不運な事故 |
二人がいるのはベッドの上。 他にいくらでも部屋があって、ゲストルームの数だけベッドがあるというのに、二人がいるのはいつも同じ部屋の同じベッドの上。 出て行け、いやだよ、くっつくんじゃねえ、いやで〜す。 そんな風に相変わらず通り一遍意地を張り尽くしたら、いつも最後には快斗に抱き込まれてしまう。 そうしてそのまま眠りにつくのなら無駄なあがきでしかないそれは、結局の所コミニュケーションという言葉に集約されてしまうとコナンは学習した。 そして今宵も腕の中。 「ナニにやにや笑ってんだよ」 ふてくされて呟くコナンに、快斗は至近距離でへらっと笑ってみせた。これがあの月下の貴公子・怪盗KIDだと言われて誰が納得するだろうか? 「何か、さ、つい顔が笑っちゃう。オレって幸せものだよね〜♪」 「………あ、そう」 同意を求めるなと主張したいのをこらえて投げやりに答えると、不意に快斗はコナンに覆い被さるように抱き込み直した。 …勿論、変な所で理性的でもあるこの男は小学二年生の身体に負担のかかるような体重のかけ方など決してせず、コナンと快斗の身体の間には僅かながら空間すらある…ちゅっ、と音をたてて小さなキスを落とした。 「こうやってさ。キス出来るのって幸せじゃない?」 悪びれない笑顔を向けられて、しばらく考えてコナンはもう一度「あ、そう」と呟いた。 「気のない返事〜。あ、そっか、照れてんだ?」 コナンちゃんか〜わい〜♪ と続けられて、コナンはつい先程の思考をなぞる羽目になった。これがあの怪盗キッドだと…云々、というくだりである。 「だってホラ、工藤新一さんは流石にね、オレとのキスがファーストキスって事はないだろうけどさ。江戸川コナンくんのファーストキスってばオレのもんじゃん? そーゆーのっていいよねぇ」 「そうか…?」 「そーなの、そーなんです」 ものすごく疑わし気なコナンだが、力説する快斗の姿に反論する気力が端から萎えて行く。 そもそも1番目も2番目も順番など大した問題じゃないと思っているコナンにとっては、その辺りのニュアンスは伝わり難い。けれど、それが個性とかこだわりとか価値観の相違って奴に違いないと、コナンは自分をとりあえず納得させた。 「だから、キスしよ♪」 だというのに相変わらず、快斗はマイペースに論法をかっ飛ばす。 さっきしたのは、じゃあ何だ! あれはキスじゃないのかっ? そう問いただしたくなったのは至極真っ当な感情の帰結だと信じたい。だがしかし、コナンは結局目先のポイントへと突っ込んでしまった。 「今のだからの使い方って正しいのか?」 「IQ400を信じなさい」 「怪しいんだよな、紙一重って」 「……」 「………」 「……あー…」 キスの雨を降らされている内に、ふと思い出してコナンは独りごちた。 「…じゃ、ねーや」 「何、どしたの?」 「…いや」 邪気のない口調で尋ねられて思わず口ごもってしまう。 「その…おまえが初めてじゃなかったっけって…」 「は、い〜!?」 動揺のままがばっと快斗が起き上がり、詰め寄る代わりに何故だか勢いよく正座してしまう。弾みでベットのスプリングが軋み、コナンの身体は一瞬宙に浮いた。 「ウソ、最近の小学2年生ってそんなマセてんのっ!?」 「いや、そうじゃねぇって」 つられて起きあがったコナンは、正座で詰め寄って来る快斗の勢いに押されて、知らず知らず壁際へと追いつめられてしまう。勿論、うにうに揺れるベッドの上、である。 「まさか蘭ちゃ…ッイテッ。はいはいスミマセンねぇ、誤解でしょ。分かってますって」 コナンの無言の暴力に、あっさり快斗は口に出しかけた言葉を撤回した。 「可愛いロマンスの一つくらいあるでしょう? 気にしませんよ、別にね」 全然、と装おうにはあまりにも不自然にキッド口調になってしまっている辺りにも、隠しきれない動揺が窺える。というより、この有様では動揺を隠す気があるのかどうかも多いに疑問だ。 