Your my home,Your my window



*SCENE・3*

 階段を駆け下りてバスルームへ飛び込んだ快斗は、十分と少しでまた階段を駆け上がっていた。
 シャワーを浴びていても気が急くのは止められず、髪も乾かす代わりにパジャマの肩にタオルを引っかけた姿だ。
 公の場でキッドとして振る舞う時は足音を抑え気配だって消して行動する。
 だが、この工藤邸で快斗は一切それらを消さなかった。消す必要がないからだ。
 誰も警戒しなくて良い。誰からも存在を隠さなくて良い。
 ただ快斗のままあるのを許されたこの場所は、とても貴重な場所だった。
 ぱたぱたと足音を立てて歩けるのはたったそれだけの事なのにひどく快斗には楽しく思える。
 キッドの顔も快斗の顔も作らずに居られる空間を提供してくれている二人の探偵は、その場所同様に快斗には大切な存在となっていた。
 階段を駆け上がった足で快斗が向かったのは、新一の部屋である。
 そのままの早足でノックもそこそこ飛び込むと、宵っ張りと友人に評された家主はマグを片手にマウスを操っていた。
「新一、聞いて聞いて聞いて!」
「近所迷惑」
 がばっと後ろから抱きつくと、新一は苦笑と共に振り返りマグで快斗を小突く。
「バカ、声落とせ。あいつに聞こえてもいいならオレは別にいーけど?」
「うっ。……ごめん。ちっちゃく喋るから聞いて」
 慌ててボリュームを落として快斗は神妙に懇願した。はふ、っと一回深呼吸で酸素を取り込んで暴れまくっている心臓を宥める。
「あのね、起きて待っててくれるって」
 小声でも声が弾むのまでは止められない。内緒話のように顔を寄せて告げると「服部?」と同じく小声で新一が問い返す。
「うん。遊ぼうってごねたら寝るまで付き合ってくれるって言ってくれた。これってちょっとは脈アリだと思わない?」
 勿論、彼は基本的に身内に優しいから、その行動に他意を期待して良いものかどうか確信はない。そして喜ぶべきかどうか、工藤邸で生活を共にしている快斗を平次が身内同様と判断しているのは確かだった。
 平次が常に新一を気にかけているのは初めて会った時から一目で分かった事で、それは勿論新一の事情による所も大きかった訳だが、現在コナンから新一自身に戻っても平次の態度に変化はなかった。
 彼が快斗のそして新一の髪に手を伸ばす時は大抵ひどく自然で、なんの躊躇いもなければ気負いもない。けして本気で放してほしい時に無理強いして触れては来ず、ただ照れくさい余りに逃げようとする時には、逃がしてくれない。
 どこで判断しているのか不思議だが、平次にはそれらが分かるようだった。
 髪をくしゃくしゃとかき混ぜたり抱き込んで頭をぐりぐりしたり、肩を抱き寄せる仕種も、背を押すてのひらも、相手構わずではないが一端身内と判じた者には当然の権利のように贈られる他意のないスキンシップなのだ。
 ただそこにあるのが他意のない好意なのか特別な好意なのかどうかが、快斗には未だ判断がつかないのも事実だった。
 だから彼が新一の名を呼ぶ時、快斗の中ではほんの小さなけれど無視できぬ棘が存在を主張する。チクッと痛みを伴って。
 それは快斗がどれだけ新一を好きでも、新一が平次に相棒以上の恋心を抱いていないと知っていても、消えてはなくならない。平次が新一に相棒以上の恋心を押し隠しているかもしれない限り、快斗の中に小さな棘は在り続ける。
 彼は本当に優しいから。
 新一に触れる時も快斗に触れる時も、変わらず優しく穏やかだから。……だから分からない。
「うーん。オレには何とも言えねーけど。服部、あれで鈍いところはとことん鈍いから」
「………やっぱり微妙………?」
「だろうな。でも、おまえどうせ諦める気はないんだろ?」
 そう問う声は優しくて。一つ頷くと、新一は綺麗に笑って手を振る。
「だったら考えても仕方ねぇよ。おら、とっとと行って来い。振られたらやけ酒、一晩中でも付き合ってやっから」
