聖 夜 |
イヴがクリスマス当日になって数時間。 夏場ならもうとっくに朝もやもはけ薄明かりが見え始めるようなそんな時刻、白馬探は自宅へと辿り着いた。 既に連絡は入れてあっただけに家人も使用人も寝静まり邸内はひっそりとしている。 深いじゅうたんは足音を消し去り、静けさが夜の虚ろな空間を更に押し広げているようで、白馬は軽くため息をついた。肩からのし掛かるのは、今日の分だけではない、疲れだ。 今夜は眠れるだろうかと疲れている身体と反対に、ぴりぴりと未だ安らいではいない神経を思って、おっくうさが倍増してしまうのが自身で分かり困ってしまう。 足を引きずるように自室へとたどり着いた白馬を迎えたのは、その場にいる筈のない、影。窓越に明けぬ紫紺の空を眺めている、白い後ろ姿。…怪盗・KID、だ。 彼はふわりとマントを翻して白馬に向き直ると、白馬をその瞳に捕らえた。泥のように重かった体なのに、視線を合わせるだけで、白馬はその凛とした空気を感じ自然に背筋が通るような気がした。 「随分と遅いご帰宅ですね?」 「…そのような日も、あります」 一瞬応えを探して、白馬はそう答えた。 聖夜が近づくにつれ、白馬の生活の忙しさには拍車がかかった。事件は勿論なんでもない日にも起こる。だが、年の瀬が迫るにつれ、何かに追い立てられるかのようにその数は増し、白馬の帰宅時間は日に日に遅くなって行っていた。…自宅に帰れない日とて珍しくはない程度に。 聖夜を忘れていた訳ではなかった。それが今夜だという事も承知している。何より、この怪盗の予告状が出ているだけにそう簡単に忘れはしない。 「イヴのパーティの帰りには見えませんね。このような日に探偵をかり出すとは、無粋な」 「明日の夜…いえ、もう今夜ですね。僕がかり出される件に関しては無粋とは思わないのですか」 KIDの予告状の暗号はもう解けている。夜には会うのだろうと、白馬は漠然と思っていた。それがこのような時間にこの場所に、彼が現れるとは。その理由も分からないまま。 「ショウは聖夜にこそ相応しいでしょう?」 KIDは口角と片眉を引き上げる事で皮肉な笑みを形取った。が、それも束の間で霧散する。 室内に踏み入れた白馬の足取りの一瞬の乱れを見逃すような怪盗ではない。気配を変えず白馬へと歩み寄ると、その瞳で白馬を貫く。 「…足にきてますよ、探偵さん。相対するのに万全の体調を整えては頂けないとおっしゃる?」 「貴方に心配して頂くいわれはありません。怪盗KIDを相手にこの僕が無様な真似を晒すとでも?」 語調にきつさがあるのは、余裕のなさの現れ。そうと分かっていても過敏になった神経が急に穏やかになる筈もない。 「プライドと気力だけで私を捕らえようとされるなら、貴方こそ私を甘く見ていらっしゃるのでは?」 「捕まえてみせます」 今夜こそ。そう思ったが言葉には出さなかった。何度そう言っては出し抜かれた事か。 それを思ったか、KIDが浮かべたのは小さな笑みだった。 「なっ」 不意に腕を取られ、抗おうとして白馬は軽くよろめいた。身長といい体格といいあきらかに白馬よりも華奢に見えるKIDだが、思いがけずその力は強い。 「何をっ…」 「探偵とは、みなこのように強情なものですかね」 ため息をついて、KIDは白馬の腕を掴んでいない方の肩を軽くすくめて見せた。 「どうぞご心配なく、夜が」 それでも常なる状態ならば振り払うくらいの事は可能な筈だが、白馬は迷いなく進む彼に引かれるまま進んでしまった。背で翻るマントの白がやけに目につく。 「明けるまでには、私はこちらから姿を消しましょう」 KIDの言葉はあまり脈絡がない。白馬は軽く眉を顰めながらも、その手にひかれるままに部屋を横切り寝室へと踏み入れてしまっている。口で言い返すのもおっくうになる程度には、身体の方が正直に休息を訴えているという事だろう。 促されるままベッドに腰を下ろすと、KIDがそっと耳元に唇を寄せる仕草で意地悪く喉の奥で笑う気配が伝わってくる。 「ご希望とあらば、共に過ごすもやぶさかではありませんが」 「今すぐ帰って下さって結構です」 「相変わらず口の減らない」 KIDの声なく笑った気配だけが伝わって来た。KIDに促されるままにベッドに横になりながらも警戒心を全面に押し出して来る白馬を、彼は面白いものでも見るようにしげしげと見ている。 「まだ何か?」 何もないなら消えて下さい、と。そう続けようとした白馬は咄嗟に声を飲み込んだ。 瞼を覆った白い手袋越しの指先に、思わず瞳を閉じる。指先を感じて息をつめた白馬の、唇をかすめ取る柔らかい温もり。…それはほんの一瞬の温もりで。 慌てて自らの唇に指を運んだ時には、それはもうなかった。ポンッという軽い音と共に煙幕が立ち、瞼の上の指先の気配も一瞬で消え失せた。 「………KID………?」 晴れた視界には白き怪盗の姿はなく、気配も残像すらなかった。最後に耳元へと囁かれた言葉は『どうぞおやすみなさい』…まるで幼子に囁いたかのように馬鹿に柔らかい語調で。 夢とうつつを確かめるのは、指先。もう一度指先がゆっくりと唇を辿る。呆然と落とした指が、触れた物でかさりと音を立てた。紙、正確には、ただの紙でなく、カードだ。 「KID、の…?」 予告状が頭を過ぎり、消える間際の月明かりにそれをかざし、白馬は文字を追った。お決まりのロゴ・マークは間違いなく怪盗自身を示していた。が、内容は予告状からは大きくかけ離れている。 「まったく」 苦笑せざるを得ない。温もりは暖かくても、あまりにも一瞬過ぎて…儚い。 「これでは、眠れるものも眠れない…」 白馬はカードをサイドテーブルに滑らせて、カーテンを引く。今はまだ直視出来ない怪盗と、また月が出る頃には顔を合わせる為に、一時の眠りとやすらぎを得る為に。 貴方の眠りを妨げしものはこの手の中に頂いて参ります カードの文字は少なかった。
・end・ 消化不良でごめんなさい |
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