イヴイヴのやまねこ



 幼なじみに一度は断りの返事を返した、クラスの面々とのクリスマス会。
 結果的には飛び入り参加を果たした服部平次は、三次会の貫徹カラオケを前に帰宅した。
 時計の針は真夜中を三十度回っている。
 母親はとっくに自室に引き上げているし、この時期父親は殆ど家へは帰れないのもいつもの事なので、静かに玄関を抜けてそのまま自室へと向かった平次は、パァン! という乾いた音に迎えられた。
「ッ…!」
 ぎょっと足を竦ませた平次の体にまとわりつく細いテープと、ちらちら舞い散る紙吹雪。
 その向こうで、にっこりと笑う平服の怪盗の姿に、平次は襲撃を受けた現実を知る。
「…く、黒羽あ?」
 平次の声がひっくり返るのも無理はない。
 昨日の終業式を終え、今日から学生は冬休みだ。
 だが、それ以上に、今日は世にいうクリスマスのイヴイヴ。クリスマスといえば恋人達の年中行事ではベスト三に入ろうかという一大イベントである筈だ。
 賑やか好きで、人の驚く顔が大好きで、更に愛しの誰かさんの笑顔の為なら手間暇を惜しまないこの男が、夜行バスなら一晩バイクで五時間、新幹線で三時間飛行機で一時間かかるここにいる理由が分からない……それも独りで。
 もう一ついうなら、大阪というだけでなく、この自分の部屋に、というのも謎でしかない。
「お帰り、へーじ」
「…ただいま」
 『平次』を彼は独特のニュアンスで『へーじ』と呼ぶ。あまりにいつも通りなので、一瞬、東京の工藤邸の居候時と同じ応じ方をしてしまって、小さな脱力感と共に平次は後ろ手でドアを閉めた。
「と、ちゃうやろ。何でおんねん、こんなトコに!」
「へーじに会いに来てあげたんじゃない。なのにそんなつれない事いう訳?」
「大阪で仕事するんか?」
「オレ、ついでじゃなくても会いたいヒトには会いに行くよ。ほら、いつまでもそんなトコ立ってないで、座って座って」
「…俺の部屋やん…」
 クラッカーを隅のごみ箱に正確に投げ入れた快斗は、平次のベッドの上を座と決めたらしく、その隣をボスボスと叩いて平次を促している。力のない訴えは敢えなく黙殺され、のろのろと平次はその声に従った。
 最も、二十五日に東京の某美術館にKIDの予告状が入っているとTVが熱く語っていたのが昨夜の事だから、その後に大阪で仕事をするつもりだとすればまだ情報が入ってなくても無理はない。
 今日が下見かは、本人に語るつもりがない以上判明するのは当分先であろうから、現時点で考えても仕方がない。それは分かっている。
 ただ、遊びに来たのだと告げられて、素直に頷けないのは何より今夜という日のせいだ。
「せっかく待っててやったんだからさ。とりあえず乾杯といこうよ♪」
 ポン、と煙と共に相変わらずどこから出したのか右手にはワイングラスを二つ。左手には何だか見覚えのあるラベルの、赤発泡酒のボトル。
 見覚えの…?
