ポケットに宝物

 

 

 

 机の中の宝物。

 

 傷の入った緑のビー玉。
 好きだった女の子に貰った、バンソウコウ。
 その時好きだった、漫画のキャラクターの下敷き。
 外国の土産で貰った、どこの国のか判らない、銀色の小さいコイン。
 高校の入学祝祈願に貰った、交通安全のお守り。
 入社の際に作った、名刺。
 一番初めの自分の本。
 それから……。

 

**********

 

 『分厚過ぎて読書意欲を減退させる、理解不能な横文字本』……フランス語もドイツ語も全て横文字という一言に括ってくれる、有栖川有栖、言である……をめくっていた所に鳴りだした電話の呼び出し音に、火村英生は5コール目まできっぱりと無視を決め込んでいた。
 しかし、それでも鳴るつもりらしいコール音に、ようやく腕を伸ばしたのは、7コールの終わりかけのこと。
「もしもし」
 正月早々に誰だ!? という気持ちが、やや声音に現れてしまったかもしれない。が、相手方はそんな些細な事には反応してはくれなかった。あっけらかんとした、声。
『何や、やっぱりおったんか』
 火村は読書続行を諦めた。他の人物ならいざ知らず、彼を相手に片手間で本を読み続けようものなら、すぐさまバレて機嫌を損ねられてしまうのだ。
 返事が生返事だ、とか、間がいつもと違う、とか。何故そんな違いで判るのか不明だが、誤魔化しはきかないらしい。どうせ集中なんてできないのだから、と栞を挟んで、さっさと閉じてしまう。その間、7秒の沈黙。
「よう、アリス」
『よう、やなくて、おめでとうさん、やろ? 居ったんやったらさっさと出てほしいもんやで』
 拗ねたような声でぼやいている。
「悪かった、アリスだって判ってたら、さっさと出たんだけどな」
 沈黙が返って来た。
「判ったよ、悪かった。ちょっと手が離せなかったんだ」
『同じ言い訳するんなら、最初っからそう言うようにしておけ。お前のことよう知らん人やったら騙されてくれる』
「随分な言い草じゃねぇか」
 憮然と言うと、電話の向こうでアリスが笑う。
『どうせ本でも読んでて、電話に出るのが面倒になったんやろ。違うか?』
 今度はこちらが黙らざるおえない。
『図星か、センセ。ええけど、10コールも待たすのは反則やな』
「待てよ、アリス。7コールはセーフだろ?」
『10コールくらい、せんかったか』
「いや、間違いない、7コールだ」
 これには、数えてる位なら早く出ろ、と怒られた。
「それでどうした、何か用事でも?」
『年明けにおめでとうさん言うんは立派な用事や思うけど。まぁ、今はそれは置いとこう。それより、君アレは何や?』
「はぁ?」
『年賀状』
 即答。言われて、そういえばと出した事を思い出す。
『ちょっと酷いで、アレ。有栖川有栖様の様は取って付けたような空々しさを醸しだしてるし、裏もまた酷い。君のことやから、『明けましておめでとう』とか『謹賀新年』だのより文字数の少ないのを選んだだけやろうけど、賀正の二文字はあんまりにもそっけなさ過ぎと思わんかったんか?』
 思わず吹き出してしまうが、アリスは止まらない。矢継ぎ早に言葉が飛んで来る。
『それに、あの干支のハンコ、郵便局で見たで。大体、こうゆうモンには、昨年はお世話になりましたとか、今年もよろしくの社交辞令のひとつ位あるよなあ? 俺相手やと思ってちょっと手ェ抜き過ぎとちゃうか、君』
「いい読みだな、アリス。だけどちょっと被害妄想的だぜ」