 嬉しいけれどある意味振られる事が前提の会話のようで、それはそれで複雑な気分である。
「とりあえず、励ましをどうもありがとう。ちなみにその場合って新一のおごり?」
「付き合ってやるんだからおまえ持ち」
「えぐい……」
 言葉もない快斗に、にやっと人の悪い笑みで新一が笑む。
「服部がそれ程バカじゃなければ、大丈夫だろ。イエスにしろノーにしろ、鼻で笑い飛ばすような真似はしねぇよ。そんな奴じゃない」
「……信頼してるんだ」
 そうでなければこの台詞は出ない。
 いいな、と少し思う。果たしてこんな風に確信持って語れる程、自分は服部平次という男を理解出来ているだろうか。
 好きだと思うだけで鼓動は早くなって体温は何度か上がる。身体は間違いなくその気持ちに連動しているけれど、それだけでないと言えるかどうか。
 新一は少し照れくさ気に笑う。
「そりゃな。服部、あんなでも一応オレの相棒だしよ。ちなみにおまえも信頼してるぞ。こんなでもオレの好敵手だし?」
「こんなってなんだよ〜」
「こんなだろ」
 二人して顔を合わせて笑う。
「新一ってば、オトコマエ〜!」
「当然。その男前に目もくれず人の相棒に惚れたからには、覚悟決めて行って来い」
 静かに励ます声は、決して快斗を追いつめる為のものではない。
 快斗の平次への気持ちを知ってから、新一はいつだってこうして快斗の気持ちを押し出してくれる。
 ありがとうの代わりにぎゅっと座ったままの新一を立ったまま抱き締めて、その髪にキスを落とす。
「新一、綺麗。ちょっと口は悪いけどすごく名探偵だよね。あ、でも気障」
「気障はおまえには言われたくねぇな」
「オレのはキッド仕様の時だけだもん。新一は根っからじゃん。それに頭良い癖に迂闊だし? カッコいーよね。顔に似合わず猛烈に足癖も悪いけど」
 「おまえな。褒めるか貶すかどっちかにしろ」と、言葉途中で半眼で割り込まれ、快斗は微苦笑を浮かべ束の間口を閉じた。
 これは平次へと向かう思いとは違う。でもきっと変わらずに彼に向かう思いだから、大切に告げなければならない。
「んと、つまり。へーじの次に男前で、へーじとは違うところで大好きだからね?」
「ハイハイ。その調子で笑っとけよ」
 苦笑と共に新一は快斗の腕から抜け出して、快斗の濡れた髪をぱさぱさと整える。
「よし、これでおまえも男前」
 あまり自分から手を伸ばさない新一なりの精一杯の不器用なはなむけに、快斗の笑みも自然と深くなる。不意に泣きたいような気もしたけど、それ以上に笑みがこぼれた。
 うん、と頷きだけで答えて。
 離れる体温はそれでも優しさを運んで快斗を送り出してくれる。
 部屋を出る間際に名を呼ばれ、振り返った快斗の手の中に飛んできたのは、枕。
「……新一?」
「持って行け」
「え、でも、枕なんて……即物的過ぎない……?」
「何言ってんだよ、チャンスじゃねーか。寝るまで話して眠くなったら『はい、おやすみ』なんて、あっさり退散するつもりだったのか?」
 思わず快斗は返事に詰まった。
「言い訳なんてなんとでも出来るだろ。エアコンが壊れたとでも何とでも」
「時々……とんでもなく思い切ったこと、言うね」
 しみじみと言うと、バーロと探偵は胸を張る。
「こーゆーのはハッタリ効かせとけばいーんだよ。快斗得意だろ、そういうの」
 何だかなぁと快斗は抱えた枕に目をやっては顔に血が昇るのを感じた。
 こういう時に合うのは何だったか。
 虎穴に入らずんば虎児を得ず? 
 それとも当たって砕けろだろうか。
 ともあれ新一に親指を立ててグッドラックと付け足され、綺麗に決まったウインクに快斗は声もなく笑う。
 互いがおやすみを言い損ねたと気付いたのは、二人の間を扉が遮断してからだった。
 デスクへと向き直り、一度大きく伸びをしてから新一は打ち込み途中のデータへと意識を戻した。

