今回は、おいらのロック遍歴を書いてみよう。

おいらが洋楽を聞き出したのは小学校5年生の頃で、家にあったラジオで深夜放送を聞き出し、その頃はやって たミッシエル・ポルナレフか、カーペンターズあたりがおいらの洋楽の入り口だ。初めて小遣いで買ったLPがミッ シエル・ポルナレフの「ゴールデンベスト」、その後買ったのがカーペンターズの「Now And Then」だった。
おいらが小6の頃ちまたでヒットしてたアルバート・ハモンドの「落ち葉のコンチェルト」という曲があるがその曲に なんか痛く感動した記憶がある。あの当時秋になると必ずラジオでかかってた。

おいらが一番影響を受け、今でも愛し尊敬しているバンドはやっぱり、ビートルズである。
ビートルズは、その当時既に解散していて、それぞれのメンバーがソロで活躍していてヒットチャートを賑わして いた。友達からLPを借りてそれをダビングしたり、FMのエアチェックで録ったテープを飽きること無く繰り返し聞 いた。
それからビートルズに関して言うと特に中高生の頃、おいらはビートルズに関する本は結構読み漁ったのでそれ なりなビートルズオタクといってもいいと思ってる。
今では、ジョン・レノンの方が好きであるが、その当時は、キャッチーな曲を作るポールの方が好きだった。

ギターに興味を持ち出したのも中学の頃であるが、その頃国内はフォークブームで、陽水、拓郎、かぐや姫が大 ヒットして、友達の多くもそのコピーをしていた。おいらの仲の良かった友達は、ビートルズをコピーしていたがデ ィープ・パープルなどのハードロックのコピーをするものは片田舎の中学にはまだいなかった。
おいらが中学から高校に入る70年中盤にビートルズ以外においらが聞き出したのはディープ・パープル、レッド・ ツェッペリン、クイーン、KISS、エアロ・スミスなどの欧米のハードロックである。
さらにその頃欧米で流行り出したパンクムーブメントに興味を持った。セックス・ピストルズである。UKパンクの 影響が日本でも広がっていき日本のアンダーグラウンドロック界でもニューウェイヴなる動きが起こりはじめたが、 田舎の中学ではあまり知るものはいなかった。クラスメートの中で人気のあったのはベイシティーローラーズや、 KISSといったバンドだった。

高1の時、他のクラスにすげーギターのうまい奴がいるってんで、見にいったら、その頃デビューしたばかりのヴ ァン・ヘイレンの「You Really Got Me」をすでに弾きこなす奴がいてびっくりした。おまけに奴は、ドラムも叩けるし、 トランペットも吹け、おまけにハンサムと来ていたので、女の子の人気者で随分と嫉妬した。
高校に入ってもビートルズは聞いていたが、Zepやエリック・クラプトンをこれまた繰り返し聞いていた。この頃、 ハードロックはブルースをベースにしてなきゃだめだという持論があったため、リッチー・ブラックモア率いるディ ープパープルまたはレインボウにはそれほど惹かれるものはなかった。ただギターを速く弾いてるだけで、深み が無い的な感じで、今もそういった思いはある。(その当時、Zepのジミー・ペイジはギターが下手だとかリッチー 派からいわれたが、逆にリッチーはジミーみたいにストラップを伸ばしきってギターは弾けないだろとかいうどうで もいい論争があった)
こういう裏には、当時エレキギターを弾き始めバンドもどきを始めたが、何にでも基礎からこつこつ学ぶことが嫌 いなおいらは中々上達せず、ペンタトニックさえ弾いてりゃなんとか様になることをブルースに発見し、そこに逃 げ込んだというのもあると思う。(とは言ってもそれだけじゃあ、ブルースは弾けないんだけど、当時はそう思って いた)
オリジナルもその頃から作り始めた。これもちゃんとコピーできないというかしなかったからだと思う。
さらに、パンクムーブメントが現われ、おいらのような楽器が満足に出来ない連中でも音楽がやれるという勇気を 与えてくれた。反社会的な歌詞や行動、雰囲気もカッコ良かったし、60年代後半から70年代前半のヒッピーム ーブメントのような楽器を弾くだけじゃなく生活すべてがロックだっぜって感じを受けた。
ポリスもパンクバンドという枠に括られて粗削りな演奏でデビューして(ほんとは、高度な演奏技術を持っていた のだが)、パンクムーブメントは日本でも東京を中心に浸透していった。

おいらが浪人生の秋Zepの太鼓のジョン・ボーナムが泥酔して自分のゲロで窒息死した。
同じくその年の冬、ジョン・レノンがファンの凶弾で死んだ。

チューリップや陽水などのフォーク系のミュージシャンを出してきた福岡が、その頃ロックバンドで注目され出し、 70年代後半から80年代初期にロッカーズ(今は役者として大活躍している陣内が在籍していた)とかモッズ、ル ースターズといったバンドが相次いでデビューし、めんたいロックがブームになっていた。そういった事もあり、博 多という街にあこがれていた部分もあり大学は、博多にあるとある国立大学に1浪して入った。
おいらは、大学に入るとすぐパンク系のバンドを結成した。
しかし、おいらは、その当時、そのめんたいロックのシンプルなロックンロール(今思うとあれが博多サウンド、で も今はそれが大好きになったが)にはまだ少し抵抗があるのと、博多中のアマチュアバンドはその系統の音楽を やってるし、それじゃあ目立たんということでちょっと斜に構えた東京のアンダーグランド・ニューウエーヴ系バン ド(その当時は東京ロッカーズと総称されていた)みたいな感じのバンドを結成した。それがおいらが本格的にア マチュアバンド活動を始めたARMYというバンドである。


前回より長文になっちゃった。
次回は、おいらのバンドのARMY、飲酒兄弟について書きたいと思う。

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