『学生の頃から、年賀状なんてくれた事ない奴からいきなりそんなモノが舞い込んだら誰だって、どこかに不幸の手紙です、とか書いてあるんやないかって思うって。目を皿のようにしてもうたわ』
「お前、それこそ俺に失礼だろ」
 不意に、アリスの口調から笑いが消えて『そうやな』と呟く。
『なんかあったんかと思ったら、気になって…』
 心配させてしまったらしい。声だけでも、表情まで伝わるような、そんな錯覚。
 なるたけ軽い口調を、意識して出して見る。
「そんなんじゃねぇって。書いといただろ」
『…当たったら連絡寄越せ?』
 さも疑わしそうに、アリスがそう返す……年賀状片手に電話機の横でしゃがみ込んでいる彼の様子まで想像出来てしまって、何だかおかしい。
「そう。毎年誰かさんが切手シートしか当たらないって騒いでいるから、当選率上げてやろうと思ったんだよ。心優しき友人に、感謝の言葉はどうした、アリス?」
『恩着せがましい。毎年送ったってる心優しい友人に、感謝の言葉を述べてから請求するように、そういうもんは』
「だったら当ててくれ。お前の葉書、差出人の運の悪さそのまんまだぜ」
『そりゃどうも。俺もいたく楽しみにしてる。君のこの葉書が何を当ててくれるか』
 嫌味の応酬の果ての、迷うような空白。…言葉の終わりが、まだ何か言いたげで。
「……アリス?」
『君が』
 ぽつりとこぼれた言葉に勇気を得たかのように、アリスは言を継ぐ。
『黙秘権を行使するいうんやったら、その理由で納得しておく』
 言いたくないなら、聞かない…それは、彼なりに仮説はたっているという証明。
「別に、そんな大層なものじゃない。ただ二年続きで喪中だったからな…年賀状の有り難みをちょっとは感じたって話さ」
 彼が、知り合ってから数十年、毎年くれていた年賀状が来ないと、随分物足りないのだと気がついてしまった。そうしたら、今まで出さなかったことが気になって、アリスの言う所の『ヒドイ年賀状』を出す羽目になっていたのである。ただそれだけの思いつきが、こうもアリスを振り回す結果になってしまったのは、驚きであったが。
『そ…うか、うん。……なあ、火村、おせち喰うたか?』
 非常に判り易い、彼らしい話題転換。
 一昨年とその前年に相次いで二親を亡くした。その件に関して、アリスは話を回避する、という方法で触れないでいてくれている。ダメージを慮って、今でさえ。
「いや。でも、ばぁちゃんが鍋一杯に雑煮くれたから、三日は食いつなげるだろうな」
『ええ!? ばぁちゃんの雑煮って、もしかして純京都風やんなあ?』
「ずっと京都の人間が、関東風の雑煮作るかよ」
『じゃあ、白味噌?』
「そう、白味噌」
『お餅は丸餅で?』
「ああ、焼かない奴な」
『確か、他の具は大根、人参ええとそれから……』
「ばぁちゃんが年末に錦の市場で買って来た、プレミアもんのえびいも、だな」
『今からすぐ行く! ……あっ、あかん、今日は初詣行かんと』
「お前な…」
『どうせ君は今年も行かんのやろし…神さんにようお願いしといたるから、二人分。明日朝一で行くから一滴でも減らしたら怒るで、お雑煮!』
 勝手に話が纏められてしまった。もはや、呆れるしかない。
『ところで火村。君、明日暇やんな?』
「この期に及んでからその質問ってのは、会話の順序が違うんじゃないか?」
『は?』
 それでも、背後にわくわくと大きな文字を背負ってでもいそうな彼の上機嫌な問いに、肯定以外の答えを返せる筈もなく、なるべく意地の悪い言葉を選んで承知の旨を伝え、通話を終えたものである。

