「勿論」と速水が頷く。いやそれより、と唐突に彼はコーヒーを置いた。
「工藤くんもスタイルいいね。サイズ測らせてもらっていいかい」
「いっ、いえ、遠慮させて下さいっ」
 泡食って快斗の背に隠れんばかりに後ずさる新一に、速水は快斗と目を合わせて笑いをかみ殺した。しきりに頷く。
「いやあ、うん、成る程」
「ふっふっふ。でっしょ〜」
 言葉を隠して目で語り合う不穏な二人である。
「おい、何だよ、快斗」
 そしてこういう局面に噛みつく相手は快斗で。快斗はニヤリと笑って速水に向き直る。
「速水さん、これ買う買う♪」
「かっ……っ!」
「んー、ジャケはこの色でいいよね。でも新一ならパーカーよりもシャツかな? 色は……断然、白」
「ならこれはどうだい」
 速水の動きも早かった。すかさず三種類のシャツを出して来ると、目を剥いている新一に当てて快斗と目顔で相談する。
「あ、こっち。うわあ、もう絶対こっち! シルエット綺麗じゃない? ね、速水さん!」
「いいね。白だ。開襟のこっちも似合いそうだけど……」
「あ、それ、ダメ! だって鎖骨丸見えじゃん。そんな勿体ない事しちゃダメ」
「……時々面白いよね、黒羽くんって」
 速水に微笑まれて、新一は額を押さえて呻いている。
「快斗……おまえ、オレの服買いに来たんじゃないだろ」
「ううん」
 一言で否定すると流石に意表を突かれたか、え、と新一が首を傾げる。
 コーヒーを煎れ直して来ると言って速水が二人の元を離れると、新一がもう一度詰め寄って来た。一歩、二歩と寄り、胸ぐらを掴まんばかりの距離でぎろりと睨む。
「どーゆー事だよ?」
「どーゆーって……新一の服、見に来たんだよ?」
「………どうしてだよ? オレの誕生日なら先月もう終わったぞ」
 しっかりお祝いしたのは記憶にも新しい。
「勿論だよ。今月ね、オレの誕生日なの」
「知ってる」
 ぽつり、と新一が答えた。
「二十一日だろ。知ってる、オレだってそのくらい」
 ふてくされたように言う顔が少し赤い。ふわっと快斗の心が温かくなる。
「うん。……もしかして知ってくれてるのかなあって思ってたよ。今日、黙って一緒に来てくれたから」
 どこへ行くのかとも、何をするのかとも、彼は聞かなかった。好奇心の塊のような新一が、押し切ったとはいえ問いかけ一つしなかったから、もしかして、とは思っていたのだ。
「二十一日、平日だろ。だからおまえ今日に拘ってたのかと思ったんだよ。何かほしいものがあるなら買ってやろうと思って」
 おまえ、何かほしいなんて、あまり言わねぇだろ、と付け加えられて、快斗の笑みは深まるばかりだ。確かに口が開けば『新一にキスしたい』だの彼がらみばかりだった気がする。……本当に出てくるのはそればかりで。
「それが何でおまえがオレの服買うんだよ」
「速水さんの服、気に入らなかった?」
 慌てたように新一は首を振る。
「オレが買ったら、速水さんの服、着てくれる?」
 少し眉を顰めるようにしながら、それでもややして新一はこくりと頷いてくれた。
 それに後押しされるように、快斗は言を継ぐ。らしくもなく……少し緊張しているのを感じる。
「オレとペアでも?」
「あ?」
 なんとなく快斗の笑みは苦笑に近い。
「ペアでね、着たいなって。でも新一の誕生日にプレゼントしてもペアだって分かったら着てくれないんじゃないかって、思って」
 だから、あえて自分の誕生日に彼に服をプレゼントする事を思い至ったのだ。
「つまり……オレがそれを着るのが、おまえへのプレゼントになる訳……?」
 彼の声に呆れが混じり、肩からゆっくりと力が抜けてゆく。怒りだすか、呆れ果てるか。どちらに転ぶか判断が付かなくてじっと見ていると、大きく息をついて……微妙にため息ではない気がした……僅かに浮かんだのは、笑み。そっと鼻先を快斗の借り物のジャケットに寄せての、柔らかい花のような。
「二十一日までに、出来りゃいいな」
「……新一……?」
「だって、おまえにはそれがプレゼントなんだろ? いいよ。ちゃんと受け取る。その代わり」
 くい、っと快斗のパーカーとジャケットを引っ張って、新一が掠めるように快斗に口づける。ひどく間近で、蒼い瞳が瞬いて、得意気に細められるのを快斗は呆然と、見た。
「これはオレに買わせろよ」
 咄嗟に返す言葉もなく。
 こんな時まで命令形で。まったく叶うべくもない。
 それでもシアワセなのは確かだったから、快斗は一つ頷く事でそれを返事とした。
 そっと香って来た柔らかいコーヒーの香りに、デザイナーの存在を思い出すまで、二人はただキスを交わす。
 ……本当にほしいものを腕の中に囲って。

・END・

◆『くちづけの動機』より・快×新◆


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