「あーッッッ!」
 平次は真夜中という時間も忘れ、絶叫と共に横暴な略奪者からソレをひったくり返した。
「家捜ししたんかいっ、隠しとったのにッ!」
「それいうならへーじの隠し方って単純過ぎ。見つけてくれって言わんばかりなんだもん。これで名探偵ってヤバイんじゃないの?」
「大きなお世話さまや。うえ、思いっ切り減っとるやないか。何が待っとったや」
 未開封だったランブルスコ・グラスパロッサ。既に四分の一も残っていない現状は、笑うに笑えない。
 東京行きの手土産がパーになってしまったとぼやく平次に、快斗は余裕の笑顔を返す。
「だから、全部呑まずに待っててあげたんデショ? 快ちゃんってばヤサシー♪」
「……………あほ」
 怒鳴り散らす気力も根こそぎ奪われて、平次は目一杯脱力した。
 酔っているなら酔っているらしく、もう少し分かり易く顔色に出るとか言動に現れるとかすればいいのに、快斗は相当呑まないと顔色には出ない。
 言動は心持ち陽気になる傾向があるものの、それだとてどこまでが素なのか、東西名探偵がいつも先に酔い潰れてしまうので未だ分からないままだ。
 少なくともワイン一本空けた位でどうこうなる相手ではないのは確かだ。
 嫌な予感が過ぎる。
「…黒羽。お前、もしかしてこれ空にする前に…」
「あ、バレた?」
 ちっとも悪びれず、快斗はヘラリと笑うとコロンと酒ビンを転がした。
 これまた平次秘蔵の逸品。親の目を盗みちびちびとやっていた日本酒で、先日封を切ったばかりなのは記憶が証明している。
「ごちそーさま♪ ランブルスコはとにかく、手取川ってのは渋好みだねぇ」
「買うかいな、こんなモン。オトン宛の歳暮からちょろまかしたに決まっとるやろ」
「じゃあ窃盗犯同士、仲良くしようね」
「一緒にすな」
「まぁまぁ、堅いこと言わないでさ」
 勝手に和んで、力尽きた平次の手からこれまた勝手にワインを取り戻すと、遠慮なくグラスにそそぎ入れた。また、ご丁寧にも片手のグラスを平次に握らせて。
「ハイ、乾杯」
 チン、と軽い音に、はぁと溜息を落として、平次は諦めの境地でグラスを口に運んだ。
 赤にしては呑み易い、イタリアワイン。
「んー、美味し♪」
 舌なめずりせんばかりにご機嫌な快斗に、ハイハイと気のない相槌を打って「それで」と話を引き戻す。
「何でこんなトコおんねん?」
 横目でじろりと隣を伺うと、快斗は平次と反対の上方へとわざとらしく視線を逃す。そのまま軽い口調での答え。
「へーじに会いに来たんだってば」
「黒羽」
 鋭く遮るでもなく、淡々と名を呼ぶと快斗は一度口を噤んだ。かと思うと、何を思いついたか明るい表情でポンと手を打とうとしてグラスが邪魔な事に気付いたらしく、しばし躊躇った後、空いてる方の手でポンと膝を打つ。
「ここはぜひ一つ、男同士で酒を酌み…」
「交わそー思うんやったら、酒の一本でも持参するんが筋っちゅーもんやろ」
 快斗が身一つなのはどこかにホテルでも取っているのか、単に長居するつもりがないだけなのか。
 彼がいる事を示すのは、彼自身と、ごみ箱のクラッカーと、壁にかけられた赤いベンチコートだけ。
「……うー……」
「おとなしゅう白状してまい?」
「………」
「工藤と喧嘩でもしたんか? んん?」
 快斗は基本的に新一には甘い。けれど、ただ甘やかせているのではなくて、駄目も違うも口に出す。
 けれど快斗は言葉と相性がいいのか、言葉を粗末にしないからか、快斗のそういった言葉は新一には受け入れ易いのか、快斗がやんわりとまた時にはっきりと言う言葉で二人がいさかいを起こしているようには平次には見えない。
 別の人が言った言葉なら素直に聞けなかったり、むっとしたりする所が、彼だと気にならずに聞ける。それは人徳だと彼は笑う。勿論それもあるであろうが、それ以上に快斗は他人との距離を掴むのがうまいのだろう。
 そんな快斗と新一なら、喧嘩にならないではないのかと思うのだが、そうは簡単じゃないのが世の中って八つである。
 なにより快斗は語らない事で新一の怒りをかってしまうのだ。
 と、すれば今回は…。
「ただの喧嘩やないんか? 工藤怒らしただけとちゃうんか?」
 ボス、と音がしたかと思うと、快斗は器用にもグラスを持ったまま雫一滴こぼさずに平次の後ろに倒れ込んでいた。
