今からもう少し 昔だったころ

 

 

 

 あえていうならスパイスのよう。単一では使いものにならない。けれど、あるとないとじゃ大違い。そういう人物だと思った。

 

 何かを探していた。誰かを探していた。見つける為に歩いてた。そんな季節だった。

 

 太陽がまぶしくて俯いた。視線の先にくつの先が現れてようやく顔が上げられた。斜光のなかに彼がいた。彼が、いた

 

 混じり気のなさにおどろいた。活きが良い新鮮なイメージ。彼こそが等身大のミステリー。

 

 

(そこには、初めから  があった)

 

 

「君、京都の人とちゃうんか?」
 英都大学、学生食堂の一角。横並びに席を陣取りきつねうどんを啜りながら、彼はそう切り出した。
 それが、あまりにも以外そうに牽制無く並べられた言葉なだけに、火村は肩から否応なく力が抜けて行ってしまう。
「何を今更…」
 彼と知り合ったのは、五月の初め。その後夏休みを越え、時、既に秋である。これを今更と言わずして、何を今更と言うのだろう?
 とはいえ、出会った傍から根堀り葉堀り尋ねられるのは気分のいいものじゃないと過去の経験から常々思ってもいたので、あまり他人の背景に頓着していない彼の、その対応は思いがけず居心地が良かった。
 それに甘えて、無意識の内に手を抜いてしまっていたのかもしれない。そうと悟らせずに、構えて人と付き合う、という事を。
 自分に対しての意味も含め、やれやれとこめかみを押さえる。
「そもそも、この言葉遣いのどこが京都だよ?」
「そりゃ、そうやろうけど……でも京都の人でも標準語の奴もおるし、出身なんて言葉だけじゃ判らんと思う」
 拗ねたようなその言葉は、不本意ながら一理ある。
「まぁ、その顔で真面目に『ほな、よろしゅう』とか『えろうすんまへん』とか『ようおこしやす』なんて言うたら、それこそギャグの世界やけど」
 笑って言いながら、ぷっと吹き出す。
「あ、なんかコレ想像するだけで、結構笑えるもんがある」
「……有栖川。今の京都弁とその京都の人間に対する認識は、ちょっと違うんじゃないか?」
「そうか? 君に対する認識は間違ってないと思うけど?」
「あのな…」
 まぁ、まぁと笑って流されてしまう。
 どうせ本気で論争を繰り広げるような内容でもないが、確かに。
「下宿や言うてたもんな、そういえば。何でか京都人だと思ってもうてたけど…あ、そうそう」
 独り言めいた呟きを洩らして、彼……有栖川有栖は一人で首をひねっている。と、唐突に彼は会話を再開した……この、独特の間の取り方にも、気がついたら馴染んでしまっていた。
 たった数ヶ月の付き合いの癖に、大した影響力だと言えよう。
「下宿、大学から?」
「ああ」
「じゃあ今年二年目か。住み心地の方はどうや?」
「一週間で逃げ出さない程度には快適、だな。家賃も高くはないし、通学圏内でもあるから」
「火村…あんまり君、素直な言い回しせぇへんよな。そんな気はしとったけど」
「勉強になるだろ?」
 推理作家になるのだと宣言している彼に、からかうようにそう言うと、まったくや、とやけくそ気味の返事が返った。
 が、別段気を悪くしたのでないのは、その表情が物語っている。
 顔を顰めていてさえ、むしろ、楽しそうに見える、表情。
「まぁええわ。話を戻そう。君の、その言葉遣いから察するに、関東地方の出身が考えられるよな?」
「ハズレ」
「あっさり言うたんはこの口かっ!」
「引っ張るんじゃねぇよっ」
 こうして学生食堂の一角で、まるで中学生だってここまで無邪気じゃないだろうというような言い合いと、互いのほっぺたの引っ張り合いが……別名・掛け合い漫才もどき、とも言う……繰り広げられた訳である。

 

