海青喫茶

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monochrome

その感情をテーマにした歌なら、いつでもラジオから流れてくるのに、それがどんな感覚なのか、私にはまだ良く分からない。
だって、考えていられるほど、今の私は暇じゃない。
だって、考えたくても、そんな相手もいないし。
だって、考えてみても、結局はただの憧れで終わってしまうから。

今の私には、負担だと考えてしまう、そんな感情。
 
 
 
 
 
【monochrome】
 
 
 
 
 
 一月の中ごろから、デパートのショーウインドウは赤いハートだらけのディスプレイになってしまっていた。
 キラキラ光るリボンやふわふわのモールに飾り立てられ、その中にでんっと居座る大きなプレゼントボックス。
 そこから、びっくり箱から飛び出したみたいに、おしりにストリングをつけた薄いピンク色のハートのビニール風船がほわんほわんっと揺れている。
 真ん中にはでかでかと、「2.14 St.valentine day」のコミカルな文字。
 ………まだバレンタインまで2週間近くあるんだけどなぁ。
 入り口から入ったら入ったで、天井付近にエアコンの風でゆらゆら揺れる、「2.14 St.valentine day」の看板。
 もう世間はバレンタインムードとやらに突入しているらしい。
 でも私達はただいま試験追い込みムード継続中なんですけど?
 私とそう歳の変わらない人達が、友達を引き連れてきゃあきゃあと品定めをしている様を、私はただボーっと遠目に眺めて、人間観察みたいなことをしていた。
 これが後一週間ほどしたら、この様をボーっと見ていられるほど自分も暇ではなくなるだろうし、見させてもらえるほど穏やかでもない空気が流れたりもするのだろう。
 なんとなく、販売人と客の壮絶な駆け引きを想像してしまい、思わず眉間に皺を寄せてしまう。
 まあ、早い時期に買いに来たいと言った好美の意見は正解だね。
 その本人は、目の前にあるこの時期限定で作られたチョコレート販売コーナーの中には居ない。
 一階上のカジュアル服のコーナーで、彼氏に合うトレーナーか、セーターを探している。

 ことの始まりは、前日の土曜。
「明日、ちょっと買い物付き合ってくれない?」
 ちょうど試験が終わった時、好美が少し神妙な顔で私に聞いてきた。
「いいけど…」
 今試験中よ?とか、彼氏さんといっしょに行かんのか?とかの二の口をつけるべきかどうか悩んで、結局私はそれ以外の言葉を口にした。
「何を買うの?」
「んーと…バレンタインの、ね。プレゼント」
「あーはいはい、ごちそうさま」
「いや、最後まで聞いてよ」
「んえー、そんなん自分で探しなよ」
「でもあんたの意見って結構参考になるし…ほら、デパ地下のパフェ、あんた好きって言ってたでしょ、おごるから、ね。たまには私とデートしてよ」
「………あー、つまり、のろけたいと」
「それもいいけど、試験の憂さ晴らしも兼ねて」
「……あい、わかった」