「黒羽?」
 ポンポン、と背を叩いてみる。
 何か小さい声が布団に吸い込まれてもごもご言っている。
「へ? なんや?」
「へーじってば…直球過ぎ………」
 思わず平次も笑ってしまう。
「何言うとんねん。他の理由でお前がここに来るんか」
「来るかもしんないじゃん」
「せやったら、その理由とやらを聞かせてもらおやないか。おとなしく白状するならよし。まだ爪立てるんやったら、窓から放り出すで?」
 「にゃあぁぁ…」と情けない呟きが布団に吸い込まれて行く。
 うつぶせになったまま、グラスを空けて。布団に顔を押しつけるようにしたまま、快斗は話す。
「新一、がさ…オレが悪いんだけど」
「TVでやっとった奴やな?」
 二十五日の怪盗KIDの予告状。新一との期末終了時の電話ではその件には触れてなかったから、その時点では彼も知らなかったのだろう。
「うん。クリスマスだから仕事する気なかったんだけど、どうしても外せなくって…あのさっへーじ!」
 いきなりがばっと快斗が半身を起こす。
「クリスマスとクリスマスイヴとイヴイヴとだったら、普通メインって、イヴだよね? イヴが本番だよね?」
「……まぁ人にもよるやろけど、そうかもしれんなぁ。それでクリスマスに仕事入れて工藤怒らせとんのかい」
 やれやれ、と平次が呟くと快斗はまたもや布団にバフ、と沈没してしまう。
「怒られたほうがマシだった気がする。新一ってば、そういう時に限って笑うんだよ。仕事ならしょーがないよなって笑うんだ」
「謝ったんやろ?」
「あったり前じゃん! 目一杯謝ったよ。イヴとイヴイヴは絶対予定入れないから、一緒に過ごそう、って…」
「ゆーたのに振られたんか」
 アホやなぁ、と心の中で思う。要するに今回の騒ぎは痴話喧嘩のとばっちりというものらしいと、平次も得心がいった。
 かといって放置してもおけないのが、平次の平次たる所以でもある。基本設定にお人好しのDNAが組み込まれていると東の名探偵は笑ってからかったものだが、誰にでもそうな訳でもない。相手は選んでいるつもりだ。
「すんごいあっさり振られたよ、どーせねっ。『二十三日は蘭と園子の所のパーティーに行くし、イヴには服部も来るからいいよ、別に。おまえも青子ちゃんとかと予定あるんだろ?』とくるんだぜ?」
 本気で言っている訳じゃないと分かっていても、でもなんか、へこむ。快斗の呟きは本当に力のないものだったから、お節介したくなるのだろうか。
「工藤が、一緒いれんで寂しいとか言う思うんか? あの工藤が、やで?」
「分かってるよ。新一がそーいう事素直に言えない質なのは。けどさ、なんか全然期待もされてなかったみたいでさ」
「…工藤が、俺がイヴに来る言うたんやな…?」
 快斗の先程の台詞をリピートさせて、引っかかった場所はそこだ。急な話題転換に、快斗が奇妙な顔で振り仰ぐ。
「うん。へーじだけ新一に会うなんてずるい、って思って。ごめん、へーじ…本当は邪魔しに来たんだ、オレ」
「そやないかと思っとったわ。なぁ、黒羽、ほんまは何時に来たん?」
「…夕方」
「ケータイ鳴らしたら帰って来たのに、なんで黙って待っとったんや」
 快斗は新一と同じくらい、東京では人を振り回すのがうまい。
 楽しい事には巻き込むべしとまるで二人で約束でもしているかのように、強引な誘いに拒否権もないまま引っ張り出されてしまう。
 それが今回待ち伏せという形ではあれど、平次に連絡もしなかったのが符に落ちなかった。
「へーじがイヴに新一と遊ぶのは邪魔してやろーと思ったけど、こっちでへーじが友達と遊んでるのを、邪魔するのはヤなの。それだけ」
「ええ子やな」
 よしよしと髪の毛をかき混ぜると、快斗は拗ねるかと思いきや顔も上げずにおとなしくされるままになっている。
 新一といる時は特に背伸びしたがる傾向のある彼にしては、極めて珍しい反応である。
「黒羽…? 寝るんやったら、ちゃんと布団の中に入り。上に寝とったら風邪引くで」
「んー…。…新一が、へーじの指、好きだって言ってたの…なんか分かる…」
「そぉか」
 苦笑しながら、既に眠りに片足突っ込んでいる快斗を転がし、上掛けを引っ張り出して、快斗を布団に埋める。
