今回は第1回目と言うことでおいら多霧山がどのようにロックというものを捉えているかということを簡単にいって
おこう。
おいらのライフスタイルそのものがロック、ロック・イコールおいらのライフスタイル(であるべき)だと思っている。
(ある意味宗教がかって聞こえるかもしれないが、それは、なんにでも惚れ込んだものに対して、人はみな多か
れ少なかれそんな感情を持つのではないか?)
そのロック教の教えとは、ロッカーは、若いうちに派茶目茶で波瀾万丈な生活をし、ハチャメチャ度がピークを迎
えた30前にして突発的な事故なんかで死を迎える、というのが理想であり、それがクールな生き方だと信じてい
た。よぼよぼなジジイになって周りに面倒かけながら、しかも退屈な変わらない毎日を過ごしながら死にたくない
と思っていた。
しかし、既に30を超えてしまった今としては、それを達成できず、これからどうしていけばいいんだと途方に暮れ
ている。まあ、今は、死んだも同然の生活をしているわけだ。
ジョン・レノンは40歳になったばっかりのときに凶弾に倒れた事例があるから40までに何らかの事故で死ぬって
のもありかってのが今の心情か?
いずれにしても、歳を取るにつれ、若いときにあった夢なんかが段々ぼやけてきて、ただ単に毎日を過ごしてい
るというのが現実だ。たとえなにかやりたいことがあっても、社会とのしがらみが強くて、思いきったことが出来ず
に終わってしまう。
たかがロックで、そんな事言うおまえはアホじゃと言われそうだが、確かに今のロックというジャンルに括られて
いるものにはそういいった影響を与えるものが少なくなってきているような感じを受ける。
所詮ロックはエンターテイメントの一つに過ぎない。
だがその発祥の歴史を見てみると、社会的に文化的に大きな影響を与えてきている。
ロックは音楽の中の一つのジャンルでありながら若者のファッション面の影響力は多大である。ロックが文化の
一面をを築き、それに市民権を与えた事例は余りにも多い。
ロックンロールが生まれた50年代、エルビスプレスリーは、全世界の子供、若者の心の中に潜んでいた何かに
共鳴しにし、大流行したが、その当時の大人は自分達の理解できないそれを有害なものとして子供から遠ざけ
ようとしたが無駄に終わった。
60年代にビートルズが出てきて長髪は当たり前にしたし、さらに彼らは実験的なアルバムを出すことにより今で
は、当り前となったロックの音楽的な新しい方向性を示し、ハードロック、プログレッシブロックなどの新しいロック
スタイルが確立されてきた。それらはさらに若者の文化、ライフスタイルを変えていき、70年代前半には、アメリ
カを中心にヒッピームーブメントとなった。
70年代後半、勢いを持ったロックムーブメントも商業ベースに乗せられるようになり、社会的な影響力も失ってき
た頃、そういった状況をすべて拒絶したパンクムーブメントが生まれ、またロックンロールが生まれた時のように
世の中の若者を動かし出し新しい文化を生み出した。パンクスの象徴であった髪の毛を立てると言うのは今とな
っては普通である。(以上はすべて個人的な見解)
これは、極一部の例に過ぎないが、とにかくロックと言うのは社会に、若者文化に影響力を持つものだと思って
いる。だから、それは音楽に関わらず、文学、美術、映画などでも社会、文化に影響を与えるものを持ってるもの
はすべてロックだと思うし、そういった物は音楽としてのロックと非常に深い結びつきがあるように感じる。逆にロ
ックと括られている音楽でもそういった影響力を持ってないものはロックとは感じず、ただのエンターテイメントだ
と思う。
まあ、今回は第1回って事でちょっと多めに書いたけど次回からはもう少し短めに書きます。
(筆が乗ったら多めに書くかも知れんけど)
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