斎藤茂吉


上山時代
(明治15年〜明治29年)


郷里金瓶生活


みちのくの山形あがたの金瓶は山鳩ちかく臥處にきこゆ


ふるさとの蔵の白かべに鳴きそめし蝉も身に沁む晩夏のひかり



開成中・一高時代
(明治29年〜明治38年)

兄上は雲か霞かはてしなき異域の野べになにをしつらん


鳥だにも新に年をとりぬらん凌雲閣上とんびなくなり


故郷の地図をば眺めつくづくと燈の下に泣く夜もありけり


いで吾も朝日をあびて新なる廿世紀の空気吸はばや


母上はいかにましまさん我を生みてはや二十年となりにけるかも


亡き祖父の御墓の苔も払はずて故郷を百里の空に泣く茂吉



「赤光」時代
(明治38年〜大正2年)


東大・青山脳病院生活



はや死にて汝はゆきしかいとほしと命のうちにいひにけむもの


この心葬(はふ)り果てんと秀(ほ)の光る錐(きり)を畳に刺しにけるかも


ほのぼのと目を細くして抱かれし子は去りしより幾夜か経たる


しんしんと雪ふりし夜に汝が指のあな冷たよと言ひて寄りしか


死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる


のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり


灰のなかに母をひろへり朝日子ののぼるがなかに母をひろへり




「あらたま」時代
(大正2年〜大正6年)


巣鴨病院時代


あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり


草づたふ朝の蛍よみじかかるわれのいのちを死なしむなゆめ


ゆふされば大根の葉にふる時雨いたく寂しく降りにけるかも


さむざむと秩父の山に入りにけり馬は恐るる山ふかみかも


山峡(やまかひ)に朝なゆふなに人居りてものを言ふこそあはれなりけれ


ふり灑(そそ)ぐあまつひかりに目の見えぬ黒きいとどを追いつめにけり


こらへゐし我のまなこに涙たまる一つの息の朝雉のこゑ


おのづから遶(めぐ)りあふ山のながれみづいよいよ細し山ふかみつつ



「つゆじも」時代
(大正7年〜大正10年)

長崎生活


あはれあはれここは肥前の長崎か唐寺の甍にふる寒き雨


ゆふぐれの泰山木の白花はわれのなげきをおほふがごとし


長崎をわれ去りゆきて船笛の長きこだまを人聞くらむか


(山水人間虫魚   富士見高原に取材)

山ふかき林のなかのしづけさに鳥に追はれて落つる蝉あり



「遠遊」 「遍歴」時代
(大正11年〜大正13年)


ヨーロッパ生活


ウナウの流れの寒さ一めんに雪を浮べて流るるそのおと


大きな河ドナウの遠きみなもとを尋(と)めつつぞ来て谷のゆふぐれ


けふよりは吾を導きたまはむとする碩学の髯見つつ居り


大きなる都会のどよみゆふぐれし支那飯店に妻をいたはる


言ひなくてひれふさむとするあめつちにわが悲しみはとほりてゆかむ




「ともしび」時代
(大正14年〜昭和3年)


火難・再建の生活


焼けあとにわれは立ちたり日は暮れていのりも絶えしむなしさのはて


やけあとのまづしきいへに朝々に生きのこり啼くにはとりのこゑ


かへりこし家にあかつきのちゃぶ臺にほのほの香する澤庵を食む


金円のことはやすきことならずしをしをとして帰り来れり


おのづから寂しくもあるかゆふぐれて雲は大きく谿にしづみぬ


わが受けし火難ののちの悲しみをこの夏山にやらはむとする


しづかなる峠をのぼり来しときに月のひかりは八谷をてらす


雨かぜのはげしき夜にめざめつつ病院のこと気にかかり居り


わが父を永久におくりてみだれたる心しづめむ宵のひととき


おもひ出づる三十年の建設が一夜に燃えてただ虚しかり


むなしき空にくれなゐに立ちのぼる火炎のごとくわれ生きむとす


宵やみよりくさかげろふの飛ぶみればすでにひそけき君ししぬばゆ
   (昭和8年芥川7回忌によんだ茂吉の歌)




