大阪で生まれ、奈良育ち。10歳で電子オルガンを習いはじめてギター、ドラムなどの楽器にも触れる。当時流行っていた「イエローマジックオーケストラ」の影響を受け、14歳のころからオリジナルのインストを書き始める。
中学・高校・大学と自らのリーダーバンドを作り、キーボード、ギター、ボーカルなどを担当、自主ライブなども行っていたが、性格の悪さからバンドから干される。
20歳のころ、ベースパートの欠員ができたバンドに入り初めてベースパートを担当。同時に学園祭を回っていたThe−SquareのLiveを聞き、田中豊雪氏のベースプレイに大きく影響を受ける。それからはベースパートを長い間担当することになる。
2000年に自分のオリジナル曲を演奏するキーボードユニット「X’ART」を結成、2010年まで活動は続く。
元パートナーのすすめで混声合唱団AYUMIに所属、約三年間活動する。最初はミュージカルのオケをシーケンサーで作るのみだったが、翌年から低音パートとして歌で参加。ミュージカルにも参加し、踊りながら歌うことに少々はまる(笑)
劇団「那由多」の創立メンバーとして約10年活動、全公演の音楽監督と挿入歌の作曲を担当。時折ピンチヒッターで役者としても参加。この仕事によるレコーディング経験が今の曲作りにいかされています。
1992年に結婚した妻が2005年に死去。それを期にjジャズバーのジャムセッションに通い始める。そこでは自分の存在をアピールするために様々な楽器で参加していたが、結局どれもものにならず、これといって活動の幅も広がらず、結局ベース一本で音楽に参加することを決意し現在に至る。そのセッションでの音楽仲間との出会い、ジャズスタンダードとの出会いは、自分にとって大きな支えとなった。
現在、ボーカルのバック、インストユニットのサポートをしながら、ジャズのアレンジもののユニット「ヤンチャ・カルテット」「色川六重奏団」ラテンユニット「SevenOceans」に参加し月に数回のLive演奏と、ジャムセッション参加している。