 

*SCENE・4*

「へーじ………?」
 軽いノックとともにドア越しに名を呼ぶ声が聞こえて、平次は部屋の片づけを中断した。
 何度もキッド姿で平次の部屋の窓から帰宅している快斗が相手だったから今さらひっくり返った部屋にどうこう言うとも思えなかったが、少しでもと片づけを始めると止まらなくなっていたらしい。
「起きとるよ、入り」
 間髪入れずに返すと、快斗がドアを開け戸口で足を留めてひょいと顔だけ覗き込んで来る。
 なんとなく躊躇った空気が伝わって来て、平次は笑顔を向けて更に手招いた。途端に快斗が破顔する。
「わー。えらいえらい、ちゃんと起きてたんだ♪」
 声までも明るい。だがどこか無理に明るさを張り付けたような響きに、平次は苦笑を漏らした。快斗の伝わらないように押し隠している緊張は平次にも覚えがあるものだ。
「よぉ言うわ、起きとけ言うたん自分やん」
 そこで快斗が大事にそうに抱えている物体に目を止めて、平次は眉を少し引き上げた。
「枕まで持参したんかいな」
「あーそれが仕事に出る前にエアコンのタイマー設定すんの、忘れちゃってさー。もう部屋サウナ状態! きくまでが暑いの分かるでしょ? ついでに泊めてよ」
「ベッド乗っ取る気とちゃうやろな」
「えー。オレ、そんなに厚かましくないもん。半分こでいーよ」
「それ、十分厚かましい言わへんか………?」
 至極まっとうな疑問は、にっこり笑顔で一息に否定されて終わる。
「言いません。まぁ安心して、オレってばスリムだしいびきもかかないしちょっと寝言くらい言うかもしんないけど、寝相はいーからさ♪」
「俺には拒否権もあらへんのかい。せめて二者択一くらいにしてほしいもんやで」
 ぼやきつつも苦笑一つに収められるのは、決してそれがイヤだとは感じていないから。こんな風に懐かれるのも、笑顔を向けられるのも。
「まぁええけど……せや、工藤リビングにおった?」
 ふと思いついて付け加えた一言に、快斗は笑う。それがまるで細心の注意を払って維持された笑顔のようで、平次は瞬間罪悪感に襲われた。
 快斗に新一の話題をふると、たまにこういう表情をする。まるで変わらない笑顔のようなのに、一瞬瞳の力が揺らぐ。
 それは大抵隠されて出て来ないから平次はいつだってそれを指摘出来ないし、それでいて幼い子供を泣かせてしまったようなやるせなさだけが胸に残される。
 彼が新一に嫌悪感を抱いていて、それを押し隠した結果出る表情でないのは分かっている。
 何故なら快斗は新一に大層懐いているし、会話の端々に彼への好意が溢れ、また当人を前にした場合の好意も非常に素直に態度で示してもいる。
 新一も快斗のじゃれつきに随分馴染んでいて、邪険にするように振る舞ってもそこにあるのは照れだけだと平次にすら分かるのだから、快斗に分からない筈もない。
 だとすれば、平次が新一の名を呼ぶと起こる現象という事になる。なのに、瞳の揺らぎ以外は完璧に笑みに隠して快斗は笑う。そうやって彼は笑うから、平次とて微笑み返すしかない。
 平次は罪悪感もやるせなさも顔には出さずに、なるべく呑気そうに見えるようゆっくりとベッドの枕を壁際に寄せながら答えを待つ。
 枕を両手で抱え込むようにして、快斗は軽い語調で答えた。
「ううん。でも部屋で起きてたから、おやすみのチュウはして来たよ」
 この辺り、快斗はすごい。
 コナンの頃はあまり意識もしてなかったのかもしれないが新一に戻ってからは、平次が頭をなでたりつい同じ調子で構うと彼は照れて逃げを打つ。
 実力行使に及ばれて蹴り剥がされるのも珍しくないというのに、快斗はまるで懲りずにじゃれかかりキスまで仕掛けたりしている。…唇ではないようなので平次はコメントは避けているが、それでいて蹴りはするりと避けてしまうその身軽さと懲りない根性は十分尊敬に値するというものだ。
「道理で。いつもカラスな黒羽にしたら遅いなぁ思っててん。そんなとこで寄り道しとったんか」
 東西探偵は快斗の大急ぎの風呂を時々そんな風にからかって笑う。カラスの行水、カラス、やっぱり黒羽は黒い羽根だから、という掛け合いが元だ。
「そんで工藤に蹴り剥がされて来たん?」
 笑って問う平次に、まさかと快斗は胸を張る。
「そんなドジする訳ないじゃん。それより新一に用事あったんじゃないの? 呼んで来よーか」
