今回は、死についてもう一回まとめてみよう。 これは、ROインデックスの昌史さんの書きこみと、飲酒兄弟の相棒のたっちゃんに言われた事、 自分自身で、整理するために書く。

「30になるまでに死ぬ」ということについて。
おいらが子供の頃の70年代ロックスターの何人かは、ドラッグなどで、 その最盛期に死を迎えた。
それが、非常にカッコ良く思えたおいらは、ロックな生き方とは30までに死ぬ事だと信じるようになった。
これは後から思うと、30までに死ぬんだから、平凡な人生は送りたく無いという 気持ちを持たせることにもなった。
親からもらったこの命、そんなに粗末にしてはいけないという意見もあるだろう。
ただ、生きるということ、人生ということについて、それをどう生きるか、 どんな人生を歩むかということが大切なのではなかろうか。
ガキの頃には30までに死ぬというロックスターの様な生き方に憧れたのだが、 今思うと締め切りを決め密度の濃い生き方をしたいという設定を直感的にしたのではなかろうか。
なんかの本で読んだけど、もてない男は早死願望があるらしい。 それは、人間のみならず大半の動物で自然の不思議なルールの中で、 子孫繁栄の能力のないオスは滅びるような事例があるらしい。
ロックスターの場合は、もてるだろうから、この説には反してるけど、 大体死んだ連中は死亡願望なんか持ってなかったと思うし、大体が事故死だよな。 問題はおいらのようにそういったロックスターの死を見て死亡願望を持ってしまった連中だな。
なんで死にたいと思ったのかは、今の自分のやってることがつまらない、 退屈だ、という事、それは仕事、恋愛など諸々なんだろうな。ちう言うことは、 おいらはスゲーつまらない毎日を送ってんじゃん。
確かにバンドとか仕事や好きになったおねーちゃんで忙しくて仕方ないって時には 死のうなんてことは思わなかったけどさ。
つまりは、死のうなんて忘れさす、なんか生きていくための目的がなけりゃあダメなんだろうな。
変に、ロックとかで触発されて人生とはなんだぁあ、とか思うようになって、 一般の平凡な生活をしてる奴らが心配しないようなことも心配したりする自分は 馬鹿じゃなかろうかと思うこともある。
なぜならロックなんかに出会わず、歌謡曲でも聞いて平凡にすごしていたほうが ちょっとした事に悩まず自分にとって幸せだったかもしれないとかも思う。 極端な例、オウムに出会って社会復帰できない奴みたいなもんだ。
とはいっても30過ぎても死ぬことは出来ず、それは思い切ってやりたいことが出来ず、 逆に平凡な人生を送ろうかとも思ってるおいらが今いるのは確かだ。 多分退屈なことをやってるうちには死ねないのかと思う。
取りあえず、今のおいらの毎日を充実させるためにも、ジョンレノンの死んだ40歳を 今度のおいらの死ぬターゲットとして毎日を頑張ってみるか。
大体、今のロックスターのメジャーどころはおいらより年下だし、 大御所の皆さんは健全な体になってがんばっていらっしゃるし。 そして、その死のターゲットも歳年変わっていくとは思うが死ぬ気でがんばるって言葉もあるしね。
ま、がんばろうっと。

(5・23・99)

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