 

**********

 

「ふあっくしょん! えくしゅんっ!」
 一月二日。
 火村英生の部屋に現れた有栖川有栖の第一声は、盛大なくしゃみの連続技だった。
 雑煮の椀を両手に持っていた火村は、慌ててアリスから炬燵上でも一番離れた角っちょにそれを置く。
「何だよ、アリス。わざわざ正月早々、風邪菌ばらまきに来たのか?」
 そんなからかいにも乗って来ず、アリスはダウンの前をかき合わせたまま、そそくさと炬燵布団に両手両足を入れてしまった。こっぽりとしてようやく落ち着いたのか、やや目が細まっている……相当寒かったらしい。
 顔も赤い。多分熱も少しはあるのだろうと思うと、こんな状態で車の運転なんかしやがって、といらだちすら覚えてしまうが、顔は平静なままに。
「昨日は元気そうだったのにな。薬は飲んだか?」
「雑煮食べたら飲もう、思って持って来た」
 ほら、とポケットから総合風邪薬のカプセルを取り出す。
「だったら、さっさと食ってそれ飲んで、寝ちまえ、馬鹿」
「いただきます」
 素直に箸を取るアリスの横で、お茶を煎れながら火村は溜め息を落とす。
「調子崩してまで来ることねぇだろ。雑煮くらい、言えば置いておいてやったのに」
「そうやねんけど…雑煮、楽しみやったし」
 お汁を啜りながら、アリスが呟く。
「君にも、謝らなあかんことあって」
「これ食べて、薬飲んで、寝つくまでに時間があったら、聞いてやる。いいな?」
 うまく笑えた自信はなかったが、顔を合わせてアリスはふわりと笑って頷いた。
 しっかりおかわりまで平らげて、ようやく得心がいったか、ご馳走様をいって箸を置く。食欲があるなら心配する事もない、それは子供の話だっただろうか………?
 薬を飲ませてからざぶとんの二つ折りで即席の枕を作って、アリスを炬燵に首まで押し込める。といっても、炬燵自体はそう高性能な物でもないし、この部屋には彼のマンション程暖房器具に恵まれている訳ではない。
 前髪を払って額に手をやりながら「寒くないか」と尋ねると、微苦笑の「先刻よりは、ずっとあったかい」との返事が返った。
「ないよりゃいいよな」
 自分の言葉に自分で頷いて、部屋の端から引っ張りだした上着を掛けてやると、アリスは一瞬きょとんとしている。
 枕元に座って両足を投げ出し、壁に凭れて煙草を引き寄せながら『何だよ?』と促すと口元辺りまで炬燵布団と上着に埋もれたアリスが笑っていた。
「これ、君のにおいがする」
「……煙草臭いか」
「んー…キャメル含んで、火村って感じ」
「お前、それ二十年位まえの少女漫画のノリじゃないか?」
「俺もそう思って、そしたらおかしくて」
 顔の向きをこちらに向けて、アリスは笑いを引っ込めた。唐突に。
「ごめん、君にもろた年賀状、落としてもうた」
 あんまり深刻な表情でいうものだから、一体何を言い出すのかと思えば、彼の口からこぼれた言葉はそれだった。がはごほと、火村は煙草にむせ返る。
「…そんな事で落ち込んでたのかよ、馬鹿アリス」
「だけど、探してんけど見つからへんし、もう出て来んやろし…交番にも届いてなかったからもう無理やろなぁ」
「交番…!? 年賀状届いてませんかって?」
 それはあまりにも恥ずかしすぎる。
「まさか、ついでに聞いただけや」
 アリスは不貞腐れているが、今一つ話はよく判らない。
「もうちょっと順序よく話してみろよ、まず落としたのはいつだ?」
「昨日。電話の後で四天王寺さんに初詣に行って…おみくじ引くときに持ってようかと思って。そしたらもう落とした後やった。それから境内までを探してみたんやけど、肝心のは出て来んかってん」
「何か他のもの見つけたのか?」
 アリスはそう、と頷く。
「携帯電話がみっつ。男物の財布。なんと六万三千円とキャッシュカードが二枚、クレジットカード一枚、名刺入りや。MDウオークマンがひとつ、それからテレフォンカードが一枚…30〜50度数の間にパンチがひとつやな。真珠の指輪が一つと、子供のちっこい靴の片方だけ、買ったばかりと思われる袋に入ったままのお守り。こんなに拾ったのに、年賀状は出て来ないなんてあんまりやろ?」
「それ…全部交番に届けたら、変な顔されそうだよな」
「された。だから、全部事情話して、ついでに年賀状届いてないか聞いたんやけど。きっともうどっかで、もみくちゃにされてもうたんやろなぁ」