 枕を抱えたままくるりと反転、出て行こうとする快斗を平次は鷹揚に引き止める。
「ちゃうちゃう。時々うたた寝しとるから気になっただけや。ちゃんと起きとるんやったらええねん。それにしても…」
 しみじみと快斗を眺め平次は小さく苦笑を漏らした。
「自分、何慌てとったん?」
 ぽとぽとと髪から雫が落ち、パジャマの肩に引っかけてあるタオルに染みを広げている。髪を乾かす手間すら惜しんで何をそんなに慌てていたのやら。
 ちょいちょいと人差し指で差し招くと、顔に疑問を浮かべながらも快斗は従う。間近まで近寄った所を腕を取りベッドへと促すと、これまた素直に腰掛る。
 意図が伝わっていないせいだろう、快斗は枕を抱え込んだままきょとんとしている。
 平次は快斗へと向かい合って立ち、そっと半身を屈めた。脅かさないようにと思ったが、やはり快斗はぎょっとしたように目を見開く。…咄嗟に上げる、ふざけた声一つない。
「ほら、肩にまでぼとぼと落ちてるやんか。ちゃんと拭かんとあかんよ」
「え」
 快斗の肩に掛けてあるタオルをを引っ張り上げて、そのままくしゃくしゃと髪を包み込む。
 腕に収まるであろう華奢な肩が、視界の中一瞬緊張に竦み上がる。
 うわ、とか小さな叫びが聞こえたが平次はそれを黙殺した。
「い、いーよ、ちゃんと自分で拭くから!」
「ええやん、させて。自分猫っ毛やから濡れたらどないなるかと思ったけど」
 ふっと見上げて来る視線に気付き、声が途切れた。ばさばさと落ちてきた前髪の間から、必死に平次の顔を伺って来ている瞳は、ひどく印象的な紫がかった色。
 柔らかさはなくけぶった紫がかかり、快斗の表情の輪郭を滲ませている。彼のイメージを眼差し一つであやふやにしてしまっている。
 物言いた気な、それでいて語る言葉を封じ込めたような、瞳。
 不意に平次を襲ったのは、かっと頭に血の昇る感覚と、ぞくぞくと背筋を走る何か。
「どしたの、へーじ」
 手を止めごしごしと目を擦った平次に、問いかける声は少し軽く響くいつもの彼の、声。
 慌てて手をどけると、やはりいつもの彼が前髪をかきあげながら平次を見上げている。
 ここにいるのは無邪気で悪戯好きで楽しい時には声をたてて笑う、平次のよく知る黒羽快斗である。平次は呆然と口を開く。
「いや、何か……ちゃう顔になっとったで、今」
「……違う顔? ……オレが?」
 分からない、と快斗は首を傾げる。
「新一に似てたって意味?」
「やー、そぉやなくて、どっちか言うとキッドに近い顔しとったわ。あんまりキッドの時には会うとらんから、はっきりとはよう言わんけど」
 どことなく謎めいた顔だった。
「おっかない、思った。キッドともちゃうな」
 釘付けになる視線と、油断したら喉元に噛みつかれそうな緊張感を確かにその瞬間平次は感じていた。
「なんて言うたらええんか分からんけど……誰にでもあんなカオ、したらあかんよ」
 平次はしゃがみ膝をつき、改めてベッドに腰掛けた快斗を下から覗き上げる。快斗は不思議そうにそんな平次を見返した。
「……よく分かんないや。あんなカオってオレ、どんな表情してた……?」
 揺らぎもけぶりもしていない、明瞭な色に染まった瞳へと視線は真っ直ぐにぶつかって、怯まない瞳に強い視線は跳ね返される。
 答えられずに、平次はただ首を横へと振る。言葉では例えられそうにもなかった。
「うーん。別に今意識して、へーじ小馬鹿にしたりはしてないつもりだけどなー」
「………あ?」
「だってキッドは人を小馬鹿にしてるって、よく青子や新一に怒られるんだよ〜」
「黒羽………」
 平次はがくうと項垂れた。ぷつんとどこかで未だ張っていた糸が切れたのが分かる。
「別にそんなつもりないんだけどなぁ」
 しきりと首を捻る姿はいつも通りの彼で、先程の不思議な表情はすっかり消えている。
 ……初めから夢幻だったかのように。
 どこかほっとして再度タオルへと手を伸ばそうとした平次を、ひらひらと閃いた快斗のてのひらが遮った。
「もうオッケー。サンキュ。へーじ、壁側とこっちとどっちするー?」
 タオルをくるくると畳んでサイドボードに乗せながら、快斗が問う。何、と眉をしかめて考えて漸く、彼が枕の位置を聞いているのだと分かって平次は軽く溜め息を落とした。
