前回は、ただ、仕事の愚痴をロック論にのせて言ってしまってすまんかったな。
最近、元X−JAPANのHIDEにちょっとこってる。
奴は去年の5月(?)に自殺したけど、それまでそんなに興味はなかった。X−JAPANのアルバムを1枚持ってるけ
どその時はそんなにすげえとはあまり思わなかった。
数ヶ月前になんとなくHIDEの追悼アルバムのようなのを買った。それを聞いて驚いた。
こいつ結構やるじゃん。X-JAPANのようなただのビジュアルヘビメタではなかった。
オルタナかと思えば、ポップもあり、ハードもありで、こいつ何者って思った。しかもボーカリストとしても非常に良い。
曲調に合わせて歌い分けをしていて、非常に幅の広さを感じさせる。X-JAPANのボーカルで洗脳されてしまった
TOSHIよりもずっといいじゃん。生前は、ずいぶんな大酒飲みだったって事をRO・JAPANを読んで知ってたけど、
それも合わせてすっかりファンになってしまった。
しかし、奴はもうこの世にいない。
才能あるロッカーは早死にをする、おいらのロッカー人生論にぴったりあってるじゃないか。
ロッカーは老いて醜態をさらし出したらおしまいだ。老いる前から醜態をさらすのは論外だ。
醜態をさらす前に死んでしまおう、と言っているのではない。
一番華やかな時に、自然に死ぬのだ。その自然というのは、事故でも、自殺でもなんでもいい。とにかくそれが運命
だといえるような突発的な出来事で死ぬのだ。
思うこと、感じることを周囲の目を気にすること無く表現して、時には嫌悪感をももたれながらも、それでも人に注目さ
れてる時に、人生の中でピークだと思えるような時に死ぬ。
ある意味年齢というのは関係ないかもしれない。人生の一番華やかで、活動的な時に死ぬ。
残された人たちには一番残念な時かもしれない。
しかし、そんな時に死ぬからこそ、残された人たちの心の中でその一番華やかな記憶が残りいつまでも新鮮に生き
続けるのではないだろうか?
ロック自体そんな物じゃないかと思う。
ピークを目指して走り続けて、勢いのあるうちはどんどん走る。しかし、一旦かげりが見え出した、もしくはピークに達
したと感じて自ら死をえらんでも現世に未練がある場合それは、成仏できず、やがて、ゾンビとして蘇るだけである。
それが今のリユニオン・ブームだ。
「ROCKは死んだ」と宣言したジョニー・ロットン率いるセックス・ピストルズも一時的だが、ぶよぶよのおやじバンドと
して再結成した。その時、ピストルズのパンクもただの腐ったナツメロに成り下がった。何のインパクトも新鮮さも既に
もう無かった。
ただの懐かしのエンターテイメント・ショーに過ぎない。
ところで、今のおいらはどうだ、すっかり醜態をさらしてはいないか?
(続く) 2・18・99
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