「バーロ、事故みてーなもんだよ、大体、相手はヤローだったし」 「…男…」 「だから事故みたいな…快斗?」 彼の顔から笑みは消えていた。いつになく真顔で見つめられて、コナンの心拍数は途端に上がり出す。 「誰」 「えっ」 短い問いにコナンはドギマギとしながらも、唾を飲み込む。やましい事なんてないのに、何だってこう喉が渇くのだろう…? 「誰って…覚えてねーよ名前なんて」 「へぇ? 名前も覚えてないような奴とキスしたんだ?」 奇妙に静かな声で淡々と聞かれて、コナンはこの話題を後悔した。 ふと思い出しただけの、ほんのつまらない昔話。そのつもりだったのに。…これじゃあ笑い話にもならない。 「したんじゃねぇよ、されたんだ」 こんな泣きたいような気分で、言い訳みたいに言っているだなんて、ものすごく不本意なのに他にどうしようもなくてコナンは俯いた。 その身体を、ふわりとしたものに覆われて、息を詰める。 先程快斗が飛び起きた時に跳ね飛ばした上掛けに包まれた己の身体と、それをなした人物とを慌てて交互に見遣った。 ………快斗は笑っていなかった。 けれど数瞬前までの休火山のような怖さもなくて、むしろ泣くのをこらえるような表情で上掛け越しにコナンをぎゅっと抱きしめる。視界から消える前にその口元が声を出さずに『ゴメン』と三文字分動いたのを見て、コナンは頷いた。 「もう…結構前の事でさ」 「ちょっ、コナン!?」 慌てて身を放す快斗に、コナンは片手の上掛けの端を差し出す。 一緒に入ろう。 そう誘う無言の仲直りの仕草を、快斗は予想通りのぽかんとした表情で見つめて、けれど間違いなくその意味を汲んで照れくさそうに笑んでそれを手に取った。 「確かこの姿になってそんなにたってなかったと思う。バレンタインの頃だったから」 二人で上掛けにくるまり直して、ベッドの上に並んで壁にもたれる。快斗の体温をじんわりと感じながらコナンはぽつりぽつりと話し出した。 「あの頃はまだおまえとも…服部とも灰原とも出会っていなくて、両親ともちゃんと連絡してなかったから、オレにいたのは頼っちゃいけない蘭とおっちゃん、そして唯一頼りに出来た博士だけだった」 触れ合っている部分だけがじんわりと暖まる筈なのに、体格の差のせいか、包み込まれているかのように熱は行き交う。 伝わって、返って来る。一方通行でない、穏やかな熱の循環はそれだけでコナンを落ち着ける作用があるのだから不思議だ。 「だからオレは色々な事を焦ってて、蘭の事も…守らなくちゃって、そればっかり考えてた」 当時は自分も混乱していたし、彼女も困惑していた。新一とコナンと、生活の変化と。何が出来て何は出来ないかを手探りで判断していた。 今なら彼女の強さも知ったし、ただがむしゃらに守らないとならないとも思ってはいない。 本当の家族に対する愛しさで想っていても。 「その日、園子と蘭は大学生の二人組にナンパされたみたいで、その片方の奴の誕生日のパーティに招かれた。オレはこっそり迎えに来た車に潜り込んだんだ。結局、着いたらすぐ見つかっちまったけどさ」 とつとつと語るコナンに寄り添うようにして、快斗は大人しく聞いている。 時折コナンの額や髪にキスを降らせて。…唇は問題なく、視線はほんのりと、優しい。 「その家には大学のサークル仲間も祝いに来てたんだけど、最初に蘭たちに声をかけてきた二人の、マッチョな方が特に蘭にちょっかいかけてて。オレは邪魔してやろうと二人の間に割って入った。そしたら何を考えるんだか蘭にキスしようとしやがって…で、後はご想像通りって訳」 ソイツは人違いをしたと分かって大騒ぎ、周りはそのちょっとした余興に大笑い。 コナンにとっては笑うどころの騒ぎじゃなかったけれど。 「…間違えて…? 高2と小2を…?」 コナンを抱きしめている腕は柔らかく、口調も静かだったから咄嗟の反応が遅れた。快斗の感情の感じるのが、遅れたからすぐにそうとは知れず「まったくな」とさらりと会話を流しかけてぎょっとする。 