 なんとも無邪気というか何というか。
「どっちでもええよ、そんなん……いや、壁や。壁側がええ!」
「……今のナニ」
「床に蹴り落とされるより、壁に追いつめられる方がええやろ思て」
「寝相いいってばっ!」
「ハイハイ、消すで〜」
 あくまでも言い募る快斗を軽く受け流して、それでも平次はしっかりと枕で壁側を確保してから灯りを落とす。
 エアコンも下げすぎて朝に震え上がる羽目にならないよう、設定を変えておくのも忘れない。普段はタイマーで切れるようにする平次だったが、流石に同じベッドに快斗がいる以上二人して汗だくで目覚めるのはいかにも目覚めが悪そうな気がした。
 枕元から差し込む月明かりだけになった室内は、やんわりとした光源のみになり、既にタオルケットにくるまった快斗をぼんやりと照らす。
 その淡い色調に先程の紫がかった瞳の色の記憶が引っぱり出され、困惑と共にそそくさと平次は快斗を乗り越え壁際へと移動した。
「黒羽」
「えっ……?」
 みのむし状態にくるまった快斗のタオルケットの端を、平次はえいやっと引っ張って転がす。
「わあ! 何すんのさっ」
「独りじめなんてずっこいやん、ほら、半分寄越し」
「だからってひっぺがさなくてもいーじゃんかー」
 タオルケットを引っ張りあって転がり、タオルケットの領地争いの軍配は怪盗に上がった。
 平次がタオルケットを奪ったかに見えた瞬間、するりとその手から布地は消えてにんまりと笑う快斗の手に移っていたからだ。
「せこっ! ここでそれは卑怯やで!」
「特殊技能は快ちゃんの基礎性能だも〜ん」
「せやから、その特殊技能を無駄に使いな、言うてんねん。どうせやったら、もっとちゃうトコで見せてや。大がかりなんでなくてもええし」
 ちょっとした日常の端々で、花を出したり何かを消したり、そんな姿があるのは大抵新一といる時だから。自分だけの為にと望むのは贅沢な話しかもしれない、と言った側から後悔しかけた時、ぽかんと見返して来る快斗の視線とかち合う。
「へーじって、オレのマジック、見たかったの?」
「あかんか?」
 あんまりにも以外そうに言われ、平次も憮然と聞き返す。
「ダメじゃないけど、あんまり興味ないかと思ってた。新一みたいにタネ探しに夢中になって『もう一回!』とか騒いだこと、ないよね?」
「俺は工藤とはちゃうから。上手なんは上手、綺麗なんは綺麗やなぁでええねん」
 東西名探偵、などと纏めて扱われる事が多いのも事実だったが。
「分かっとる? 俺と工藤には勿論共通項もあるやろうけど、ちゃうとこもいっぱいある。俺は工藤とは違う。自分が工藤とはちゃうように、な」
 快斗が、細く息を吐き出した。肩の力が抜けたように小さく笑って呟く。
「……寝よっか」
 ころんと快斗が転がって、同じように横になった平次と自らの上に、今度は公平にタオルケットを広げる。
 高校男子が二人転がるといかに工藤邸の客室のベッドが広めのセミダブルでも、二人の距離は今までになく近い。
 肩すかしを食った気分で天井を睨んでいると「知ってるよ」と小さな声。
 そっと横目で見遣ると、快斗は鼻までタオルケットを引き上げて平次の方に向いている。前髪の向こうに半分隠れた瞳がすっと細められて「へへっ」っと照れくさそうに、笑う。
「へーじはオレに新一と似てるって一回も言わなかったからね」
「言う程、似てへんやん」
「でも新一の知り合いがオレ見たらみんな言うよ。工藤と似てるって」
「イヤやった?」
 快斗は返事に窮したのか、ふいっと視線を平次から外し、くるりと背を向けてしまう。それでもいやだとは言わないし、見比べられるのが不満なら新一と共にいなければいいのに、その選択肢も取らない。
 その意地っ張り加減が微笑ましい。
「黒羽の知り合いが工藤見たら、黒羽と似てる言ぅんちゃう?」
 快斗の背中は沈黙のまま。
「どっちの名前が先に来るか、なんてのはその程度の問題やと思うで。それに自分らをよぅ知ったら、似てるなんて言わへんよ」
 タオルケットからはみ出した髪を撫でると、まだ少ししめっていた。繰り返し繰り返し撫でて、もつれている髪を指で梳く。
 しばらくして小さな一つの頷きが振動で伝わって来た。
 快斗は決して振り返らなかったけれど、平次は眠りにおちるまでその所作を繰り返した。

