Sadieさんと行ってきました、レオン・ラッセル。

チケットの売れ行きを心配してましたがやはり数はそんなに出てないようで、 椅子やテーブルが並んでるのを久しぶりに見ました。(注)

レオン・ラッセルを見るのは今回で3度目になります。 1回目はソロでライブハウス。 2回目はギター(ベースだっけ?)とパーカッションが付いてて小さめのホール。 3回目にしてやっとバンドで聞けました。

ドラム、ベース、ギターにパーカッションの黒人女性でドラム以外は全員ハモりも担当。 ギターの兄ちゃんはけっこうやり手でオールマンっぽいスライドもこなすし 若干場違いとも思われるテクニカルフレーズを連発してました。

客の年齢層はかなり高かった。 前回、前々回はそんな風に思わなかったけどなぁ。 年齢層が高いわりにスーツの割合は低かったのは意外。 明らかに仕事に行く格好じゃないおっさんは休暇取ったか?

デルタ・レディで幕を開けて、2曲目は途中までわかんなかったけど速いテンポでアレンジされた ストレンジャー・イン・ア・ストレンジ・ランドでした。 その後はレオン風スワンプサウンドのオールディーズ、R&R、R&B、ブルースの連発で、 私はちょっとダレてました。 中には有名な曲もあったかもしれませんが、まったく気づかず。 もっと自分の曲やればいいのに。(やってたかもしれんが)

中盤、バック・トゥ・ジ・アイランド以降は知ってる曲が多くて楽しめました。 ボブ・ディランの激しい雨が降るとかストーンズのジャンピング・ジャック・フラッシュとか。 ストーンズのワイルド・ホーシズはまったく違うアレンジで途中までわかんなかった。 ビートルズでおなじみのカンサス・シティやロール・オーヴァー・ベートーベンもやってました。 やっぱりノリのいい曲はバンドじゃないとね。 客席のノリはそれはそれは大人しいものでしたが。

終盤にはやっぱりソロコーナーがあってお約束のソング・フォー・ユー。 やっぱり過去2回と比べると歌唱力は辛いものがあったかなぁ。 存在感や味わいという面ではまだまだ健在と感じましたが。

最後にはグラサン取って、たぶん、歳で歩くのが難儀なんでアンコールのために 一旦引っ込むのは勘弁してもらってもう一曲やります、のようなこと言ってたみたいで 終わると当然客電が点いたんですが、拍手は鳴り止みませんでした。 我々はそこで退場したんですが、もしかしたらその後、再アンコールがあったかもしれません。

バンド・サウンドともなればラッセル氏の比重が少々軽くなってしまうことも確かで、 ビッグ・ネームなプレイヤー(だけれども今は暇しててギャラが安い人)を入れたり してもよかったんじゃないでしょうか。 んでもって、もっとベスト的な選曲にしてほしいと思いました。 なんか、こう、もっとレオン・ラッセルをお腹いっぱい楽しみたかったなぁ。

それにしても、ライブ後、一軒目に行った居酒屋「食楽しこーや」はまったくもってサイテーでした。

(注)
昔、中西圭三バンドでキーボードをやってた同窓生の西村直人が 「真夏の出来事」の平山みきのバックで出るというので応援しに行ったときは もっとテーブルが出てました。

話のついでに自慢しとこ。
その西村直人と、昔、EZEE BAND やってて、今は沖縄で若手をプロデュースしてて、 D-51が唄う「ごくせん」主題歌の NO MORE CRY を作曲した生熊朗と、 私の3人は一緒にバンドしてたことがあります。 85年頃かな。 当時としては斬新なドラム・ベース打ち込みでブラコン志向の踊れるオリジナルをやってたユニットでした。

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