「ええ子にはご褒美やらんとな」
 その言葉に、快斗は半分閉じそうな瞳でぼんやりと見上げて来る。
「工藤、楽しみにしとった思うで」
「…え…?」
 顔の下半分を布団に埋まりながら、目だけが平次を向く。
「ほんまはな、終業式の後で、速攻東京行くつもりやってん。工藤に電話でそう言うたらな、クリスマス済んでからにしてほしいて頼まれてん」
「新一が…?」
「せやで。自分はクリスマスなんてどうとも思ってないけど、きっと快斗はそういうの好きだろうし、何か考えてるかもしれないから、空けておきたい、いうてたんや。面倒臭そぉに言うとったけど、なんや声、嬉しそーやった」
「………」
 良かったな、と笑うと更に頭は布団の中へと潜って行って…跳ねた毛先だけが小さく揺れて、頷いたと分かった。
「帰ったらちゃんと仲直りすんねで?」
 ポンポン、と上掛けの上から宥めて。答えの代わりの小さな寝息を確認すると、平次はそっと自室を出る。
 なんだかんだとすっかりベッドまでを奪われてしまったものの、それを苦笑で済ませられるのはやはり快斗の魅力なのだろう。
 廊下を突き当たりまで進んで、完全に部屋からは離れてから、平次は持ち出した携帯電話をポケットから取り出した。
 ディスプレイに表示された時間は既に丑三つ時。
 普段なら留守番電話に切り替わっているに違いない時間。彼が、出る筈のない時間帯。そして余程の事でもない限り、こちらからもかける事のない時間帯でもある。
 けれど、平次は確信を持って短縮番号一番を呼び出す。 コールは三回で、あっけなく繋がる。
 一瞬の間をあけてから出た彼の声は、思った通りこの時間にしては明瞭だ。
『…服部……?』
「起こしてもーた?」
『いや、本読んでたから。…珍しいな、こんな時間なんて』
 本を読んでいて夜更かししてしまうのは、お互いよくやる話だ。
 けれど、この場合本を読んでいて眠っていないのか、眠れなくて本を読んでいたのか、微妙な線だと平次には思える。
「堪忍な。明々後日に行く言うてたやん? やっぱり明日、そっち行くわ」
『…はぁ? なんだよそりゃ』
「明日、おる?」
『いるけど…いきなりどうしたんだよ?』
「実はな」
 言いながら、思わず笑ってしまう平次である。
「今夜、魚嫌いのやまねこの襲撃を受けてん」
 この一言で誰の事かは通じたらしい。電話越しに、大きな溜息が聞こえる。
『…あのバカ……』
 唸るような呟きに、更に笑ってしまう。
「そんでな、持って行こ思てた酒、飲まれてもうてん。せやから、土産代わりに首ねっこ掴んで連れて行こ思うんやけど、どおやろ?」
『…クリスマスプレゼントにしては、趣味悪ィんじゃねーの』
 答える声は、それでも少し笑いを含んでいる。
『けど、礼は言っとく。あいつ…どうしてる…?』
「今はおとなしゅう寝とるよ。いつもみたいに噛みつかれるんかと思ったけど、工藤に振られてえらいめげとったわ」
『振られたのはこっちだっての。あのバカ』
 完全に真夜中のぼやきモードに突入してしまったようだ。
「そんで明日には俺が来るなんて言うたん?」
 快斗にそう言ったという名探偵の意地をちょっとつついてしまいたくなって告げる。からかい口調には、思い切り沈黙が過ぎって…憮然としている横顔が想像出来てやっぱり平次はおかしくて仕方がない。
「なぁ工藤」
『……ンだよっ』
「工藤が可愛いんは知っとったけど、黒羽も結構可愛い奴やったんやなぁ」
『うるせー。やっぱり来るな、おまえ当分、出入り禁止!』
「プレゼント、ええのん?」
『〜〜〜〜っ。分かったよ、好きにすりゃいーだろっ』
「ほんなら、程々に寝るんやで。また途中で連絡入れるし」
 言っても聞かない時には聞かないのが彼だけど、珍しく、そうだな、と肯定の返事が返って来た。
 それから、ちょっと笑って。
『そっか…もうこんな時間だっけ。なあ服部』
「ん?」
『メリークリスマス』
 少し照れた声は、それでも優しく響いた。
「メリー・クリスマス、工藤」

 

 日が昇ったら、彼等の幸せな笑顔が待っている。

◆2/4の奇蹟掲載・快(K)×新(コ)◆


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