「だからって、風邪引いてりゃ世話ねぇよ。年賀状くらいまた書いてやるから」
「本当に!?」と起き上がろうとするアリスをもう一度上着に埋めて、一睨み。
「おとなしく寝てる奴に限る」
「判った、寝てる。なぁ火村」
 煙草を置いて顔を寄せると、アリスはまるで内緒話でもするかのように顔を更に寄せ、火村の耳元で囁く。
「半年後、持ち主現れへんかったら、君にもおすそ分けしたるな、テレカの一枚位」
「……馬鹿、そんなあたりまえのこと」
 二人して、少しだけ笑った。それから程なく、アリスは眠りに落ちていった。
 翌日。
 アリスのポケットには、火村からの年賀状。当たったら連絡寄越せ、の代わりに、再発行は二通目まで、と小さく書かれた、彼らしい、年賀状。
 今度は火村の運転で、ブルーバードは一路大阪へと向かった。
「別に運転くらいできたのに…」
 一度もハンドルに触れさせてもくれなかった助教授に、助手席から下りながらアリスはぼやく。風邪はどうやら落ち着いたらしく、そうなればなったで途端に負けん気が起こってくるようだ。高速ではラジオのCMにまでケチをつけていた。
「お前の運転で、隣に乗りたくなかったんだ、俺が。それくらいなら自分で運転するほうがどれだけいいか」
「他人をスピード狂かなんかみたいに、言わんとってくれ。新大阪まですっ飛ばした時でさえ、安全運転やった俺を捕まえて」
「同じ例題を出すなら、見てた時の事にしてほしかったな、残念ながらそれは見逃したから」
 エレベーターに乗り込んでさえ、他に誰もいないのをいい事にこのふざけた会話は続行されている。
「それより、もうすっかり治ったようなつもりになって、ふらふら出歩いたりすんじゃねぇぞ! ブルース・ウィルスだって時と場合を選んでる…筈だ」
「おとなしくしときますって。コーヒーでええか?」
 部屋に入りながら、ドアポケットから朝刊を引き抜き、下で回収して来た年賀状の束…元旦に届く分の半分もないといいながら、アリスの顔は緩んでいる…と一緒にダイニングのテーブルに委ねる。
「茶菓子もでないのかよ、ここじゃ」
「あー…胡麻煎餅やったら、そこにあるけど」
「まぁ、組み合わせの珍妙さにケチつけるのも、今更だよな」
 そんな事を言いながらアリスの指の示した先に鼻先を突っ込むと、そこには袋入りの胡麻煎餅が七つも転がっていた。それも、全てメーカーが異なっている。
「なんだこりゃ」
 コーヒーを手に戻って来たアリスが、誤魔化し笑いをしながら、自らのコーヒーにミルクを入れる。
「ああ、それ。前に君んとこでよばれた胡麻煎餅がめっちゃ美味しかったから、同じの探してるねんけど。同じ味ってないもんやなぁ……あ」
 年賀状を繰っていたアリスの動きが止まる。どうした、と覗き込むとそこには見覚えのある葉書が、一枚。
「これ……」
「……だな」
 二人して顔を見合わせて、頷き合う。行方不明になった筈の火村の年賀状…間違いようもなく一通目の、である。
「誰かが拾って、ここまで届けてくれたんかな」
「いや。輪ゴムでまとめてあったぜ。多分拾った誰かが、郵便ポストに入れてくれたんだろう。だから、他の郵便物と一緒に届いたんじゃないか?」
「ああ、そうか。元旦に来た奴やったから、消印もついてないし。…もう見つからへんと思ってた。すごいなぁ…誰か知らんけど、ええ人やなぁ」
「そうだな。ところでどうする?」
「なにが?」
 きょとんとするアリスに、にやりと笑ってみせる。
「一枚目が返ってきたなら、二枚目はいらねぇだろ?」
 ほら、返せ、と手を出すと、慌ててポケットを押さえて、アリスはむきになって叫ぶ。
「あかんあかんあかん、絶対駄目! 一枚目も二枚目も、もらったもんは俺のもんや、返却不可!」
 何を大騒ぎする必要があるのか、散々騒いだ揚げ句、二枚は結局戻らなかった。
 それから、毎年ねだられて年賀状を出す習慣がついた…ただし、限定一名であることはいうまでもない。

 

**********

 

 机の中の宝物。
 それから……彼からの、二枚の年賀状。

 

 

『ポケットに好奇心』より◆1998.02.22初版◆


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