 でまぁ、貴重な休みを、ただ家で勉強をするだけに使うことをせず、人間観察に使ってみたりしているわけなのだが。
 ……というか、私の来た意味、無いじゃん。
 セオリー通りにチョコレートって言うのは、芸が無い気がするからどうしよっかって悩んでいた好美に、付き合ってもう長いんだし、彼氏君の好みに合った服とかなら結構かわった感じで良いんじゃない?と何気なく言ってみたアイデアが見事採用されたはいいものの、そこから二つのデザインに迷い始めて。
 手持ち無沙汰でいた私を気遣ってか、何か見たいものがあったら見てきてって感じで無理矢理時間潰しをすることを要求されてしまった。
 ……けど、結局何もすること無いしなー。
 デパートの書籍コーナーは立ち読みなんてできないし、ステーショナリーコーナーで時間を潰すにしても限界がある。
 結局一階下の、今私がいるバレンタイン専用のチョコレート販売コーナーをうろついて、あとは近くにあるベンチで人間観察にふけっているわけなのだが。
 明日のテスト、1限はまあ自信あるけど、2限がなぁ……できればノートまとめもうちょっと綺麗にしておきたかったんだけど。
 だからといって、こんなところにノートを広げるために教科書一式持ってくるなんて野暮なことはしたくないし、したいとも思わなかったけど……。
 何とはなしに天井のエアコンに置いていた視線を、再び販売コーナーに移す。
 ショーケースの前に人が立ち止まるたび、いらっしゃいませと声をかけて、客が、これ下さいの掛け声を出さないか、さりげなく気にしている店員。
 そして相変わらず、どっちが良いと思う?と言った顔で友達同士くすくす笑いあってチョコレートを選別している女の子達。
 ……みんな、忙しくないのだろうか?
 ぱっと見、私より一つか二つ年下の子がショーケースの前で品定めしている。多分時期的に私達と同じく試験シーズンにどっぷりつかっているはずだ。
 もちろんここにいる人は氷山の一角で、ちゃんと家で試験勉強している人もいるんだろうけど……
 と。
 私が座っている一つ向こうのベンチに、どさっと大きな紙袋を二つほど置いて、その前を囲むように3人、多分OLの人だろう、紙袋の中からシンプルにラッピングされた四角い箱をさらいだして、なにやら勘定を始めていた。
「……一課の人の分が…これで………課長の分が………」
 ああ、やっぱり、OLさんだったよ。
 多分自分達で製作したものだと思われる、B5のプリント用紙に刷られた名前リストに、次々とチェックを入れていくOLさん達。
 買いもらしが無いか、折り目がついて少々くたびれているそのリストを二度ほど確認して、次はステーショナリーコーナーでメッセージカードを買いに行く算段をしていた。
 うわー、ありがたみがねぇー……。
 私は私で、表面上は友達待ってますってな顔で人ごみに目線を向けているものの、耳はしっかりOLさん達の会話を盗聴していた。
 まぁ、いわゆる「お愛想チョコ」てやつなんだろう。私も2、3年くらいしたらいつか、そのお愛想チョコを買うことになるかもしれないけれど……。
 けど、なんかこう、もっと、バレンタインって少女漫画な雰囲気があると思ってた。
 いやいや、少女漫画な時代も時にはあったのだろうけど、今やバレンタインは立派なビジネス。評論文的に言うなら、習慣と和の心とやらが見事に混合された、経済業界に一陣の風を巻き起こすチョコレートという名の嵐ってやつですか?
 ……いいね。藤田のレポートの課題にでもしてやろうか。
 名づけて、《バレンタインデーがもたらす風習と経済効果》とかね。
 うわー、レポート用紙三枚は軽くいけちゃいそうだわ。
「………はーぁ」
 何考えてんだか、まったく。
 と。
 やれやれと首を振って床のタイルに向けていた目線を上げると、さっきショーケースの前で物色していた人がまだそこにいることに気が付いた。
 あの子、まだ考えてたんだ……。
 何とはなしに、その子の顔を見てみる。多分、二つのうち、どちらかで悩んでいるのだろう。目線が右に、左にと動いている。でもその目はとても真剣で……なんだか、さっきのOLさんみたいにけなす気持ちになれない、そんな表情。

 ……なんで、そんな真剣な顔ができるんだろう。

 好美だって、そう。
 アイボリーの薄手のセーターにするか、オリーブのパーカートレーナーにするかで悩んでいた時、私に、どっちがいいかなー?と振るでもなく、真剣な目で見ていた。でもそれは一瞬で、その顔を見ていた私の視線に気づいたのだろう、ごめん、ちょっと時間かかりそうだからって苦笑いされたんだけど……。
 でも好美と、この子は、きっと状況が違う。
 だってあの子のいるショーケースは義理チョコ向けのものじゃなくて、本命向けのものだから。
 さっき、ここのベンチに座る前、コーナーをざっと見回してたとき、そのショーケースの中にあるシンプルなラッピングと綺麗に箱詰めされたおいしそうなチョコレートが私好みで、ちょっとだけ立ち止まって覗いていたから良く知ってる。
 値段を見て、自分用に買うにはちょっと高かったっていうのも覚えてる。
 そんなチョコをただの義理で渡すわけも無いだろうし、自分用に買うのも違うだろう。
 もしかしたら片想いかもね。だって周りが見えてないくらいに真剣なんだもの。
 多分いろいろ考えているんだろうな。あまり値の張るものだと勘付かせないようにとか、あまりハデ過ぎない物を選ぼうとか。 いろいろ考えて、多分やっと条件に合うものが見つかって、でもちょっと値があって。