 

*SCENE・5*

SIDE・K

 夜半。
「もう、ホント信じらんない」
 弱々しく呟いて快斗はむっくりと半身を起こした。心臓は未だ早鐘を打っているし、指の先までどくどくと血が駆け巡っているのがよく分かる。…快斗は緊張していた。
「何で寝れちゃうかな……」
 隣を見れば平次はぐーすか無防備な寝顔を晒してこんこんと寝入っている。太平天下の四文字が頭を掠めた。
 大の字にごろんと寝返りを打った拍子に彼の指先が身体に触れただけで、快斗は狸寝入りをかなぐり捨てて飛び起きざるを得なかったというのに、だ。
「何だよ……ちぇ。へーじのバーカ」
 悪態さえもが甘く響く。そんな自分が悔しい。けれどどうしたってより多く好きになった方が負けなのだ。そんなのは遙か昔から決まっている普遍の法則で。
 そして、より多くどころか快斗は自分の『好き』が極めて一方通行な自覚もあった。
 小声でぼやく快斗の声にも無反応に平次は熟睡している。
 よだれの一つでも垂らしていてくれれば恋もあっさり醒めたかもしれないのに、寝顔はただ穏やかで以外とまつげが長いんだーなんてしみじみ思ったり。
 独りドキドキなんてしてしまっている自分が益々バカみたいで、快斗は自身を重症と判じた。
「へーじ。誰にでも、あんなに優しくしちゃダメだよ……?」
 自分は特別に思われているだなんて、勘違いしかねない。
 「新一が好きなの?」と尋ねたかったのに、結局問えず、ましてや自分の気持ちを真っ直ぐぶつける事もままならず。せっかく励まして押し出してくれた新一には何だか申し訳ないような気すらする。
 けれど、無為な夜ではなかったと快斗は思う。平次が快斗をただ一人の快斗と認識してくれていると知る事が出来たから。
「これ以上好きにばっかりさせないでよね」
 応える声はなく、返されるのは吐息。
 既に快斗の中では帰る家はここだし、帰る場所はこの部屋なのだ。その窓の向こうに彼を視認してようやく快斗は『帰って来れた』と実感する。
 自分に与えられている部屋でもなく、家主の部屋でもなく、他のどの部屋でもなく彼の部屋へと帰る、それが簡単でたった一つの理由。
「へーじ。好きだよ?」
 返事なんて返らない。分かっていて、それでも小さく起こさないように耳元にそっと囁く。
「大好き」
 せめて夢の中、自分を好きになってくれますように。バカげているけど、そんな思いを込めて。
「睡眠学習なんて効くのかなぁ。……ま、いいか」
 こんなシュチェーションだからこっそりキスの一つくらい楽勝で盗めるけれど、平次とのキスが自分一人の思い出にしかならないのならば、そんなものはほしくなかった。
 ただその温もりに寄り添う方を、選ぶ。
「いつか、オレを好きになってね」
 快斗は甘く囁いた。