「たかはら」「連山」「石泉」時代
(昭和4年〜昭和7年)


青山時代


石亀の生める卵をくちなはが待ちわびながら呑むとこそ聞け


ものの音ははやも絶えたる国境の町の一夜を心しづめむ


太々としたる昆布を干す浜にこころ虚しく足を延ばしぬ


よろこびて我をむかふる兄みつつ涙いでむとすはらから我は


衰ふる兄にむかひて亡きのちの寂しきこともつひに言はむか


うつせみのはらから三人ここに会ひて涙のいづるごとき話す


過去帳を操るがごとくにつぎつぎに血すぢを語りあふぞさびしき


かすかなるもののごとくにわが兄は北ぐにに老いぬ尊かりけり




白桃」「暁紅」「寒雲」時代
(昭和8年〜昭和14年)


悲傷・恋愛生活


山の上の氷のごとく寂しめばこの世過ぎなむわがゆくへ見ず


二十年つれそひたりしわが妻を忘れむとして衢(ちまた)を行くも


たらちねの母のゆくへを言問ふはをさなき児等の常と誰かいふ


わが帰りをかくも喜ぶわが子等にいのちかたぶけこよひ寝むとす


やまかひの泉に雪の降りみだるを吾は見にけり幾年ぶりか


この雪の消ゆかむがごと現身(うつそみ)のわれのくやしき命か果てむ


清らなるをとめと居れば悲しかりけり青年のごとくわれは息づく


秋みづの清きおもひをはぐくみてひむがしの野を二人し行かな


くれなゐに染めたる梅をうつせみの我が顔ちかく近づけ見たり


まをとめにちかづくごとくくれなゐの梅におも寄せ見らくしよしも


陸奥をふたわけざまに聳えたまふ蔵王の山の雲の中に立つ



「のぼり路」「霜」時代
(昭和14年10月〜昭和17年)


青山生活


みささぎゆ出でてながるる清川や白き鳥ゐていさごを歩む


高千穂の山のいただきに息づくや大きかも寒きかも天の高山


高山の峰に立てれば天のぼる狭霧の渦を直にし見たり


雪ふりし山のはだへはゆふぐれの光となりてむらさきに見ゆ


据ゑおけるわがさ庭べ甕のみづ朝に澄みて霜ちかからむ






「小園」「白き山」時代
(昭和18年〜昭和22年)


金瓶疎開・大石田生活


のがれ来し吾を思へばうしろぐらし心は痛し子等しおもほゆ


きぞの夜も猛火あがりぬといふなべに止みがたくして都し思ほゆ


くれなゐの血潮の涙はふるともこの悲しみを遺らふ術なし


沈黙のわれに見よとぞ百房の黒き葡萄に雨ふりそそぐ


秋晴れのひかりとなりて楽しくも実りに入らむ栗も胡桃も


蔵王より離りてくれば平らけき国の真中に雪の降る見ゆ


最上川の支流の音はひびきつつ心は寒し冬のゆふぐれ


夜半のして涙ながるることあれど受難の涙といふにはあらず


幻のごとくに病みてありふればここの夜空を雁がかへりゆく


東京を離れて居れど夜な夜なに東京を見る夢路かなしも


最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも


おしなべて人は知らじな衰ふるわれにせまりて啼くほとどぎす



「つきかげ」終焉時代
(昭和23年〜昭和28年2月)


代田・大京町生活


暁の薄明に死をおもふことあり除外例なき死といへるもの


東京のまだうらわかき母のべに楽しかりにき朝な夕なに


東京にのぼり来りしほがらかさ十五才なるわれは仕へき


冬粥を煮てゐたりけりくれなゐの鮭のはららごに添へて食はむと