 ―――ああ、あの子、恋してるんだ……

 だから真剣な顔してそこにいるんだろうけど、そのことが初めて、少し羨ましいって……そう思った。

◆ ◇ ◆

 誰かを好きになる。
 その感覚は私にとって、《怖い》と感じる時があった。
 嫌われたくない。誰からでも好かれる人間でいたい。だから迷惑なことはしないようにと、変に気を張りすぎて、相手に一歩距離を置いていた。
 それが裏目に出てしまって、かなり悲惨な経験をしたこともある。それから気心置ける友達に出会えて、少しずつ距離をおく癖は直ってきたかなとは思うものの、まだ、他の人と友達未満を始める時にどうもその癖が直ってないと思う瞬間が多々あったりした。
 今は、同性ならなんとか、とは思える。でも異性に対して抱く感情…友情というものですら、私は良く分からない。
 好美を通じて、男の子としゃべる機会はいくらでもあるし、最初はちょっと《怖い》が出てきた時もあったが、今は好美と一緒なら普通に話せるかなという程度。
 ただ、まだ自分ひとりでしゃべりに行こうということはしていない。
 一度、好美以外の友達と一緒にその子達の男友達と遊びに行くなんて事をしたけれど、結局ひどく疲れた印象しか残らなかった。 それ以降、誘われても、時間無いからって感じで断ることもしばしばで、最近誘われることも無くなったところを見ると、どうやら付き合いの悪い子ということでお誘いリストからはずされたようだ。
 実際バイトとかはじめて時間が無いていうのもあったから、ほんとは少しだけほっとしてる。
 ……でも、少しだけ寂しいなって感じる時も、やっぱりあるんだ。
 彼氏がいないからって訳じゃなくて、理由をつけて、人を好きになるってことから遠ざかろうとしている自分がさ、寂しい人間だなって感じる時が、ある。
 でも、人を好きになることが《怖い》と思っていた私には、恋愛はもっとも大きな負担にしか考えられなかった。
 だって、同性に好かれることでさえ、どこか気が張り詰めた感じになってしまうのに、異性に好かれるのは絶対無理だって、そう思っていたから。
 嫌われたくないじゃない。だから嫌いになられないように、ずっと好きでいてくれるように。
 ………でも、それってすごく大変で、疲れること。

 やっと決心がついたのか、その子は店員にショーケースを指差して、そして少し顔を赤らめながらかばんから財布を取り出していた。

 ………ねえ、怖いって思ったことは無いの?
 自分の、好きだって気持ちを受け入れてもらえないかもしれないってことに、怖いとは思わないの?
 そんなに真剣に悩んでるのに、報われなかったら辛くならない?

 包んでもらっている間、何度も財布を覗き込んで目線をそわそわとさせている。

 ………だったら気付かないままでいたほうが楽じゃない。
 好きにならなければ、傷付くことは無いもの。
 友達とけんかして別れただけで、私はすごく泣いた。
 嫌われたくなかったのに嫌いって言われた。
 ひとりぼっちで、泣いた。

 ラッピングが終わって、紙袋に入れてもらって、その間に、別の店員が用意したトレーの中にお金を入れるその子。
 領収書を受け取って、紙袋を受け取った瞬間。
 すごく、嬉しそうな顔。