自分へと向けられている訳でもないのに、背筋を冷や汗が伝う程の静かな怒りに触れて…かける言葉が見つからない。 キッドの時に垣間見せる冷徹さでもなく、快斗の見せる子供じみた怒りの表情ともそれはまったく異なる。 初めて触れる人のようだった。 快斗の無意識の行動なのか、ぎり、と奥歯を噛みしめる嫌な音と、コナンが快斗の腕を掴んだのは、同時。コナンは必死で身を乗り出す。 「快斗!」 「なに」 「変な事、考えてないよな?」 「殺ろうなんて思ってないから安心して。ぼこぼこにはさせてもらうけど」 冗談口調でも目が笑ってない。 思わず指に力が入ってしまったコナンを、しかし腕が柔らかく抱きしめ直した。そのまま布越しに何度も背をなで下ろされる。 「ゴメン。おびえさせるつもりじゃなかったんだけど」 いつもの快斗の声だった。 ちょっと申し訳なさそうに笑む口元も、柔らかく細められた瞳もいつもの彼のもので、やっとコナンは少し安心して細く息を漏らした。 けれど、忘れられそうもない。 触れた束の間の怒りが恐ろしい。 例えそれが自分に向けられる事がないと彼が言っても、その言葉を信じていても、彼の中にそれ程の激情があると知ってしまうと恐ろしくなる。その激情が快斗の中で消えたのはなく表面に現れないようにしているだけなのを知ってしまったから、それが快斗自身を滅ぼしかねないと思うと、怖い。 「変な…言い方、するなよ…ッ」 「うん、ゴメンね。オマエを傷つけた、って思ったら頭に血が昇っちゃったんだよ」 「オレがいいって言ってるのに、おまえが怒るこたねーだろ」 「その権利もオレにはない?」 二人は正面から視線を合わせる。 快斗はいつものふざけた物言いでもなく、喧嘩越しでもなく、どこか淡々としている。その様は未だ彼の中で消えてない炎を思わせて、コナンは習い性の如くなっている邪険な受け答えをぐっと堪えた。 「そんな権利…おまえにしか、ない」 怒るなと言って、その端から怒る権利はおまえにしかないなんて言う、矛盾だらけなのは承知の上で、コナンは答える。もとい、怒鳴った。…既に逆切れだ。 「快斗にだけだ。本当かなんて聞くなよ! 殴るぞ」 「でも」 「今現在オレにキスなんてすんの、おまえだけだろ」 「………」 勢いに飲まれたように、快斗はただただ頷く。よしっと腕組みして、コナンは更に畳みかける。 「んじゃ今現在、オレがキスすんのは?」 「オレ、です」 「だったらいーだろ、大体、もう忘れかけてたくらいだ」 「けど覚えてる」 「そりゃ…その後で殺人事件があったから、だ」 「ソイツ…」 言いかけて、快斗は言葉を飲み込んだ。飲み込んだ言葉の想像がついてしまったから、コナンは首を振る。 「いや、被害者でも加害者でもない。バカ、そんな露骨に残念そうな顔するなよな」 「だってさ、コナンのファーストキスだったんだろ。その時のオマエが傷つかなかった訳ないじゃん」 「オレは別に一番も二番もどうでもいい。快斗が分かってるなら、いいんだ」 快斗は目を見張って驚いた。 こんな砂を吐きそうな台詞を自分が言うなんて、と言ったコナンもコナンで狼狽えていたものの少なくとも今はまだ快斗の腕の中から逃げたくもなくて、手を離すのは耐えられなくて、ただ視線だけを外した。 彼の中の炎が、消えたと分かるまでは手を離すのは躊躇われた。 数瞬の沈黙の後、ぺた、と額にてのひらが当てられてコナンは固まった。 「………何の真似だ…?」 「ん? いや、あんまり可愛い事言ってくれちゃうから、熱でもあるかなって」 「ッッンのバカ! もう二度と言わねぇ!」 「大好きだよ、名探偵。最後のキスもオレにちょうだいね」 本調子に戻ったとはとても思えない一本調子の快斗の『お願い』に、コナンはその小さな拳で殴る代わりに、精一杯腕を広げて快斗の頭を引き寄せた。高校生だった自分なら問題なく包み込めた筈の腕の長さはやっぱり足らなくて、少しだけ悔しい。