 

SIDE・H

 平次は普段、寝つくと朝までぐっすりというタイプだ。その分朝は早くともすっきりと目覚める癖もついている。
 けれど、どうしたことかそれがまだ夜明けも遠い時間に不意に目覚めて、そんな自分に平次は戸惑う。
 何か良い夢を見ていたような気もする。
 叩き起こされるでもなくすうっと覚醒してたというのに、目覚めの瞬間に夢はどこかへ消えてしまったようで内容はどうにも思い出せそうになかった。
 ただぼんやりと嬉しいような、そんな印象が残っている。
「ああ……」
 ほのかな体温と間近な気配に、平次もようやく現状を把握した。ついで、昨夜快斗がこのベッドで眠る事となった経緯までも思い出せた。
 体温の正体は勿論快斗で。まるで平次が抱き寄せたかのように丁度喉元に快斗の寝息がかかり、平次の左手は快斗の身体の上にある。
 ぎょっと腕を引こうとして身じろいだ途端、快斗が何か口の中でごにょごにょと呟いて、起こしてしまったかと慌てて平次は息を潜めた。
 少し身じろいで平次に更に擦り寄ると納得したか、また快斗の寝息は深くなり、そっと平次は気持ちの中だけで胸を撫で下ろした。
 快斗の寝息が喉をくすぐったのか、彼のふわふわと跳ねる髪が顔をくすぐったのか、何にせよ自分を目覚めさせたのは間違いなく彼らしい。
 この体勢もどうかというものだが、まだ夜明けも遠いこの時間に起こしてしまうのも憚られて平次は身動きがとれずぼんやりと快斗を見遣った。
 普段元気過ぎる程快斗はまめに動いているから、こんな風にじっくりと寝顔を見れると何だかイメージが狂う。
 目を閉じて安心したように少し口元を綻ばせている彼は、随分とあどけない幼い表情になる。
 頬の線が意外と柔らかい曲線を描いているとか。華奢な身体はすっぽり腕で囲ってしまえる、とか。そんな些細な数々に目が行って、それが運んでくるほんわかとした気持ちに更に困惑して。
「へー……じ」
 小さな声だった。けれど平次はぶん殴られた位の衝撃で、息を飲む。かっと体内の熱が上がったのが自分でも分かった。この状態で快斗が目覚めた場合、何と言って良いものか見当もつかない。
 内心あわあわとしたまま固まっていた平次は、それから数秒が過ぎても瞳を開かない快斗に、やっと先程のそれが寝言であると確信した。
「なんやねん、もぉ……」
 心臓に悪過ぎる。
 いやそもそも寝言で名前が出るという事は、快斗の夢の中には平次が出てきているという事だ。そう考えると平次はどんどんと落ち着かなくなってしまう。その表情が、平次を夢の中で怒鳴り散らしてるようには見えないのがせめてもの救いだろう。
「……黒羽……? どんな夢、見とるん……?」
 囁いた声に反応したのか、快斗がふっと微笑んだ。猫のようにすり寄って来る体温と、その柔らかい幸せそうな笑顔に平次もつられて自然と微笑んだ。
 愛おしいような気分がこみ上げて、そっと抱き寄せる。
 そういえば猫も好きやったっけ。
 平次はぼんやりとそんな事を思った。

 睡眠学習の成果かどうかは、誰にも分からない。

◆『Your my home,Your my window』より・服×快◆


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