 ―――あ、いいな……

 あの子の恋が実って欲しいと、ほんとに、そう思った。
 今の私にはできない笑顔を持っているその子の想いが、報われたらいいなと、思った。

◆ ◇ ◆

 《おまたせー》
 その子がショーケースの前から去ってから10分ほどして、その一言だけ入ったメールを確認して私は少し早足で一階上のカジュアル服のコーナーへと急いだ。
 好美もすごく嬉しそうな顔をしている。
「……じゃ、パフェ奢ってもらおっかな」
「はいはい」
 苦笑をもらしながら地下へ行くエレベータへと向かう私達。
 お昼を過ぎて人もまばらになったこの時間帯、エレベータの前には人が居なかった。
「……あのさ」
「んー?」
 下へ行くボタンを押して、今、エレベータがどの階にあるのかを確認する好美の背中に、ぽつっと一言、問い掛けてみる。
「男の子を好きになるってどんな感じ?」
「………はぁー?何よ突然」
「ん、なんとなく」
 振り向いて、軽く目を見開き問う好美に、まあ、当然の反応だよなと苦笑を浮かべて私は好美を見返していた。
 その表情でかどうかは分からないけど、意図はどうやら掴んでくれたらしい。
 うーん、と口元に指を当てて少し考えたそぶりを見せた後。
「……教科書的文学で言えば、モノクロの世界がカラーになった感じ?」
「………なによそれ」
「ん、なんかぴったりくる言葉が無かったから」
 チーンッと軽いベルの音がして、エレベータの扉が開く。中には誰も居なかった。
 どちらからともなく中に入って地下一階のボタンを押す。
「で、ほんとにそうなの?」
「ほんとにそうなら私、色盲だって。つか、ほんと、なによいきなり」
 眉間に皺を寄せて問いただしてくる好美に、上目遣いで頬を無意味に人差し指で掻きながら、私は言葉を捜していた。
「……あのさ」
「うん」
「人を好きになるって怖いって感じたこと無い?」
「あるよ」
 思ったよりあっさりと答え返してきた好美に私は嘘ー?という目線を返す。
「あ、なによその目」
「いや、なんでも」
 その間を埋め合わせるかのように、下へ参りますと、コンピュータの女性の声がして、エレベータのドアが閉まった。
 しばらくして、ふぅっと、重力の波が体に静かに圧し掛かってくる。
 私は、視線を天井のフロア案内に目を移して、地下一階に行く光をじっと見ていた。
 隣の好美もまた、同じように天井を見上げている。
「……あのさ」
「うん」
「必要以上に好かれようとしなけれゃ自分を偽らなくてすむでしょ?多分、あんたなら分かると思うけど」
 さらっと一息で出された好美の言葉。
 ―――あ……そっか。
 何の重苦しさもなく言われた言葉だからこそ、今までなら、そんなの分かってるよって、いじけながら聞く事もなく本当にただ素直に頷いてしまっていた。
 ふぅっと一息ついて、好美は私に笑いかける。まいったなーって思った時にする、ちょっと苦みのある表情。
 その表情を見てやっと気づく。好美も、私と同じ気持ちになった事があるんだってこと。
「なんて言ったらいいのかな。自然体って言うの?要は、そのまんまで居たら良いんだよ。
 でもさ、それが出来ないで居たから……ていうか、出せないで居たんだろうね。出し方が分からなくなって、だから、ただ必死に、被ってしまった灰色の仮面を脱がないようにしていた。
 ……そういう時って、確かにあるんだ」
 ちょっとだけ、眉間に縦皺を寄せて、苦笑をもらす。
 その顔は、ただ単に教科書を読み上げるだけの人の顔でなく、経験を経たからこそ言える人の顔。
「でもさ、あんた、私には出来たじゃない?仮面を取る事」
 上目遣いに問うてくる好美に、私もまた、苦笑いを返す。
 まいった。この子は飄々としているように見えて、ちゃんと人を見てるんだ。
 そうなんだよね。
 一見マイペースで当たらず触らずを気取っているように見えるけど、でもちゃんとタイミングを見計らって触りに来ている。
 きっとそれは先天的なものじゃなくて、経験から得たものなのかもしれない。
 だから、かな。本当に何度も頷かされる。この子の言葉には。
「人を好きになるってことは、実は大して怖い事じゃないんだ。むしろ、好かれるかどうかを考えた時に、怖くなる。
 でも、絶対、全ての人に好かれるって人は居ないから。
 だから、こんな私が嫌なら嫌いになってくれてくれりゃいいよって感じでさ、居たらいいと思うんだ。
 こっちから私を好きになって!のてを押し付けたら、相手も疲れるし、自分も疲れると思うから。
 嫌な所もある。でも好きだなって思う所もある。だから側にいようと思う。
 それは友達でも、彼氏でも、変わらない事だと思うよ」
「……そっか」
 ……好美はいつ、こんな風に考えられるようになったんだろう。
 誰かに気づかせてもらったのか、それとも自分で気づいたのか。
 普通に接しているだけではきっと気づけなかった好美のこんなところ、見つけられて良かったって思う。
 だって、もしかしたら。
 この子のあっけらかんとした笑顔をただ羨んだまま、自分には出来ない事だからって諦めていたかもしれないから。
「なに?彼氏が欲しくなったの?」
「……ん、まぁね」
 あんな真剣な目で居られる事。私はそれをまだ一度も経験していない。
 それを負担だと今まで考えていたから。
 でも、負担と考えるのはもうやめにしたいから。
「……でも、あんたがその気になったのなら、きっと早く見つかると思うな」
「えー?なんでよ」
「だってあんた、どこか、男とか女とかにこだわった目、してたでしょ?」
 あ、そこまで見てたの……。
「これから少しずつ、その目の境界線がなくなっていったらさ、きっとすぐに気づけるよ」
「……………なにを?」
「ないしょ!」
 と。
 チーンッとタイミング良くエレベータが鳴いて、さぁどうぞっと言わんばかりにドアが開く。
『地下一階です』
「………」
 アナウンスするコンピュータの女の人の声が、問い質そうとした私のタイミングを見事に奪ってしまった。
「さ、パフェパフェ!」
 ………あーあ、完全にはぐらかされちゃったし。
 にっと笑う好美の顔を見ると、どうやらもう、この話はこれで終わりと暗に言いたいのだろう。
 ……ま、いっか。
 苦笑いを浮かべてエレベータから出ていく私の背を見送る間もなく、エレベータはすぐにドアを閉めて、階上のお客さんを迎えに上がる。
 天井には相変わらず、「2.14 St.valentine day」と書かれたプラカードが揺れていて。
 バレンタインにちなんだバックミュージックが人のざわめきの中で流れていて。
 世間は毎年来るこの日の恩恵にすがろうと必死になってはいるけれど。
 でも確かに、誰もがどこかで必ず抱く感情。

――――――なら、いつまでも灰色で居とこうとするのは、もったいない気がしない?

 びっくり箱のハートが、ほわんほわんっと笑っていた。

あとがきのようなもの

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