それでも精一杯伸ばした腕を広げて、快斗の頭を抱え込んだ。 いつも快斗がコナンにくれる色々な気持ちは返せるだろうか。 いたわりであったり、尊敬であったり、愛しさであったりするもの。 コナンは、自らの意志でキスした。 「ちっとは落ち着いたかよ?」 羞恥心は先に捨てた方が勝利を掴む。快斗にキスの雨を降らせたコナンは思いがけずそんな法則を発見してしまった。 常の快斗なら「もうコナンちゃんのキスで元気百ば〜い♪」等と脳天気な声の一つや二つ上がってもおかしくはない所なのに、彼は照れくさそうに俯いて小さな声で「ありがとう」と呟いたのだから。 でも、次の瞬間にはもう快斗は快斗だった。「さっきの話だけど」と前置きされて、コナンは首を傾げる。 「オマエの事抜きにしても、そもそも蘭ちゃんの意志を無視してキスしようとした時点で十二分に非常識だと思わない? よって、有罪。ちゃんと懲らしめてやった方が世のため人のためだと思うなぁ。って訳で快斗くんが一肌脱いであげましょう。ぼこぼこがダメでも一発くらいは殴っとこ、ね?」 やっといつもの快斗に完璧に戻ったようで、コナンは腕の中で揺すられながらバーカと笑う。 「ね、とか言ってもダメ。暴力で解決しようとすんじゃねーよ」 「じゃあさ、殴るのがダメならこーゆーのはどう? 傘たたんである状態のトコにカエル10匹くらい潜ましておいてさ、パッって差した瞬間にカエルが頭から降ってくんの♪」 ものすごい嫌がらせを喜々として語られて、コナンの口元はひきつった。 今思いついたというのにはリアリティがあり過ぎて、既にこの嫌がらせを受けたであろう犠牲者を思うと流石に笑えない。 イモリでもいいかな、でも動きが素早いから傘開く前に逃げちまうかも、等と更に改良案を検討している快斗をつんつんつついて注意を引くと、コナンはなるべく穏やかに問題点を指摘した。 「しばらく天気予報では晴れだったけど」 かぱ、と面白いくらいあんぐりと快斗は口を開けて固まった。おいおい、IQ400はどうしたよ、と西の高校生探偵から伝授された本場の鋭い左突っ込みを心の中でかます。 「そもそも、それ悪趣味だ」 「わざとだもん。…どうしてもダメ?」 「ダメなもんはダメ」 コナンはあっさりと繰り返す。 「そんな嫌がらせなんかしてほしくない」 自分の為だとしても、自分の大切な幼なじみの為だとしても。 そんなコナンの心中を知ってか知らずか、快斗は納得致しかねるとばかりにそんなコナンに不満顔の無言の訴えに走った。 じとーっと恨めし気に見られて、コナンはやれやれと頭をかいた。 「ただ」 「うん、なになになに?」 渋々、と言った態で語を継ぐコナンに、快斗は期待を込めた瞳でウキウキと先を促す。 「嫌がらせはもってのほかだけど…ちょっと不運が続いたとしても、それは知った事じゃねぇな」 コナンの台詞に、快斗はきらりと目を輝かせた。 「それは、そうだろうね」 コナンが何を言おうとしているのか、探るようにゆっくりと快斗は言葉を選んで答えを促す。 「つまり、出かけようと家を出たりした瞬間に鳩にふんを落とされる、なんていうのはありがちだよな…?」 「…そうだね、それが何回か続いちゃうなんて事も、珍しくはないんじゃない?」 「ちょっと不運だけどさ」 「事故みたいなもんじゃない」 快斗は、コナンの台詞の意味する所を即座に理解して、そんな風に返す。 間違いなく嫌がらせでありながら、それが嫌がらせであるとは決して分からない。そして、これは快斗にしか出来ない実に独創的な嫌がらせでもある。 思いついたコナンもコナンならそれに乗る快斗も快斗だが、どちらもその互いの悪のり加減には目を瞑る事にした。 そうして恋人達はキスを交わして、とりあえず朝が来るまではとその不運な男を頭の中から追いやったのだった。 |
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