君の隣が指定席

 

 

 

 片桐が、社からその連絡を受け取ったのは、まだ夜中だった。思いがけず缶詰中の大先生が、とっとと原稿を上げてくれたからだ。後を後任に引き継ぐべく電話を入れた所、その伝言をもらえたのだ。
「有栖川先生から?」
『ええ、そう。仕事なのは判っていますって。でもずっと起きて待ってらっしゃるそうよ、連絡下さいとの事です』
「僕、なにかしたかな…」
 夜更かしの顔でしきりに考えては見る。電話の向こうで笑い声が上がった。
『あら、心当たりでも? 片桐さんたら』
「田中さ〜ん…」
『大丈夫よ、別に怒ってらっしゃった風でもないから。早く連絡して差し上げたら』
「そうですね。はい、そうします。じゃあT先生の方はお後お願いします」
『了解しました。お疲れさま』
 フックを下ろして、再度プッシュする。普通の家庭では睡眠時間。しかし作家には活動時間だ。コールはあっさり一回目の途中で途切れた。
『もしもし?』
「こんばんは、片桐です。今日、いえ昨日はどうも…随分お待たせしちゃいましたか?」
『いや、いえいえ、すいません、お疲れの所。お聞きしたい事があるんやけど、今いいですか』
 片桐は一も二もなく承諾した。
『お土産をいただいたでしょう? あの袋に携帯電話が入っていたのを知っていました?』
「いいえ? 僕の、ここにありますけど…」
 『片桐さんのじゃないようなんです、なんかややっこしい事になってるみたいで』と、苦笑混じりの答え。同時に、片桐の好奇心も刺激される。
「と、言いますと?」
『迷子のケータイ、やね。持ち主の父なる人物から連絡が入って、どうやら持ち主も迷子だか失踪中だか、家出だかのようで』
 成程、確かにややこしい状況に思える。
「それで徹夜覚悟で僕の電話を待ってて下さったんですね。判りました。何でも聞いて下さい」
『話が早くて助かりますよー。ええと、じゃあまず、饅頭を購入されたのは?』
「東京駅の、新幹線乗り口近くの売店です。でも買った時には何も入ってなかったですよ。商品、違ってないか持ち上げて確かめましたから」
『ええっ? じゃあ、わざわざアレを…っ?』
「は?」
 アリスの声が、動揺にひっくり返り、片桐の反問に慌てたように「いえいえいえっ」と声が返って来る。
『いーです、続けて。その後はすぐ新幹線に乗って、神戸へ?』
「新大阪までなんですよ、ひかりは。ですからそこで乗り換えて、神戸に」
『どこかで、袋から目を放したり、どこかに置いて離れたりは?』
「いいえ。ずっと睨んではいませんけど」
『うーん…そりゃ、そうやろね、普通』
「どこかで同じ紙袋を持った人とぶつかって、入れ代わった、なんてのもないですよ、一応」
『じゃあ、飯田昭子っていう女の子、どっかで会いませんでしたか。中学一年、ショートヘアーの…』
「京都…」
 ぽろっと口からその言葉がこぼれた。アリスが息を呑む気配がする。片桐は慌てた。
「名前とか、そういうのは判らないですよ! でも、他に心当たりなんてないので」
『いーです、で?』
 彼が、電話の向こうで身を乗り出したのが、微かな音で判る。全然関係ないかもしれない事を思うと、片桐の口調はやや弱くなる。
「横浜から、隣に女の子が座ってたんです。独りみたいだから珍しいなって思って…ショートの、ええ、中学生にも見えるかなって位の…。僕、少しうとうとしていたので、その時なら紙袋足元に置いてましたし…可能性は、あると思います」
『すごい、片桐さん! 今、家ですか?』
「は…あ、いえ。これから帰りますけど」
『京都で降りたんやね? 片桐さん家にFAX流してもらうんで、顔、確認して下さい。写真、飯田さんに流してもらわんと……』
 酷く焦った様子で、アリスは早口でそう言う。
「有栖川さん。どうするんですか? 警察には連絡されました?」
『心配やけどでも今の時点では、家出扱いやから。事件性があるというんでないと警察は動かないでしょうし。とりあえず、京都、行きます。飯田さんにも、こっちに出て来てもらった方がええかな』
「火村先生には?」
 何気なく尋ねた言葉に、アリスが息を呑む。
 『あいつは…』と、らしくなく、妙に硬い、声。
『火村は、忙しいから。電話も通じないし…どこにいるのか、ちょっと。連絡つきそうにないです』
 彼らの友情は、長い時間をかけて築かれた強固でそれでいて繊細な細工物のように思えた。多少の事に揺るがない、なのにどこか脆い印象の。
「そうですか」
 だから、片桐はそれ以上その件には触れない。
「この件が片づいたら、短編のネタに出来そうですか?」
 からかい口調に、彼も少し笑い声を上げる。
『どうかな。現実がどう転ぶか、まだ判らないし。…連絡は、携帯の方にもらえますか』
「了解しました。健闘を祈ります」
『………ありがとう、片桐さん』
 柔らかい声で、彼はそう言った。
 片桐も、事件解決の暁には、ぜひ解答編をとせがむことは忘れなかった。 

→つづきは本で♪

 

 

『アリス禁止令』より◆1998.08.23初版◆


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