 だが、敢えてそこに仲裁に入るような、奇特な人物は居合わせなかった。
 二人に、友人知人がいないというのではない。単に、既に珍しくもないような光景だからだ。…これを幸と呼ぶか不幸と呼ぶかは、人それぞれというものだろう。
 言い合いは大きくも小さくもならずにしばらく行われた。頃合いを見て、それに一通りの決着をつけて、火村は話を強引に引き戻す。
「まぁ、いいさ。まるっきりハズレでもないから」
「……何が?」
「関東出身って奴。東京にもいた覚えがある」
「覚えて、君な…」
 呆れ声のアリスに、火村は薄い笑いを向けた。食べ終わった、うどんの丼を置いたままに。
 別に、隠しておこうと真剣に考えた訳でもない。
「生まれは、北海道の札幌。六つまでだけどな。それから、広島、大阪、京都、金沢、東京と渡り歩いてるもので」
「そらすごいな。うちはずっと大阪やったから近畿圏を出たんなんて、修学旅行位や」
 一度、目を見開いて、慌てたように平静を装い頬杖をつき直す。そして、そんな感想を述べた。
「それにしても、それ、転勤やとしたらものすごい転勤もあったもんやなあ。君んところの親父さんはサーカスの団長さんか?」
「雇ってほしいなら…」
「アホ。別に希望してへん」
「以外と違和感なさそうだけどな、仕事忘れて子供と同レベルではしゃいでる、ピエロ。推理作家より早く達成出来るぜ、この夢なら」
「早い遅いより、根本で間違えてるやろ」
「ふむ。ピエロが不満なら、空中ブランコがお勧めだ」
「あんな高いトコでもアクロバットなんて、地球がひっくり返っても断る!」
「文句の多い奴だな。何なら出来るんだ?」
「判った、悪かった! サーカスからあ離れよう。じゃあ、長距離トラックの運ちゃん。……これはでも、家族まで一緒に動かんよな。転勤が多い言うたら、公務員とか……後、何やろ?」
 真面目にうんうんと頭をひねっていて、その様は妙におかしい。気がついたら、その言葉は口から吐き出された後だった。それも、至って真面目な声音で。
「有栖川って変だよな」
「………」
「睨むなよ。だって、そうやって次々に考える前に『親父さんの仕事は?』って、一言聞けば済む事だろ?」
 答えるかどうかは、別としても。
 ところが、その一言を使わずに、彼はああだこうだと想像を巡らせている。しかも、とても楽し気に。
 変、という言葉を咄嗟に使ってしまったが、それはどちらかというと、不思議とか、規格外とか、そういう言葉で現される筈の物なのだ。
 有栖川の好奇心の旺盛さは知っている、この短い付き合いなりに。
 なのに、その物差しを持ってしてもそれだけでは計れない言動が現れる……今みたいに。
「何言うてんねん」
 溜め息と共に、有栖川。顔の前で右手の人差し指を立てて、チッチッチッと左右に動かす。
「推理作家になろうという人間が、そんな簡単に答え聞いてどうする。まずは考えて見んと。ちなみにコレ正論」
 得意げな笑み。
 それは、とても似合っている。ガキ大将がそのまま大きくなったような……相応しい、笑顔。しかし、それを面と向かって言えるほど、火村は臆面のない性格でもなかった。
 そう言う代わりに、ワザとからかうような響きを込めて呟いて見た。
「やっぱり変な奴だよな………今更だけど」
「君も相当失礼な奴やぞ。………今更やけど」
 してやったり、という口調で速攻でそう返してくる。
 そう来たか、と思いつつも、次の返しを即座に考えてしまうのはどうにも止められない。
 止めよう、という気も無い程に、その攻防を楽しんでしまっている。
 浮き立つようなそんな気分は、春もとっくに過ぎた五月に始まった。
 そして、うだるような夏の日差しもものとせず、それは密かに息づいて、季節の変わった今も、そっと体の中の何処から働きかけて繰るのだ。
 他の誰でもなく、彼との会話で。
 一つ、一つ、布石を置いて。
 一つ、一つの謎を連ねる。
 毎日は、そうやって積み重ねていくものだと知った。
 一日、また一日と過ぎていく。その中で、有栖川、と呼ぶのに結局3回程舌を噛んで、その呼び名がアリスに変わっても。
 強情な友人は、簡単に種明かしなど望まない。望むところと、笑って見せるその強気さが気持ち良い位に。
 故に、その件は今も彼にとっては謎のままの筈である。それでも。
「まぁ、そのうちに、な」
 そんな風に、笑って。
 どちらが先に痺れを切らすか。
 自分が、解答を提供するか、彼が、謎を解くか。…二人の間に横たわる『勝負』の一つは、この秋から始まった。
 いつ幕が降りるのかは、知らない。

 

 

(なんかじゃ、なかった。そこには、初めからがあった)

 

 

『スパイスの王様』より◆1998.07.05初版◆


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